15年前
西暦2000年
冷たく虚ろな闇の世界。
だが全面漆黒に塗りつぶされてはおらず、光る砂粒が遠く背景に散っている。
寄り添い固まる粒子たちは「月」と視認される天体の形を描いている。薄い大気は堕ちる流星の勢いを殺すに事足りず、それは大小様々な円を穿ち、地にクレーターが敷き詰められる。
動く物体は見当たらない。青や緑の色彩を放つ植物もない。鉱物だけが触れることの出来る、形在る物の全て。
だが、それら窪んだ傷跡が覆う地に、唯一つ、高さを持った『建造物』が存在していた。水の星から顔をそむけた、地球から見上げれば裏側に当たる位置に。
それは透明な半球を伏せたような形であり、その内側には中央部に美しい宮殿、その周囲に寄り添うように大小様々な塔や住居が整然と並んでいる。
それらの建物全ては光沢を持つ鉱物と思われる、地球では見られない建材で造られており、半球を透かして見る光景はさながらゼリーに閉じ込められた水晶の城だ。
しかしそのドームの中にも生きる者は見えない。住人たちは閉じこもっているのか? あるいは、誰も居住していないのか。
いずれにせよ人類が恒常的に地球外で生活する手段は未だ確立されていないのだから、この都市は地球外知性体文明の業物、あるいは進化の歴史の定石を覆す物証たりえる存在である。
にも関わらず地球に広く知られていないのは、観測されていないからか、それとも意図的に情報が隠蔽されているからだろうか。
謎は尽きない。
視点は輝けるドーム都市から離れ、凸凹の月面を舐めるように走り、やがて地平線から昇る青い地球を捉えた。
西暦2000年、9月13日。
南の極に、月からでも確認できる程まばゆい光が生じる。
それは『滅び』を逃れる為に選ばれた苦渋の決断を示す、悲しみの光だった。
セピア色の過去の中で、意識の無い少女はがっしりした男の手で運ばれている。
風に散った雪の破片が舞い、視界を不確かにする。
男の足取りは今にも倒れそうなほど弱い。
だが一歩、前へ。
そびえる金属の電波塔が傾き、折れる。吹き飛ぶ破片。
足元に倒れた防寒服姿の死体を避けて、さらに一歩、前へ。
男も、抱えられた少女も、服に大きな裂け目があり、そこから紅い血を流している。
色の無い世界で、失われていく血液だけが赤く見える。
男が逃げ出してきた基地の屋根はもう用を成さぬほどボロボロにはがれ千切れており、建物自体も倒壊寸前の損傷を受けている。
男の出血は酷い。
意識も半ば無い状態で、それでも一歩、前へ。
真一文字に口を結び、ただ極点から離れるべく進む。
やがて、瓦礫の散乱する崩れかけた観測施設で救命カプセルを見つけた男は、震える指でレバーを握り締め、引く。
ハッチが開く。動く。まだ使える。
突風でバタバタなびいていた屋根の一部が、吹き飛ぶ。
巨大な、人間の形をした謎の発光体が、極点付近に立っている。
ヒトの形をした、何か。
光の巨人。
それは僅かに残っていた屋根を完全に破壊して、基地を叩き潰す。
カプセルに寝かされる少女の胸に、銀の十字架が揺れる。
男は、自分の頭に両手を当てると、そこに装着されていた白いネコの耳を象った物体を外す。
そして、それを少女の頭にかぶせる。
男は焦点の合わない瞳で少女を見つめ、紫色に変色した唇で、何かを呟く。
開いた傷口から鮮血が流れ、少女の頬にしたたり落ちる。
ゆっくりと目を開く少女。
ぼんやりと、かすんでいる視界には、ここまで彼女を運んできた男が居る。
「お父さん…?」
ガシュン
一瞬で視界をふさぐカプセルの蓋が少女を、目前まで迫る死の世界から隔絶する。
カプセルの上に倒れこむ男。
爆発的に解放されたエナジー、そしてそれのもたらす衝撃と破壊が極点から押し寄せる。
吹き飛ばされた男とカプセルが海へ落ちる。
巨人の背から光の翼が、成層圏に達する程に伸びる。
吹雪と衝撃波に煽られ乱れる海面を漂うカプセル。
ハッチが開く。
ヨロヨロと立ち上がる白猫耳の少女。
海面から雲の渦へ伸びていく2本の光の柱。
雲の切れ間から光の粒と髪の毛のような細い光の金糸が、ゆっくり降りて行く。
幾千本、幾万本、幾億粒……空に広がる。
それを反射して鈍く光るロザリオ。
血に染まる服。
感情を失った少女の瞳が、カメラのレンズの様に情景を記録しつづける。
姿見の前で、フロントホックのブラをつけるミサト。年輪を重ね成長したミサト。
その鳩尾
(みぞおち)
には傷跡。
化粧台には過去から変わらない輝きを放ち続けるロザリオが置かれている。
外は雨。落雷の唸りが、薄っぺらなガラス窓を突き抜けて耳朶を打つ。
鏡に映る顔は現在の彼女を正確に写し取っている。だが、彼女の目に映っているのは、戻る事叶わぬ旧世紀の自分。
風が水面を荒らすように、過去と後悔が鏡面を波立たせ、記憶と現実の狭間を漂っている。
雷光がミサトと、鏡の中の少女を照らす。
美…少女時代の痛々しい過去が悩ましい…戦士
葛城ムーン
第12話
「よみがえる記憶!ミサトとか父の過去」
不意打ちの夕立は弾丸かいな、と思うほど強烈に浴びせられ、さすがのトウジたちも一時避難の必要を感じた。ゆえに、シンジが提案した葛城家での雨宿りは嬉々として受け入れられた。
