……シャムシェルも破れた……
……やはり銀十字の力は…侮りがたい……
『彼らはリリンにこだわり過ぎたようだね』
……ならば……どうする?……
『正攻法が一番さ。……ラミエルあたりでいいと思うよ』
……では…第五の使徒は……ラミエル!……
『目覚めの時だ……存分に暴れておいで』
ネルフ本部・第2試験場
22日前
「起動開始」
淡い色のついたグラスをかけたゲンドウの重々しい言葉で、エヴァンゲリオン零号機の起動試験は始まった。
「主電源全回路接続」
「主電源接続完了。起動用システム作動開始」
眼鏡のレンズにディスプレイに表示された光が反射している。
壁に固定された零号機の頭のお皿が水を得たカッパのように元気に光り、肩に『PROT 0』という文字が浮かび上がる。プロトタイプの零号機、という意味だ。
「シナプス挿入、結合開始」
「パルス送信」
「全回路正常」
「初期コンタクト、異常なし」
滞り無く進行するプロセス。マヤの手元にもマニュアルが広げられているので問題なし。
強化ガラスを挟んでゲンドウが、冬月とリツコを従えるように立っている。その表情はいつになく緊張にこわばっている。
「左右上腕筋まで動力伝達」
腕にも『EVA 0 PROT』の文字が光る。うつむいていた顔を正面に向ける零号機。
「絶対境界線まで、あと0.9……0.7……0.5……」
緊張を多分に含んだマヤのカウントダウンだけが響く。
「0.3……0.2……0.1……突破!」
「エヴァンゲリオン零号機、起動しました!」
小さく歓声が上がる。
ゲンドウは眼鏡をくいと直しながら、わずかに開いた唇から安堵のため息をついた。
「―――引き続き連動試験に入ります」
「……待て。パイロットと話をする」
「了解。エントリープラグとの通信回線を開きます」
マヤは表面上は落ちついてそう答えたが、すぐには操作方法が浮かんで来ず、慌ててマニュアルをぱらぱらとめくる。
「……3章の2−6−1よ」
「は、はいっ」
ぼそりと投げられたリツコの支援を嬉しく感じながら目的のページを開いたマヤは、操作を思い出してコンソールに指を乗せた。程なく接続はなされる。
「―――レイ。大丈夫か」
『はい、問題ありません』
「そうか。ならばいい」
頑張ってつないだのに交わされた言葉はそれだけだった。少し不満げにマニュアルのページを元へと戻し、連動試験に備えるマヤ。
だが、その時悲鳴にも似た男の叫びが辺りを駆け巡った。
「たっ、大変です! 第8制御プログラム郡でメモリリーク発生! リソースを食い潰しています!」
「保護エリアに異常発生! 緊急停止処理、作動しません!」
「なんですって!?」
声を聞いたリツコが駆けつけて誤動作しているプロセスを抹消しようとするが、数千のプログラムが同時に走っているため判断が絞りきれない。
「駄目だわ……実験中止! 直ぐに零号機の接続を解除して!」
「えっ、えっ? ど、どうすればいいんですかっ!?」
「停止信号よ!」
「は、はいっ! ……あれ? えいっ、えいっ! ……だ、だめですっ、停止信号発信出来ません!」
騒然とする室内。何とか零号機を停止させようと思いつく限りの操作を行うリツコとオペレーター達。
対して、全く問題無く安定し微動だにしない零号機に乗ったレイは、耳に飛び込んでくる緊迫した声をぼんやりと聞きながら思った。
(……止めたいなら電源、落とせばいいのに)
だが、リツコがそれに気づいた時には既に遅かった。先ほどの男の声がまた響く。
「な、なんだこれは? 操作してないのに勝手に信号出してるぞ!」
「先輩っ、オートイジェクションが作動してますっ!」
「いかん!!」
目を見開いて身を乗り出すゲンドウ。
その眼前で非常脱出用の機能が誤作動し、零号機からエントリープラグが射出された。
青白い炎を噴出しながら飛び上がったプラグは、天井に激突し、火花を散らし、ギャリギャリと削るような音を立てながら滑るように走る。
「環境もやられたみたいだ! 特殊ベークライトが注入されてる!」
「そんな、ありえないわ! ……とにかく全システム手動により強制停止処置!」
「もうキー入力も受け付けてくれません!」
「貸しなさい!」
