空を覆う黒々とした雲から雨粒は群れをなして次々とダイブ、第3新東京市を含む地域全域の地に弾ける。

 ミサトとシンジと……今は姿の見えない同居人が住まうマンションにも雨はまとわりつく。

 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ

「う〜〜〜〜〜ん」

 昨夜遅くまで深酒に浸っていたミサトは頭の中で鳴り響く鐘の音に苛まれながら、足元で追い討ちのように騒ぐ目覚し時計の鳴き声を聞き、布団の中でもぞもぞと蠢いた。

 にゅいっと足が布団から生え、時計にカカト落としを食らわせて沈黙さす。
 ぼっさぼさの頭で這い出てくるミサト。

「ふぁぁう」

 歯磨きをしながらぼんやりミサトは思う。

(あの子……今日もズル休みするつもりかしら……)

 ミサトはシンジの部屋の前に立つとこつこつと柱をノックする。

「シンジく〜ん? いつまで学校休む気? もう5日目よ。
 そりゃぁあたしにも責任あるし、ちょっち可哀相だとは思うけど、シンジくんが休んでまで探す必要は……」

 シンちゃんのおへや♪と張り紙されたふすまは静寂を保ったまま。
 はぁ〜〜〜……と深々ため息をついたミサトは、そっと数センチ隙間を開けると覗きこみながら再び声をかける。

「シンジく〜ん? ……げ。」

 中の様子に驚いたミサトは、ぐわっさとふすまを全開にして室内の光景が夢でないことを確かめると、脱力して立ち尽くす。
 整理されてぬくもりの感じられなくなった空間。ベッドにはきれいに折りたたまれた布団が。
 シンジは葛城家を出たのだ。いや、ミサトの元を離れたと言うべきか。

「家出か……無理もないわね」

 それは机の上でセラミックのペンギン型文鎮に押しつぶされ、平たくなってしまっている便箋を見ても明らかだった。

『ペンペンが見つかるまで帰りません。連絡は父さんに伝えてください』

 ミサトはすぐに電話を取った。碇司令に連絡を取るためではない。
 短縮の3番に登録されているシンジの携帯を呼び出す。

『おかけになった番号は現在、電波の届かない所に居るか、電源をオフに―――』ぴっ

「圏外……まで行ける程時間は経ってないわね。建物の中……いや、地下ってのもあるか……地下ってまさかジオフロントなんて事…は無いか、あそこはアンテナあるし……ああもう広すぎて全然見当つかないわ」

 ひとりごちたミサトは、使徒との交戦中に等しいほど真剣な表情のままじっと考えた。

(あのゴク潰しペンギンはいいとしても……シンジくんまで居なくなったら……)

 すぐに室内は霧の立ち込めた芦ノ湖よりも視界が利かなくなるだろう。
 当然過酷なネルフの職務と家事を両立する暇などなし。食事はコンビニ弁当に逆戻り。

 それに……誰も居ない部屋に帰るなんて、寂しさに押し潰されてしまいそうだ。

(探しに行こう……司令にバレて殺されないうちに)






 

美…しくって今日はちょっちセンチな…戦士

葛城ムーン

第4話

「シンジの彷徨!悲しみの温泉ペンギン」

 






 葛城家の玄関に立つ第壱中の制服を着た、メガネの少年。
 上機嫌でカバンから新品のカメラを取り出した彼は、ファインダーを覗いてレンズごしに表札の『葛城』の文字を見た。

「んーこのクリアな映像! さすが天下の国連直属組織、太っ腹だね!」

 押さえきれず声に出して喜びをあらわにした彼は、カメラを構えたまま呼び出しブザーを押す。

 ぴんぽーん♪

 程なくしてドアはぷしゅんと開き、妙齢のお姉様が姿を見せる。

「シンジくん!?」
「おおっ! 本物の葛城ムーンだっ! しかもノーメイクなのに美しいぃぃっ!」
「へ?」

 固まるミサトに少年、ケンスケは一時カメラを降ろし直立不動の態勢を取ると、びしっと敬礼した。

「碇君と同じクラスの相田と申します」
「あ……君、あの時の」

 黒ジャージ使徒との戦いで一役買ってくれた少年だと思い出して硬直を解くミサト。

「はいっ! 覚えていてくださいましたか! 光栄ですっ、感激ですっ!」
「その後彼の経過はどう? あの黒いジャージの……」
「トウジ、鈴原トウジです。あいつは頑丈なやつですから、あれくらいの事ではビクともしませんよ。現に明日退院するって……妹と一緒に」
「そう……ありがとう知らせてくれて」