リツコが制御システムの強制終了・主電源停止を行っている間にも、その推進力によって巨大な実験場の天井隅の部分に押しつけられているプラグ。
やがて噴出も止まり、重力の支配するところとなったそれは落下する。
「レイ!!」
ゲンドウはモノリスの様にそびえ立つ制御機器のひとつに足をぶつけ顔をしかめながら、飛び出して行った。
白い床面に転がるエントリープラグに駆け寄ったゲンドウは非常用ハッチのレバーを掴むが、
「ぐぁああぁっ!」
高熱を持った金属部品に手を焼かれ煙を上げながら2歩下がる。その際に眼鏡を落としたが、彼の意識はプラグ内のレイにしか向いていない。
再度レバーを握り、皮膚の焼ける嫌な臭いと、先程以上に派手な煙を上げながら回す。
その様子を驚きの表情で見下ろすリツコ。
「―――レイ! 大丈夫か!」
広い空間に反響する声がエコーとなってゲンドウの声に重なる。
「レイ!」
狭いハッチから上半身を突っ込んで、プラグから溢れ出した熱いLCLで濡れるのも構わず、レイに呼びかけるゲンドウ。
力無くうなだれていたレイが、ふるふると身体を震わせながら顔を上げ、ゲンドウに向けた。
そして、小さく肯く。
「…そうか…」
落ち着きを取り戻したゲンドウが優しい声で呟いた。
その足元でLCLに浸った眼鏡が、熱で歪み……ピシリ、とひび割れる。
この事件でレイのゲンドウに対する好感度はかなり上昇した……が。
―――ゴン
「いて」
安心して気が抜けたのか、プラグから出ようとして後頭部をハッチ上部にぶつけた姿が滑稽だったので、3割引。
美少女…なのはそっちの彼女の方だろう…戦士
葛城ムーン
第5話
「ミサトあせる!レイちゃん初戦闘」
薄暗い実験場で、ガスバーナーが金属を切るような火花の炸裂音がバチバチと聞こえる。
目下ベークライトの山から零号機を掘り出す作業が続けられていた。
「綾波レイ14歳。マルドゥックの報告書によって選ばれた最初の被験者・ファーストチルドレン。
エヴァンゲリオン試作零号機専属操縦士。
過去の経歴は白紙。全て抹消済み……」
リツコがコーヒーをすすりながらレイのデータを読み出している。
「で、さきの実験の事故原因は何だったの?」
なぜか傍らにはミサトが居た。休憩中(当人が自主的に取得)である。
「今だ不明。……ただし、推定ではシステム開発技術者の精神的不安定が第一原因と考えられるわ」
「あ〜、一日二日寝ないなんてザラだもんね〜MAGI関係の人たち。……でも、あの辺の責任者ってリツコ、あんたじゃなかったの?」
「あなたね、いつまでもこんなところで油売ってないで自分の職場に戻りなさい」
「い〜じゃないのよ、使徒が来たわけじゃなし。で、そこんとこどーなの?」
リツコは陰鬱な溜め息を吐くとデータを閉じ、端末からディスクを抜いて白衣のポケットに入れて立ちあがった。そしてミサトの横を通りすぎる瞬間にぽつりと言う。
「実験の前日に突然辞令が来て、システムだけ、外されたわ。可哀想に、新任者は来て早々責任取ってクビ。その日のうちに私が担当に舞い戻ったのよ」
「ちょっとそれって……」
ミサトは振り返ってリツコの背中に疑問を投げかける。
「偶然、よね?」
リツコは振り返らなかった。
「……偶然よ。事故が起きると分かっていた人間が居るなんて考えたくないわ」
「……そうね。事故を起こそうとした人間が居るなんて考えたくないわね。しかも、まだリツコには……」
「使い道がある? ……やめて頂戴、薄気味悪いわ」
タイムスケールは現在に戻り、山の中。
葛城ムーンの働きによって駆逐された使徒の身体を丸ごと覆う形で足場が組まれ、解体施設が設置されている。
内部では使徒の解体・解析作業が進められていた。
「これがミサトさんの倒した使徒ですか?」
緑色の十字が入ったヘルメットを被ったシンジが使徒の残骸を見上げて尋ねる。
「そ。あたしと、シンジくんのお友達がやっつけた使徒よ」
「トウジがですか?」
オレンジのつなぎを上半身はだけウェスト辺りで結び、黒いシャツ姿で腰に手をあてて同じ方向を見上げているミサト。
「いやー確かそんな名前じゃなかったような……」
「じゃあ……相田ケンスケ?」
「あー良く覚えてないんだけど、そうだったかな」