 本当はリツコから逐次情報を貰っている為既に退院の事は知っていたが、やはり当人を良く知る人間から聞くと心の負担も減る。

「いえいえ、これしきの事。それで碇君の風邪の方はどうなんでしょうか?」
「あ、え、えーと…(そうそう風邪だったわね)…もう良くなったんだけど、今はネルフの訓練施設にいるの」
「そうですか……(ちぇ、薄情なヤツ……直ったなら直ったで連絡ぐらいよこせっての)あ、これ机にたまってたプリント、碇君に」
「わざわざ悪いわね、ありがと」
「いえいえ、単なる善意で来たってわけでもないので」

 くいっとメガネを直すケンスケ。レンズにキラリと光が走る。

「は?」
「これちょっと見てもらえますか?」
「カメラ……よね」
「ええ。先日の一件で壊れた僕のカメラをネルフが弁償してくれたものです。でも、僕が持っていたものより数段高いんですよ、これ! 多分葛城ムーンに関する機密情報の口留めの意味も篭められてるんでしょうけど、もともと口外する気なんてありませんからそれはいいとして」
「……はぁ」

 ぽかんと口を開けたまま相槌を打つミサト。

「写真を一枚取らせて頂けませんか? もちろんポーズは『お仕置きよっ!!』で!」

 ミサトは一瞬、真剣に悩んだ。
 シンジに「友達は選べ」と言うべきかどうか。




 ざああああああああ……

 容赦なく顔面に叩きつけられる雨に耐えながらミサトの車は走る。

 ミサトは非常事態の備えとして、ネルフに向かいリツコにだけシンジの家出を告げると、そのまま適当な理由をでっち上げて早退し、シンジの行きそうな心当たりを探していた。

 実際はシンジもペンペンを探してうろうろしている筈なので、ペンペンの行きそうな場所を探すことになる。

「(……ペンギンの気持ちなんてわっかんないわよ……)……はぁ〜〜〜〜」

 愛車のハンドルにぐったりと身体を預けたまま、雨より陰湿な溜め息をつくミサトだった。




 実り無い捜索は瞬く間に時を食い潰し、もう夜は終電の時間にさしかかっている。

『―――第7環状線をご利用いただきまして、誠に有難う御座います。この電車は当駅にて回送―――』

 うとうとしていたシンジははっと我に帰ると駅名を確認して急いで降りる。
 今日一日、各駅で降りては聞き込みを繰り返していた為に足は棒になり、このまま横になったら地面でも眠ってしまいそうだった。

「お兄さん、ちょっと! ちょっとちょっと、ホントに安いんだからぁ!」
『―――明日への活力をあなたにささげる特別サービス♪―――』

 呼びこみや酩酊者の声で騒がしい駅前の繁華街を、それらしき姿がないかと見まわしながら歩く。
 するとどうだろう。

「きゃーなにあれー?」
「かぁわい〜〜〜っ!」

 嬌声を浴びながらよたよたと歩いているのは紛れもなく捜し求めているペンギンだった。

「ペンペン!」

 走り出すシンジ。しかし、広告の入ったポケットティッシュが詰まったダンボール箱に足を捕られて転んだ。
 その拍子に倒れた箱からティッシュがばらばらとこぼれ落ちる。

「あにしゃぁがんだこのガキ!」
「す、すいません!!」

 配っていた人相の悪いお兄さんに怒鳴られたシンジは、いつもなら拾い集めて元通りにしていくだろうティッシュを無視して走った。
 今見失ったらもう二度と見つからない気がする。

 そんなシンジに気付かずペンペンはどこかへ向かっていた。
 疲労から思うように動かない脚と戦っているうちに、ペンギンがオールナイト上映中の映画館へ止められる事も無くすんなり入っていくのが見える。




『本当に探知できなかったんですか!』
『そうだ。直径数十センチの物体が高速の数十パーセントの速度で飛来したのだ! センサーに反応はあったが見過ごしていた!』
『それじゃぁ何の為の科学なの!? 外は地獄よ! あんたのせいで!!』
『知らん! そんな事は指導の甘い監督省庁に言ってくれ!』
『―――駄目です、秒速230メートルで接近中!』
『ここは危険だ、脱出しよう!』
『先生……逃げるのは簡単です。しかし、あなたにはここに残って事態を最後まで見守る義務がある!』
『何ぃっ!? イヤだ! 私は逃げるぞ!』
『みんな、先生をふんじばって!』
『何をする! やめろ! やめろぉぉぉぉぉっ!!』

 場内ではセカンドインパクトを題材にしたコメディ映画が上映されていた。

「ペンペーン、ペンペーン?」

 客は数人しかいない。そして誰も映画など見ていないのだが、一応配慮して小声で呼びかけながらシンジはペンギンの姿を探す。
 荷物に脚を乗せて横になり雑誌を読んでいる人の椅子の下とか、人が居ないのをいい事に抱き合っているカップルの帽子の中も見たがどこにもいない。

「ここには入って来なかったのかな?」

 ロビーへ出てトイレも見てみたが、やはりいない。

「ペンペーン? ……ふぁー……ぁ、んー……もうだめだ……」

 やがて疲労の限界に達したシンジは長椅子に転がると眠ってしまった。




 メカニカルな寝台に寝かされたレイの身体を輪切りにするように光が走査する。
 虹彩をクローズアップしようとするが、レイは目を閉じている。

「まだ14歳ですものね……ミサトのお守をさせるのは酷よね」
「なによぉ。一応世界の平和を守って戦うあたしの生活を守るっていう大切な仕事なのよぉ?」

 ブー。陳腐なブザーがエラーを告げる。
 検査機器を操作しながらミサトに話しかけていたリツコが、レイに注意を与えるべく唇をマイクに近づける。

「ちょっとレイ、寝ては駄目だと言ったでしょう?」

 レイが僅かに身じろぎし、その瞼が半分くらい開かれる。

『……ごめんなさい』

 再度瞳の拡大を試みるカメラだが、降りてくる瞼に遮られて目的を果たせず呆れたようなエラー音。

「レイ!」

『……ごめんなさい』

「すぐすむから起きてて頂戴」

『はい』

 と言いながらすぐに目がとろ〜んと瞑想に限りなく近い状態に変化する。
 思わず苦笑いのミサトがガラス越しにレイを眺めつつ壁に寄りかかって腕組みをした。

「ただの定期検査でしょう? 寝かせといてあげればぁ?」
「私は誰かさんのお蔭で昨日寝てないのよ。この上目の前で幸せそうな寝顔見せられたら、どうなるか分からないわ」
「あ、あははははー……ごみん」

 素直に頭を下げるミサト。

「……謝らなくてもいいわ。それで眠気が飛ぶわけじゃなし」
「リツコー、なんかそれ感じわるーい」
「そう? 事実を述べてるだけよ。……それより、彼から連絡ないの?」

 顔も上げず検査機器を操作してモニターをチェックしながら、話までするリツコの姿に、やっぱり餅は餅屋だわ、と感心しながら視線を外すミサト。

「ないわ。シンジくん……このまま戻らないかもしれない」
「……どうするつもり」
「探すわよ。何かあったら大変だもの」
「その『大変』はどの意味でなのかしらね」
「……」

 即座にリツコの質問の意図を汲み取ったミサトだが、答えは返さなかった。

 エヴァのパイロット、チルドレンとして必要だから探すのか。
 葛城ムーンのバックアップ……平たく言えば家事担当者として必要なのか。
 それとも、短い間だが共に暮らした家族として心配しているのか。

 それら全ての理由が絡み合っているからどれとは言えない。
 いや、理由を突き詰めて二番目だったりしたら寂しすぎるから、直感的に追求を避けたのかもしれない。

「ところでまだ逃亡の理由、聞いてなかったわね」
「さっき言ったじゃない。ペンペンを探しに……」
「そのペンペンの方よ」
「うぐっ(汗)」

 なんとか話がそこへ向かわないようにしたつもりだったが駄目か、とミサトは観念する。

「実は、この間の戦闘の後、ペンペンとも戦闘しちゃったんだけど、そのまた後でさぁ……」




『どうして私の食事を食べたの?』
『くわ(ごめんなさい)』

 葛城家の一室に戦い(というにはあまりにも一方的な虐待だった)を終えた一人と一羽がいた。
 鋭い視線をペンペンにロックオンしているミサトと、あらぬ方向を見るペンペンである。
 そして側にもうひとり。不安げに両者の様子をうかがっている。