二人の視線の先には、いつもの白衣+ヘルメット姿で報告を検分しているリツコが居た。
「なるほどね……コア以外は殆ど原型を留めているわ。ほんと理想的なサンプル……」
立ちあがったリツコはミサトたちに顔を向け、無意識にひょこんと小指を立てて声のトーンを上げた。
「有り難いわ」
「でぇ、何か分かったわけ?」
もじょろにょろそにょろ、ピー。
妙な音と共にモニターの黒い画面にグリーンの文字で『601』と表示された。
「何これ? 使徒の住んでる部屋の番号?」
「……まさか。これは解析不能を示すコードナンバーよ。使徒が粒子と波の両方の性質を備える『光』のような物で構成されている事、それと動力源らしきものが見つかっただけで、後はまだ霧の中なの」
「まだまだ未知の世界が広がっているわけね」
「とかくこの世は謎だらけよ。例えば……ほら、この使徒独自の固有波形パターン」
「どれどれー……」
紙コップを片手に覗きこむミサト。
「これって」
「そう。構成素材の違いはあっても、信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似しているわ。99.89%ね。過去2件の憑依現象も、その辺りが関係してるんじゃないかと推測しているの。根拠の無い勘に過ぎないけど」
ミサトが顔を上げると今度はシンジが紙コップ片手に画面を覗きこむ。
「あ、そうそうその何とか現象の事なんだけどさ……最初の女の子と、次のお兄さん、もう退院してるでしょ? あれって検査で異常無しって事で退院なのよね?」
「ええ。身体的にも精神的にも後遺症などは残ってないそうよ。念のため通院は続けてもらう事になってるわ」
ミサトとリツコは会話を続けている。
ひとり手持ち無沙汰になったシンジはゲンドウと冬月が通りすぎたのに気付いて目を向けた。
クレーンで吊り下げられゆっくり降りてくるひび割れた使徒のコアを前に居並ぶゲンドウと冬月。
ゲンドウは手袋を外し、素手でその表面に触れ手触りを確かめている。
「これがコアかね……残りはどうだ」
「それが、劣化が激しく資料としては問題が多すぎます」
解析班所属の白衣を着た男が答え、ゲンドウは少し考えた後告げた。
「構わん。各部のサンプルを取ったら他は全て破棄しろ」
「はい」
ゲンドウの掌に火傷らしき痕があるのを見ていたシンジは、ミサトが背後から迫っているのに気付かなかった。
「どしたの? お父さんの方じーっと見ちゃって」
「うわっ。あの、いえ、別に……」
突然両肩をつかまれてしどろもどろになるシンジの背中をぽんと叩いてミサトは微笑んだ。
「何か話したいことがあるなら、言ってきたら?」
「いえ、違うんです。ただ……どうして父さんの手、火傷してるんだろうって思って……」
「火傷……? あら、ホントだわ。……リツコ、知ってる?」
話を振られたリツコは、神妙な面持ちでシンジを見つめ、口を開いた。
「あなたがここに来る前、起動実験中に零号機の制御システムが暴走したの」
「あ、あれかぁ……思い出したわ。確か、その時レイがエントリープラグに閉じ込められて」
「綾波が?」
「そう。そして彼女を碇司令が助け出したの。過熱したハッチを無理矢理こじ開けてね」
「父さんが……」
「掌の火傷はその時のものよ」
「そうですか……じゃあやっぱり綾波は……」
目を伏せて難しい顔をするシンジ。
「里子に出された僕の双子の妹なのかな……」
「はぁ!? な…なにを唐突にこの子は」
「あれ、ミサトさんの産まれた地方では言いませんか? 『双子は縁起が悪いから子供のどちらか片方を親戚に養子に出す』って」
「聞いたことは、あるけど……なんでまた急にそんな事を?」
「綾波と僕って似てるような気がして……何だか父さん、綾波の事娘みたいに大事にしてるらしいし、もしかして兄弟なのかなって思ったんです」
その顔があまりにも真剣だったのでミサトのみならず、リツコさえも吹き出してしまった。
「レイとシンジくんは確かに似てるっちゃぁ似てるけど、ちょっち…いやかなり飛躍しすぎなんじゃない〜?」
「しかも里子……シンジくん、あなたいつの時代の生まれなの……」
(何か僕おかしなこと言ったかなぁ……?)
自分の発言の時代錯誤大暴走ぶりに気付いていないシンジは良〜く考えて、はたと前提条件の誤りにぶつかった。
「あ、そうか! 僕の方が里子に出されたんですね!」
そのボケがとどめになって、リツコは口を押さえて顔をそむけ肩を震わせ、ミサトは大口を開けて爆笑しだした。
シンジは言った瞬間に多大な後悔に襲われ、恥ずかしさに身が細る思いをした。
ザパーン!
スクール水着に身を包んだ少女が華麗な曲線を描きながら水面へと飛びこむ。
「ああっまた! 飛びこみは禁止なのよー!」
ヒカリが両手でメガホンを作り、規則違反の少女に注意を促すが当の本人は勝負に夢中、身体は水中なのでさっぱり通じない。
「行っけぇ〜〜ヒデコ〜〜〜っ!」
腕を振り上げて友人の応援をしている少女。
太陽を反射してキラキラと散る水飛沫を視界に納めながら、ひとりひさしの下で膝を抱えて見学しているレイ。
一方校庭では男子がバスケットなぞを行っている。
他のグループの試合が終わるのを待っているシンジは、里子説は捨てたもののまだ、従兄弟くらいの親戚かな……と延々無駄に考えていた。
昨夜電話でゲンドウに尋ねて見たのだが『……くだらない事で電話をするな』と切られてしまった。
リツコに聞いても過去の経歴は抹消済み、で不明。
手がかりが無くなってしまったのがかえって想像力を刺激しているようだ。
ずっと動かないレイを見ている。
隣に座っているトウジが両手をわきわきと動かしながら、鼻の下を伸ばしていた。
「みんなええチチしとるなぁ〜〜〜」
「ったくトウジお前は単純だなぁ〜、それよりあの脚を見ろよ足を! いいよなぁ、ハイヒールとか履いてほしいよなぁ」
ケンスケはやっぱりマニアックだった。
「なんかスズハラって目つきやらしい〜!」
「いやぁメガネで隠れてるけどきっと相田の方がねちっこいわよぉ」
「あ、でも碇君もこっち見てるよ。きゃー、次の美少女戦士に選ばれたらどうしよう〜〜〜!」
お気楽に騒ぐ少女たち。
いつの間にか『コスプレのパイロット』から『美少女戦士の選抜をしているのはシンジらしい』へと噂に尾鰭がついていた。
……機密はどこへ行ったのだろうか。
「お、センセ、何熱心な目で見とんのや」
「綾波きゃ? ひょっとしてぇ2人目の戦士はショートカットの水属性なのかぁ?」
ニヤニヤと笑顔で迫ってくる二人に思わず及び腰なシンジ。
ケンスケの発した専門用語の意味がわからなかったが、その勢いに恐れを成して慌てて否定する。
「ち、違うよ」
「まったまたぁ、あ・や・し・い・なっ」
「せやせや、あいつ1年の時に転校してきてからずっと、人と親しくしてるところ見たことないからなぁ、さしづめ孤高の天才少女ってところやろ?」
「そしてあの髪型と青を基調としたカラーリング! まさに2人目の戦士にうってつけ!」
徐々にヒートアップしていく二人。
「寂しさに凍てついた心が友情と言う名の焔に溶かされた時、新たなる戦士が誕生するっちゅう筋書きやな!」
「綾波が変身してスーツに身を包んだところを想像してみろよ!」
「くぅ〜〜〜たまらん! 綾波の胸……」
「綾波のふともも……」
「「綾波のふくらはぎぃ〜〜!!」」
盛りあがっているところに水を差すのもなんなので、シンジは苦笑を浮かべながら曖昧に言葉を濁す以上の弁解をしなかった。
ただ、2人目ってどういう事だろう?とか、ミサトさん以外にもああいう格好で戦ってる人が居るのかな?などの疑問が心の隅に小さく残ってしまった。
「なによこれぇ」
「カレイよ」
夜の葛城家。
リツコが使徒の来襲で延び延びになっていたミサト&シンジの転居祝い(または単なる生活環境の視察)に訪れていた。
「そうじゃなくてこっちのお鍋に入ったどろどろした物体は何?って聞いてるの」
「ああ、そっちはカレー。あたしが作ったのよん」
「……やっぱりね。シンジくん、悪いけど私はカレー要らないわ」
食卓にはシンジの手によるカレイの煮付け(圧力鍋で骨までとろけるように煮込まれ美味しく頂けます)他数品のおかずと、ミサトが特別に腕をふるった特製カレーが並んでいた。
「せっかくリツコの為に作ったんだから、遠慮しないで食べなさいよ」
「……私は遠慮じゃなくて拒否してるのよ」
「いーから食べてみなさいって。昔作ってたようなレベルとは全然違うんだから」
「要らない。もうその言葉には騙されないわよ」
おたまを持ったままお皿にカレーを流し込むべきか否か、話の成り行きを見守っているシンジ。