『あなたの飼い主は私でしょ?』
『くわ(はい)』

 散乱した食器、かなりの割合で破損している。

『あなたには私の命令に従う義務があるの。分かるわね?』
『くわ(はい)』

 ひっくりかえったテーブルの足は根元からボッキリ折れている。

『今後こういうことの無いように』
『くわ(はい)』

 眉根を寄せ不快感をあらわにするミサト。

『あんた本当に分かってるんでしょうねぇ?』
『……くわ(はい)』
『あんたねぇ、何でも適当にクエクエ言ってりゃいいってもんじゃないわよ!』

 しれっと答えるペンペンに(まあそれほど表情の豊かでない生物ではあるが)つかみ掛かろうとするミサトを、困惑顔のシンジが壁になって押さえる。

『ペンペンはわかってますよちゃんと! もういいじゃないですか、ご飯ならまた作りますから!』
『くわぁ(そーだそーだ)』

 揶揄するような鳴き声がミサトの怒りに火をつける。

『そうやって表面だけ人にあわせれば楽でしょうけどねぇ、そんな気持ちでウチに居座ってるんだったら殺すわよ!?』
『ミサトさぁん!』

 ミサトの胸が顔に押し付けられてちょっと苦しいシンジ。しかしここで拘束を解けば再びペンペンの阿鼻叫喚が……もしかしたら今度こそ命が……と思うと離すわけにはいかない。

『……』

 ペンペンは相変わらず底知れぬ輝きを持った瞳を虚空に向けていた。
 しかしこの時既に脱走を決意していたのである。




「なるほどね」

 ミサトの話に聞き入っているうちに、寝台の上のレイは安らかな寝息を立てていた。

「……レイ、起きなさい! ……もう、仕方のない子ね」

 リツコが苦笑しながらキーを叩くと、細い金属のアームがタオルケットらしきものをレイにかける。

「あの時はついあんな事言っちゃったけど……ちょっとした脅しのつもりだったのよ」
「でも、ペンペンは特別よ。……多分、ミサトが怖くて逃げたんじゃないわね」
「……それ、どういう意味?」
「さあ。自分で考えるのね」




 ――ざっざっざっざっざっざっざっざっ。

 夕闇に暮れるススキの原を疾走する影。
 小脇に模造品のライフルを構えている。

「だっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっだっどわぁ〜〜〜っ!」

 迷彩服にメガネの少年ケンスケが、撃たれた演技をしてドサリと倒れる。
 すぐに草を分けてもうひとつの影が現れる。それは首輪から下を迷彩模様にペイントされたペンペンだった。

「くわぁ〜〜!(小隊長殿ォ!)」

 一応たすきがけに小型ライフルのようなものを下げてはいるが当然構える事はできないだろう。

「う……ペンペン、先に行くんだ……」
「くわぁ、くわくわくわくわぁ〜!(自分は……小隊長殿を置いては進めません!)」
「バカモン!!」

 殴るふりをするケンスケ。

「くわぁ〜!!」

 殴られたふりをして仰向けに倒れるペンペン。
 視界に広がる赤い空を眺め、耳に響くカラスの鳴き声を聞いて、自分は確かに屋外に居る、解放されていると感じる。

 しばらく倒れたまま広い視界を楽しんでいると、ケンスケの顔がフレームインしてくる。

「腹減らないか? メシにしようぜ」
「くわぁ」

 嬉々として飛び起きるペンペンの目に、陰気にトボトボと歩く見慣れた人物の姿が飛び込んできた。

「ん?……碇じゃないか。碇ー!」

 シンジが声に反応してこちらを向く。
 まずケンスケを確認。そして……

「ペンペン!」




Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon




 すっかり暗くなった空の下。野営テントの側で赤々と燃える火がケンスケとシンジ、そして無表情のペンペンの姿を浮かび上がらせている。
 パチパチと木の枝が爆ぜる音、そして虫の声が闇に溶けていく。

 吊るされた飯盒を枝でつつきながらケンスケはペンペンとシンジを観察していた。
 ちらちらとペンペンを伺うシンジ。声をかけようとして躊躇している様がありありと出ている。
 まあ問題は当人同志で解決すればいい、俺が口出しすることじゃない、と決断したケンスケは他の話題を振る。

「トウジのヤツ今日退院してるはずだぜ。妹も一緒にさ」
「ホント?」

 シンジは、ペンペンの事に気を取られてトウジの入院先に電話を入れるのを、すっかり忘れてしまっていたと気づく。

「トウジのヤツさ、反省してた。妹に説教されたらしいよ。『私たちを救ってくれたのはあのお姉さんなのよ』って。
 小学校低学年に説教されんなっての、ほんと」
「わかって、くれたんだ……よかった」