「もーリツコってば強情なんだからー。いいからシンジくん、どばぁーっと入れちゃって。あとあたしのはこれにお願い♪」
みそ味の大きなカップ麺に入れろと差し出すミサト。
リツコは苦虫を噛み潰したような表情こそしているが、それ以上抗う言葉を発しないでいたので、シンジはリツコの前の皿にカレーをかけ、続けてミサトのカップ麺にもそうする。
「最初っからカレー味のカップ麺じゃこの味はでないのよ〜。いっただっきま〜す♪」
よーく混ぜながら、スープとお湯を少なめにしておくのがコツ、とのたまうミサト。
彼女が美味しそうに麺をすする姿を、冷たい目で見据えながらリツコはスプーンを手にした。
「「う」」
リツコとシンジはスプーンをくわえたまま固まった。
「「レトルトを原料によくここまで……」」
芽吹いた感想を吐露して、互いの呟きに気付き、顔を見合わせる両者。
二人はクスリと笑ってスプーンを置き、改めてお茶碗にご飯を盛るとカレイに箸を向けた。
ちなみにもうひとりの同居人ペンペン一等兵は、ミサトがカレーを作っているときの臭いに危険を感じ、ケンスケの家に逃げ込んで難を逃れる事に成功していた。
やはり、いざと言うとき頼れるのは己の感覚だけである、と後にペンペンは語ったそうな。
くえくえくわ〜ばっかりで誰にも伝わらなかったが。
食後、もったりした空気がリビングを包む。
「そうだ、忘れるところだったわ。シンジくん、頼みがあるの」
「何ですか?」
「綾波レイのセキュリティカードが更新になったんだけど、渡しそびれたままになってて。悪いんだけど、本部に行く前に彼女の所へ届けてくれないかしら」
「…はい」
差し出されたカードを受け取ったシンジは、レイについて何か書いてないかとじっと見る。が、当然のことながら名前とID番号くらいしか無い。
「それと……これもお願いね」
リツコは続けて鈍色の小箱を取り出した。
「いつものと違うから間違って使わないように、とレイに言っておいてちょうだい」
「使う? これ、何なんですか?」
箱は軽く、振ってみても音は何もしない。
リツコは意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「女の子だけの秘密よ」
「え〜なになになに〜? ちょっとシンちゃんそれ見せてくれる〜? あたしは見てもいいのよね?」
「……女の子のつもりでいるなら、それは随分とずうずうしいわねミサト」
「なによぉ。いくつになったって、夢見る気持ちに変わりはないのよ!」
「はいはい、そうね」
「うがぁーっ、軽く流されると腹立つわぁーっ……で、シンジくん」
逆立てていた柳眉を一瞬で元に戻し、真顔になったミサトがシンジに顔を向ける。
「は、はいっ? なんですか?」
こっそり箱を開けようとしていたところに声をかけられ、慌てて取り落とすシンジ。
「レイの事、よろしくね。あの娘、不器用だからあんまり喋らないでしょ? 誰に似たのかしらねぇ」
「どうして私を見るのかしら?」
「え〜だってレイと一番長い時間居るのリツコじゃないの。それに、あんたも不器用だし」
「私が? 私のどこが不器用なのよ」
「……生きることが。
とか言ったらカッコいいけど、そうね例えば……その頭についてるネコの耳みたいなモノは何かしら?」
リツコは頭に手をやって硬直。瞬く間に赤面すると、そそくさと逃げるように帰っていった。
「な〜んですぐ外し忘れちゃうのかしらねぇ」
「……その前に、使徒も来てないのにどうして着けてたのかが気になるんですけど」
「あの形が恥ずかしいから、変えられないか研究してるって聞いたわよ。あたしにはアレがしっくり来るんだけどねぇ」
Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon
第3新東京市の中枢部から外れた地域に、果てしなく感じてしまうほどにずらりと居並ぶ団地。
都市建設に携わった人々の住まいだった所。
人の姿も見られない静まり返った建物の合間を、重機が奏でるガーンガーンという音だけが響く。
『402 綾 波』
表情の無い扉の前にシンジは立ち、カチカチと呼び鈴のボタンを押していた。
「鳴って…ない…?…故障かな」
拳を握り、ノックする。2度、3度と繰り返すが返事は無い。
預かっているのがセキュリティカードで、これが無いとレイは今日ネルフ本部に入れないと言う状況で無ければ諦めて帰っているところだが……シンジはドアノブに手をかけてみた。
鍵は掛かっていなかった。
「ごめんください……碇だけど」
中に入ってまずシンジは室内の薄暗さと、床についている足跡に驚いた。レイは靴を脱がずにそのまま部屋にあがっているようだ。
「綾波、居ないの? 入るよ?」
その場で靴を脱いだシンジは一歩踏み出そうとして躊躇し、また靴を履くと使われていないコンロを尻目に奥へと進んだ。
そこは病室だった。
少なくともシンジにはそう見えた。
そう見えるほどに物が少なく内装が静かだったからだが、壁も床もコンクリートがむきだしなのは、病室よりもひどい。
ガーン、ガーン。
耳に入る音は窓越しに飛びこんでくるそれだけ。
(きれいずき……とはちょっと違うみたいだな)
ベッドに制服が放り出されている。
小さな冷蔵庫の上に薬の入った袋と包帯、ビーカーに水。傍らのダンボール箱に血が付着した使用済みの包帯が捨てられている。
僅かに開いたカーテンの隙間から差し込む光が明るさの全てだった。
そしてその光がミニタンスの上に置かれたメガネを照らしている。
「綾波のかな……」
ヒビの走ったレンズからは既に実用をなさないと思われ、執着、と言う言葉とは無縁に見える部屋の様子からそれは浮いていた。
何気なくメガネを手にし、これまた何となくかけてみるシンジ。途端に目眩がする程の度のキツさを感じて眉根を寄せる。
(違う……こんなに目が悪いならメガネ無しで歩けないな)
―――しゃっ。
早く外そうとメガネに指をかけた時、背後でアコーディオンカーテンを開けた音がしてシンジは振りかえる。
「……碇君?」
「あ、綾波ゴメン、勝手にあがっちゃって」
レイはシャワーから上がったばかりで全裸にバスタオルだけ、という姿だったが、幸いなのかどうなのかシンジにはレンズによって像の崩れた、ぼんやりした白い影にしか見えていなかった。
「その眼鏡、壊れてるから危ないわ」
レイはシンジに近づくと、メガネを外そうとする。
ところが、たまたま金具にはさまり引っかかっていたシンジの髪の毛を一緒に引っ張ることになってしまい、痛みを感じたシンジは反射的に顔を前に出す。
メガネと顔の距離が縮まってしまったので、レイはもっとメガネを引く。
そしてそれは一瞬の間に3度繰り返され―――
「うわっ!」
―――どたん。
バランスを崩したシンジは引き倒され、レイの上にのしかかる形になってしまった。
下敷きになったレイの右手には、外れたメガネが確かにある。ということは。
「……どいてくれる?」
突然目の前にレイの裸身が現れたように見えて呆然とするシンジ。
しかもシンジの左手はレイの胸を掴んでしまっている。
「あっ、わっ、いや、ご、ゴメンっ! あのっ、だから、そのっ……いたっ!」
大慌てで赤くなりながら飛びのいたシンジは勢い余ってタンスの角に後頭部を強打してしまった。
「〜〜〜〜〜っ!!」
頭を抱え、ぎゅっと目を閉じてうずくまるシンジに、レイはのっそりと起き上がりながら声をかける。
「大丈夫?」
「う、うん、平気……だと思う……いたたた……」
「頭見せて。傷になっていないか調べるわ」
そう言いながらレイはシンジの頭をがっちりと両手でキープし、髪の毛をまさぐるようにして爆撃点を観察した。
「血は出ていないみたい」
「そう? ありが……と……」
目を開けたシンジは、至近距離で素肌を見てしまい絶句する。
「どうしたの?」
レイがシンジの顔を覗き込む。
「ふ…ふく……服っ、とにかく服着てよっ」
シンジはぶおんっと空気が鳴るほどの素早さで顔をそむけ、よせばいいのにまた飛びのいた。
―――ゴッ。
今度はベッドのパイプがシンジの弱った頭皮に追い討ちをかけた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「碇君……わざと?」
「ち、違うよ……ちょっとビックリして……」
レイを見ないように目をそらしたままシンジは、かなり真剣に痛い頭を押さえつつ涙すら滲ませながらも照れ笑いを浮かべた。
(あ……)
その笑顔を見たレイは僅かに目を見開くと、かねてより疑問に思っていた事……それを考え続けて寝不足に陥り、日中居眠りしてしまう程知りたかった事……を尋ねてみた。
「……どうして、碇君は笑うの?」
「……え?」
不意に浴びせられた質問にシンジが止まる。