 シンジの顔から暗い陰が消えたのを確認して、ケンスケは話題を畳み掛ける。

「夜はいいよな。あのうるさいセミが鳴かないから。小さい頃は静かでよかったけど、毎年増えてる」
「生態系が戻ってるって、ミサトさんが言ってた」
「!」

 ミサト、の名前に反応したペンペンがぐりっと首を回してシンジに目を向けるが、すぐにそらした。

「ふ〜ん、ミサトさんね。まったく羨ましいよ。あんな綺麗なお姉さんと一緒に住んでて操縦まで出来て……ああ、一度でいいから思いのままに葛城ムーンを操ってみたい!」
「だから……操縦してるわけじゃないんだけど……ミサトさんと住むのはやめたほうがいいよ。お母さんが心配するから」

 苦笑をもらしながらシンジがぽつりと言う。

「ああ、それなら大丈夫。オレ、そういうの居ないから。碇と一緒だよ」

 まったく気に留めた様子も無くケンスケは微笑んだ。

「メシ……食うだろ」

 笑みを消してわずかに瞼を見開いたシンジは、頷く。

「ペンペンもそんなとこに居ないでこっち来いって」
「……くわ」

 パチパチと火の中で枝が爆ぜる。




 蒼い夜空の下、山間部には霧が発生していた。
 テントの中で二人と一羽は川の字になって寝転がっている。

「いつも、こういうことしてるの?」
「……まあな」

「ゲリラ戦にでもなった時の訓練?」
「こんなおもちゃで何が出来るんだよ。……好きでやってるだけさ」

「そうなんだ……あの……」
「二等兵はしばらく俺の部隊で預かるから」
「二等兵?」
「このペンギンだよ。お前のウチで飼ってるんだろ? 何があったか知らないけど、まだ帰りたがってないみたいだし」
「くわ」
「うわ、びっくりしたぁ。急に出てくるなよ。とにかく、一人前の兵隊になるまで責任を持って訓練してやるからな、ペンペン二等兵」
「くわ!」

「そっか……じゃぁ頼むよケンスケ」
「ああ、大船に乗った気分で任せていいぜ。……だからシンジはちゃんと帰れよ、ミサトさんの所へ」

 ……。

「……うん。ありがとう」




 早朝。
 黒服の男たちが立ち込めた霧をかき分けるようにしてケンスケのテントに接近する。
 結局捜索がお手上げになったミサトが手配した諜報部員たちである。

 気配を感じたケンスケがライフルを片手に顔を出すと、既にテントは黒服に囲まれていた。
 後ろから恐る恐る覗いているシンジの姿を見つけた黒服はメガネを直しながら口を開いた。

「碇……シンジ君ですね」

 その黒服の顔を見てケンスケもシンジも唖然とする。
 確かに服装は黒のスーツに変わっているが、この顔、この声……どう見たって……

「せ、先生!?」
「私はセンセイなどと言う名前ではありませんよ……確かに先に生まれてはいますが」
「あれから姿が見えないと思ったら……ネルフに入ってたんですか?」

 そう、その黒服は老教師だった。
 彼は穏やかに微笑んだ。

「保安諜報部で研修中でしてね。一月たてば学校へ配属されるそうです」

 さらっと言い放つが、それはかなり凄い事なんじゃないだろうか、とシンジは再び唖然とする。

「さて、保安条例第8項の適用により、君を本部まで連れて行く事になります。いいですね?」

 シンジはちらりと後ろを見やり、まだ寝ているペンペンの姿を確認してうなずいた。

「はい」
「それと、これはネルフの仕事では無いのですが、そのペンギンも連れて来るように頼まれています」
「え、あのそれは……」
「何か話したい事があるそうですよ。さあ、行きましょう碇君」

 意外に手際良く、かつマイペースな老教師に押し切られる形で、シンジとペンペンは回収された。




「そんでそのペンギン、黙って連れていかれたっちゅうんかい!」

 教室。両手をだらりとさせ椅子にもたれるケンスケのメガネに、不機嫌なトウジの顔が映っている。

「そんな事言ったって、相手は定年間近で再就職先が見つかったご老体とは言えネルフ保安諜報部。プロなんだよ」
「それがどないしたんや! 逃げるんやったら逃げるで、マタンキ噛み千切っても行ったらんかい!」
「……勝てない喧嘩するやつはバカなの。マタンキは関係ないの。それにな……」