「笑われた時、どうすればいいの……?」
意味が良く理解できなかったシンジは、レイの瞳に目を向けた。
その紅い相貌はじっと答えを待っていた。
「笑われた、時……?」
シンジはレイの言葉を反芻する。
「そういう時、どんな顔すればいいか分からないの……」
シンジには難しい質問だった。そんな事、今まで意識した事もなかった。
小さくない衝撃を受けたシンジは、どう答えるべきか考えた。
ほんの僅かな時間だがレイと過ごした時の記憶を辿り、ミサトから聞いていたレイの人物像を思い出し、そして父やリツコ、果てはネルフそのものに至るまで自分の持つあらゆる情報を引っ張り出しながら、考えた。
そして、自信無さそうに目を泳がせながら、告げた。
「……笑えばいいと思うよ」
「そう……。……こうするの?」
その後しばらくシンジはレイの微笑みに見とれていたが、レイが一糸纏わぬ姿だと再認識すると、3度目の激突を起こして今度は本当の意味でクスリと笑われてしまった。
ネルフへと向かう道のりでシンジとレイの間に会話は無かった。
いろいろな意味で恥ずかしい先刻の事件から立ち直っていないシンジは、レイと顔を合わせることができず、飛ぶように部屋を出てからずっと彼女より先を歩いた。
電車では離れて座り、ネルフのゲートもさっさと通っていくシンジ。
何故避けられているのか良く分からないレイはぐるぐる回る思考の森に迷い込みながら、ついにエスカレーターで距離が縮んだ瞬間を捉えて声をかける事に成功した。
「碇君……私、なにかいけない事をしたの?」
「……そうじゃないよ」
「なら、どうして―――」
「あの、これから零号機の再起動実験だよね」
背中を向けたままのシンジが話を変えようとレイの言葉を切る。
「………ええ」
「うまく行くといいね。エヴァが動けば……ミサトさんが無理しないで良くなるし」
「……そうね」
「綾波も、無理しちゃダメだよ」
普段通りの暖かい響きを含むシンジの声。レイは少なくとも拒絶されているのではない、と判断した。そしてそれ以上疑問をぶつけるのはやめて無言に戻った。
「これより、零号機の再起動実験を行う。第一次接続開始」
ゲンドウの声から開始される起動プロセス。
ディスプレイされる諸数値をチェックしながら、前回の実験後のごたごたを思い出しているリツコ。
『―――問題が、無い?』
『はい。指示のありました138箇所全てを洗いなおしましたが、問題のあるコードはありませんでした。ただの1ラインも』
チェック担当者の目が睡眠不足からか赤く血走っていたのを良く覚えている。
『MAGIによる再チェックは?』
『そちらも完全にノープロブレムです。これだけ厳重なテストを潜り抜けるとは、厄介を通り越して芸術的なバグですよ。誰が作りこんだのか、仕事抜きでも知りたいですね』
制御部を暴走させ、危うくレイの命を奪うかもしれなかったシステムエラーは結局見つからなかった。
だがリツコはそれがまだMAGIに潜んでいて、今後問題を起こすとは考えなかった。
既に仕掛けた人物によって元通り撤去されているだろう。誰が行ったのかは皆目分からないが。
(……ネルフ内部に入りこんでいる人数……10じゃきかないかしら)
外の敵、使途だけでも大変なのに……と憂鬱になるリツコ。
「……0.2……0.1……突破。ボーダーライン、クリア」
「零号機、起動しました」
オペレータはほとんどが新しい人間に代わっており、前回の事故を自分の目で見ていた者はマヤくらいしか居ない。
そうしたのはリツコだ。能力的な質の低下は承知の上で、より『危険性の少ない』メンバーを集めた為に現状のスタッフ構成に落ち着いている。余分な仕事が増えるも止む無し、だ。
『―――了解。引き続き、連動試験に入ります』
レイの声がマイク越しに響き、テストは次の段階へ移ろうとする。
だが、その時。
冬月が耳にあてていた受話器を置いて、ゲンドウの背中に声をかけた。
「碇、未確認飛行物体が接近中だ。おそらく、第5の使徒だな」
「そうか。―――テスト中断、総員第壱種警戒体制」
「壱種……このまま零号機を使うのですか? まだ実戦は無理だと思われますが」
リツコの問いかけを受けてゲンドウは押し黙った。
そして数秒の間を置いて口を開く。
「ATフィールドを中和できるとは言え、葛城一尉には装甲が無い。エヴァの起動が確認された以上、人道的見地から出撃は認められない」
((人道的?))