 ケンスケはメガネをくいと押し上げると、口の端だけで小さく笑った。

「戦いの基本は教えたつもりだからな。あいつならやれるさ」




 暗い部屋。壁にはNERVのロゴが描かれている。
 重い扉を開く音がして、室内に明かりが差し込んでくる。

 カツカツと硬質な足音。

 踏み込んできたミサトは、腰掛けたシンジの膝の上に抱えられているペンペンを見る。

「……しばらくね。この7日間ほっつき歩いて気が晴れたかしら?」
「くわ(別に)」

 ペンペンはシンジの膝から飛び降りると、ミサトの正面に歩き出た。
 ガラス玉のような瞳はまっすぐにミサトを見上げている。

「……何よ」

 ペンペンの視線を真顔で受け止めるミサト。だが、ペンペンがどこからか拳銃を取り出すとその表情は引きつり崩れる。

 パン! パン!パン!
 どうやって引き金を引いたのか銃口からは弾丸が飛び出す。

「うわぁぁぁぁっ!?」

 それは残念ながらミサトには命中しなかった……していたとしてもオモチャなので痛い程度だろうが。
 驚いて尻餅をついたミサトは震える指で、ペンペンの羽の中で黒光りしているL字型の鉄の塊を指す。

「何っ! 何でそんなもん持ってるのよ!?」
「ペ、ペンペン!? 何してるんだよっダメだよそんな事しちゃ!」

 咄嗟にペンペンを羽交い締めにするシンジ。バタバタと暴れるペンペン。

「くわっくわくわっくわ〜〜っ!(離してくれ! ここでやらなきゃオレはいつまでもダメペンギンなんだーっ!)」
「ダメだってば! そんなことしたら益々ミサトさんに嫌われるだけだよ!」

「……くっくっくっくっ……そぉぅ……そんなにあたしが憎いのね?」

 逆光の中、シルエットのミサトがゆらぁりと立ち上がる。

「そんなにイヤなら出て行きなさい! あたしの事は全部忘れて、動物園にでも行きなさい!」

 ぽろり、とペンペンの羽から拳銃が落ちる。

「あんたみたいな気持ちで飼われるの……迷惑よ」

 ミサトが部屋を出ると扉は閉じられ、再び暗い室内。
 シンジは腕の中のペンペンが微かに震えているように感じて、ぎゅっと抱くとトサカを撫でてやった。




 ジオフロント内の動く歩道に運ばれていくゲンドウとリツコ。その後ろにレイ。

「温泉ペンギンは衛生局への登録を抹消。明日、第2新東京の新上野動物園に引き取られます」
「ではシンジの住所はレイと同じ所に書き換えろ」
「! しかし……」
「零号機の再起動実験の結果の如何によらず、シンジはレイのバックアップに回す」

 後ろを見るリツコ。すっかり包帯も取れたレイは立ったままうとうとしている。

「保安諜報部からの報告によれば、ペンギンの家出は葛城一尉による虐待が原因だ。そんな人間の所にシンジは置いておけん」

「葛城一尉の言い分は聞かない、という事ですか……」




 翌日。空は青く晴れ渡りセミの声が遠くまで届く。
 黒服(老教師)の運転によって新箱根湯本駅に護送されるシンジ。膝の上にはペンペンがちょこんと乗せられている。

「くわ、くわくわぁ(ミサトさんはどこですか。一言お別れを……)」
「ん? どうしたのペンペン、ご飯は……食べてきたよね」
「くわ〜(違う〜)」

「お別れの挨拶かな?」
「くわぁ、くわくわ!(そう、それだよ!)」
「ペンペン……向こうに行っても、元気でね」
「くわ〜くわぁ〜〜(違う〜ミサトさ〜〜〜ん)」

 黒塗りの車は駅前で停車するとペンペンとシンジを吐き出す。

 そこで待っていたふたつの影。

「ペンペン! 忘れ物だ」

 ケンスケが放り投げた小さなバッヂをガチッとくちばしでキャッチするペンペン。

「結果は残念だったけど、お前は良く戦ったよ。だから、餞別も兼ねて一等兵に昇進だ」
「くわぁ?」

 足元にバッヂを置いて観察するペンペン。
 それは一等兵の階級章だった。

「あの、先生……ちょっといいですか」

 シンジの問いかけで腕時計を見た黒服老教師は首を縦に振る。

「電車がくるまでまだ少しありますが、早くしてください」

 ペンペンとシンジは、ケンスケたちの前に出る。
 ケンスケはペンペンと見詰め合い、共に死線を潜り抜けた戦友として最後の挨拶をしている。
 だが、もうひとりの影、トウジはじっとシンジを見ていた。