冬月とリツコの心の疑問符が奇麗に同調する。
(まさか碇からそんな言葉が聞けるとはな……)
苦笑を禁じ得ない冬月。リツコはかろうじて無表情を保った。
「……分かりました。零号機の準備は380秒で出来ます」
「出撃だ」
零号機の起動を、少し離れた通路の小窓から見ていたシンジたちの頭上にも緊急放送が降る。
『―――総員、第壱種警戒体制―――』
「ありゃ、あたしの出番じゃないみたいね」
「綾波が戦うんですか?」
「そうなるわね。発令所に急ぎきましょ、シンジくん」
ミサトは手に持っていた紙コップのブラックコーヒーを一気に飲み干した。
『―――レイ、聞いた通りだ。大丈夫か?』
「はい」
私が戦う。私が戦って使徒を倒す。そうすれば、碇君も葛城一尉も危険な目に遭わなくて済むから。
でも、何故そう思うの?
なぜ碇君や葛城一尉が安全であって欲しいと思うの?
『使徒殲滅が最優先だが、無理はするな』
「……はい」
分からないけれど、今は命令が優先。
発令所のメインスクリーンには飛来する金属的光沢を放つ青い八面体が映し出されている。
『目標は芦ノ湖上空に侵入。無人偵察機による牽制攻撃を開始します』
画面上ではゴマ粒のように見える、有人機よりも二回り程小さい戦闘ヘリがわらわらと使徒を取り囲んで輪を縮めて行く。
「零号機、発進準備よろし!」
「発進!」
日向の報告を受けて、葛城ムーンでないミサトが命令を出す。
巨大な搬送リフトに載って地上へ撃ち出される零号機。
「無人偵察機の攻撃はATフィールドにより無効! 肉眼で確認できる程強力なフィールドです!」
「目標内部に高エネルギー反応! 円周部を加速、収束して行きます!!」
リツコが睨むようにスクリーンを見つめていると、それは強烈な光を浴びたように真っ白く、何も見えなくなった。
そして、白く染まった映像が空の青さを取り戻すと、使徒の回りを飛んでいたゴマは一粒残らず消えていた。
「まさか……加粒子砲……?」
「無人偵察機全滅! 使徒の砲撃と思われる発光により撃墜されました!」
「目標に再び高エネルギー反応!」
ミサトの戦士としての勘が激しく警鐘を鳴らした。
「伊吹二尉、零号機戻して!」
「えっ、は、はい!」
止めようとするが既に遅く、零号機の機体は道路を割り開いた搬出口から現れ外気に晒される。
『零号機、作戦開―――』
使徒の一部が光る。
「ダメっ! よけて!」
兵装ビルを貫いた光線が、零号機の胸部をえぐった。血飛沫のように赤い火花を散らしながら。
『―――!!!!!!!!!!!!!!―――』
レイの悲鳴が響いた。
「レイ!」「綾波!」
「レェェェェェイ!!!」
ミサトとシンジの叫びを掻き消す程に、ゲンドウの叫び声は大きかった。
「おい碇、落ち着け。それ以上乗り出すと落ちるぞ?」
許される事ならば背中を押してでも落ちて欲しいと思いながら冬月は投げやりに注意した。
つづく
2000/03/20 初版。
但しアイキャッチより前半は「
EVAを愛する人たちへ
」内「愛と電波の泉」よりサルベージ。
「レイちゃんをいぢめるなぁ!」なお小言は三笠どらまでどうぞ。
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