「あ、鈴原くん、退院おめでとう! 鈴原くんもペンペンにお別れ?」

 ペンペンと面識のないはずのトウジが居る事に疑問を覚えるシンジ。

「碇……2発もどついたりして悪かった。ワシの事もどついてくれ」
「そ、そんな事できないよ」
「頼む。そうやないとワシの気が済まん」
「でも……」
「はようしてくれ、時間ないんやろ!」

 ずいと身を乗り出しシンジの肩を掴むトウジ。

「僕は時間あるんだけど……やっぱりできないよ」
「何でや! ワシが殴れ言うとるんやからキリキリ殴らんかい!」
「やだってば」
「殴れ!」
「いやだよ!」
「なぐ――ぐぁはぁっ!?」

 どばきぃっ!!
 突然右頬にえぐり込むような痛みを覚えてよろめくトウジ。

「ペンペン!?」

 トウジの顔面に見事なドロップキックを決めたペンペンは、両羽根を広げてスタッと着地した。

「なっ……なにさらすんじゃこのアホペンギンっ!!」

 頬を押さえて吠えるトウジ。
 ペンペンは腰?に羽根を当てて胸?をそらし、得意げな瞳でトウジを見上げる。

「……くわぁ(殴ってやったぜ)」
「くっ、何やコイツ……おいケンスケ! お前の言うとったペンギンちゅうのはコイツか?」
「ああ、そうだけど」
「ほうか……飼い主の躾もでけんようなペットがデカイ面しとるやないかい……」

 怒りに燃えるトウジの瞳がギラーンと輝く。闘志に火がついたらしい。

「よっしゃぁ、貴様とはここで決着をつけたる! ペンギンと人間様のどちらが上かよーく教えてやるわい!!」

 拳を握り締め高らかに宣言したあと、ペンペンに殴りかかろうとするトウジの肩にしなびた手が置かれた。

「時間です」
「セ、センセー!?」
「彼は今日この街を離れなければならないんですよ」

 老教師は鼻息荒く軽快なフットワークでファイティングポーズを取るペンギンの姿を、哀れむような視線で見ながら言った。

「自分が居なくても碇君に手だしするな、したらいつだって駆けつけて来るぞ、という警告のつもりなのでしょう」
「くわ」

 ブンブンと首を縦に振るペンペン。

「ペンペン……」

 シンジは嬉しさと別離の寂しさが入り混じった潤んだ瞳で、凛々しいペンギンを抱き上げた。

 そして、怒りのやり場を失って立ち尽くすトウジと、しきりに満足げにうんうんと肯いているケンスケ小隊長をほったらかしにして、そのまま駅の階段を登って行く。




 シンジは改札までの道のりをなるべく遅く遅く歩きながら、腕の中のペンペンに話し掛ける。

「ごめんね、ペンペン」
「くわ?」

「出て行かなきゃならないのは僕の方なのに……」
「……」

「僕はエヴァも動かせないし、別に家事だって得意って程でもないのに、ミサトさんと一緒に住ませてもらって……」
「……」

 ペンペンはシンジの言葉にじっと聞き入っている。

「ペンペンの居場所、知らないうちに取っちゃってたんだね……」
「……くわぁくわくわ(……シンジくんのせいじゃないよ)」

「ねぇ、今からでも遅くないよ、ミサトさんにちゃんと謝ってうちに戻ろうよ」
「……」
「あっ、ペンペン!」

 ペンペンは答えの代わりにシンジの腕から飛び出すと、振り向くことなく改札を駆け抜けた。




 ケイジではいまだ起動したことのない初号機が毒々しい色の液体に浸っている。
 朗らかさとは縁遠い初号機の顔の前を、これまた難しい顔をしたミサトが歩いている。

「いっちゃったわね」

 ミサトの後ろからリツコが声をかける。

「これで良かったの? 新しい同居人が出来たら、もうペットは用済みなの?」
「ねぇ…どうしてペンペンは……あんな事したのかしら」

 眉間に皺が寄るほどシリアスな表情で問うミサト。ただ「あんな事」の内容が「人のメシを食った」なのが小さい。

「やっとそこまで気が回るくらいに冷静さを取り戻したのね」
「『やっと』って何よ?」
「ミサトあなた……最近シンジくんばかりと会話してるらしいじゃない?」
「なんで……」

 そんなことあんたが知ってるのよ、と言いかけて飲み込むミサト。
 シンジとばかり。

「そっか……そうだったんだ……」

 ペンペンは寂しかったのだ。構って欲しかったのだ。
 シンジが来てからほとんど無視されどおしだった自分をかえりみて欲しかったのだ。

「あの子……ああいうやり方でしか自分の気持ちを伝えられないんだわ……」

 理解した瞬間、ミサトの胸中に後悔の念が山間に立ち込める霧のように深く静かに広がっていく。

 ミサトは駆け出していた。




『2番線に厚木行き、貨物専用リニアが参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください』

 流れる構内アナウンス。

 葛城家に戻る最後のチャンスを捨ててしまい、いざ動物園での見世物生活へ向かわんとするペンペン。
 うつむいたまま微動だにしない彼の前で、リニアがホームへと滑り込んでくる。

 ぷしゅーと、積込口が開く。

 まだじっと動かないペンペン。

 ――RRRRRRRRRRRRRRRRRRR――

 発車のベルが風に乗って散り、ぷしゅーガコンと乗降口が閉じる。

 さよならも言わず動き出す列車。




 法定速度の○倍近いスピードで駆けつけたミサトの青い車が、がははと笑いながらシンジにヘッドロックをかけているトウジとそれを苦笑いを浮かべつつ眺めているケンスケの側を、かすめるように通り過ぎる。
 そして車は突然の事に呆然とする3人の少年たちの見守る中、キキィィーッというブレーキ音を上げながら停止。

 車から飛び出すミサト。表情は真剣。
 暴走車の運転手がミサトであると確認したシンジは、首に巻き付いたトウジの腕に両手をかけたまま、喜色満面。
 そんな彼らの目前でリニアは小さく、遠くへ、見えなくなっていく。

「……はぁ……」

 くしゃくしゃと髪をかき混ぜて沈痛な面持ちのミサト。

 ふとホームに目をやると、結局乗り込むことが出来なかったペンペンのうな垂れた姿が飛び込んでくる。

 ペンペンも、ふと顔をあげた。

 柵の向こうにミサトを認めてハッと息を詰まらせる。

『間もなく4番線に強羅行き各駅停車が参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください。小さいお子様をお連れの方は特にご注意ください』

 無言で見詰め合うミサトとペンペン。
 流れる構内放送も耳には入らない。

『4番線の電車は4時32分発、強羅行きの折り返しの各駅停車だ。乗るなら早くしろ、でなければ帰れ』

 ずるっとトウジの腕からすっぽ抜けてこけるシンジ。

「と……父さん!?」
「お? なんや碇のオヤジさんが来とるんかいな? どこや?」

 キョロキョロするトウジは捨て置いて、シンジがホームを見る。ペンペンの姿をまず見つけて再度喜色満面。
 そして、視線をつつつつと右へ動かしていくと……居た。

『司令、次は私。マイクを貸してください』
『待つんだレイ。今は大事な場面だ』

 細いホームの柱の影に一応隠れているつもりなのか、身を縮めて構内放送用のマイクをレイと奪い合っているゲンドウが。

「なにしてるんだよ父さん……綾波……」

 シンジの後頭部付近に頭からはみだすほど大粒の汗が現れる。

 幸いにもミサト・ペンペン両者の耳は外野遮断モードに入っているようで、どちらも反応していない。

 ペンペンの無表情な瞳が、揺らいだ。

「……くわぁ(ただいま)」

 ミサトは自然に穏やかな表情に変わっていく自分を感じた。

「……おかえりなさい」






 後日、何故あそこに居たのかとシンジに問いただされたゲンドウは言った。

「……お前とレイだけで何かあっては困る。だからあのペンギンを同居させるのがいいと思ったのだ」

 だがペンギンに話し掛けたことなど当然ないゲンドウは、どうして良いものかさっぱり分からず、考えているうちにリニアは行ってしまうし、ミサトは来るしでタイミングを失ったそうだ。

「同居って……誰と誰が?」

「いや、もう過ぎた事だ。……早く葛城一尉の所へ帰れ」

「??? ヘンな父さん」






つづく 

 
1999/11/21 誤字修正。
怪作さんありがとーございます。

「次回は早く書け!」なお叱りは三笠どらまでどうぞ。

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