「済まんな、すぐ止む言うて、止まんかったな」
頭からタオルをかぶって、わしわしと水分を吸わせているトウジ。そしてケンスケ。もちろん宿主のシンジ。
「我らがプリンセス・ミサトさんは?」
「プリン……なんやて?」
「まだ寝てるのかな? 最近徹夜の仕事が多いんだ」
「ああ、大変な仕事やからな」
「ミサトさんを起こさないように静かにしてようぜ、静かに」
指を口の前に立てて、しぃ〜〜〜とクワイエット指令を発するケンスケ。だが、直後飛び込んで来た大声量に出鼻をくじかれる。
「ああ〜〜〜っ!」
ダイニングキッチンと脱衣所を仕切るカーテンが僅かに開いた隙間から飛び出す白い腕。その指先が男どもを軒並み、汚いモノでも指差すように示している。
顔を出しているのは寂しがり屋の暴れん坊、アスカ御大だ。
「あんたたち何してんのよ!」
「……雨宿り」
「とか言ってあたし目当てなんじゃないのォ? 着替えてんだから、見たらコロスわよっ」
じゃしっ、と閉じられたカーテンの向こうで、ゴソゴソと物音がする。アスカの物言いに神経逆撫でされまくりのトウジとケンスケは、不機嫌に目を三角にして、聞こえないように毒づく。
「じゃかあしいわい、アホンダラ。誰がお前の着替えとんの命懸けて見たいっちゅんじゃ」
「自意識過剰なヤツ」
耳に届くとクッキーの缶蓋とかでパカンパカン殴られるので(アスカ的には手加減。本気だとカド)ひそひそ話になってしまう辺りが気の小さい限りである。
ともかくあらかた水気をタオルに吸わせた少年たちが本日これからの予定について案を交わしていると、ふすまが開いて、赤ジャケ姿のミサトが部屋から出てきた。途端に表情が引き締まり、敬礼など決めるケンスケ。
「お邪魔致しておりますっ! 葛城三佐殿!」
「あら、いらっしゃい」
にっこりと笑みを浮かべたミサトは、だがすぐに真顔に戻って問う。
「さんさどの?」
「この度は、ご昇進おめでとうございます」
「お、おめでとうございます」
腰は直角90度の礼を繰り出すケンスケにつられて、トウジも頭を下げる。
「ありがとう、…でも、どうして知ってるの?」
え、何? どうかしたの?と呆然のシンジをよそに相田節は続く。
「襟章ですよ。線が2本になってる。即ち一尉から三佐に昇進したって事ですよね! さすがはミサトさん、作戦部長としての重責だけでなく、自ら先頭に立って世界を守ってくれているだけでもスゴイのに、この若さで中学生二人を預かるなんて、大変な事ですよ! 俺に言わせれば二佐でも役不足です!」
「あ、そ、そう……光栄だわ」
手放しの賞賛がこそばゆく(+そんな細かい事に気付くケンスケにおののいて)、照れ笑いしつつ逃げる態勢になっているミサト。
「どうしたの? ミサトに何かあったの?」
着替え終えたアスカがラフなショートパンツ姿で嘴を突っ込んでくる。
「なんか、ミサトさんが昇進したって……」
「うっそぉ! いつの間に? 何になったの? 本部長? スーパー部長?」
「本気で言ってるのか? ああ、なんって情けない、君達には人を思いやる気持ちは無いのだろうか?」
言うまでもなくケンスケの身振りはオーバーアクションでアメリカンホームコメディである。額に手を当てて盛大に嘆くそぶりを見せた直後、彼は両手をぐっと握って「そうだっ!」と叫んだ。
「この善き日の感動を思い出に変えるべく、お祝いしましょう! パーティです! パーティと言えば、そう、焼肉! 善は急げだ、早速計画を練らなくては! と言うわけだ諸君、知恵を貸してくれたまえ!」
「お、おう……」
エンジンの回転数が上がってきたケンスケは、彼のテンションに引き気味のシンジとトウジを引きずるようにして、シンジの部屋へ向かう。
しばし呆気にとられていたミサトは、自分がこれから仕事に行くところだった事を思い出すと、襟を正した。
「えーと……ふたりとも、今夜はハーモニクスのテストがあるから、遅れないようにネ」
「はぁ〜〜い」「はい」
「じゃ、行って来るわね」
赤キャベツを煮出して人参のピューレを加えて煮詰めた汁のような色の液体がざぶざぶとガラス窓つき密閉実験施設に注入され、赤いプールになっている。そこへ3本のオレンジ色したエントリープラグが半ば沈められて並んでいる。
ガラスのこちら側には操作・モニタ用の機材が並び、オペレーターとしてマヤが着席し、偉そうに見てる人として赤木博士が後ろに立っている。
「1番、汚染区域に隣接。限界です」
モニタに右からアスカ、シンジ、そして空席と擬似プラグ内の映像が画面三分割で並ぶ。それぞれ目を閉じて集中しており、フレームのやや下の方から照らされて浮かび上がる顔は美少女美少年然として、やけに綺麗な映像だ。
「2番にはまだ余裕があるわね。グラフ深度をあと0.3下げてみて」
モニタに波打っているグラフ……アスカの何かを示すラインがマヤのキー操作に応じて少し沈む。彼女は僅かに眉をしかめ、不快感を顔ににじませるがそれを口にすることはない。今まで一度だって弱音を吐いた事など無い。
「汚染区域ギリギリです」
「それでこの数値。たいしたものだわ」
「ハーモニクス、シンクロ率も順調に伸びてますね。ドイツでの不安定な計測値が嘘みたいに思えませんか」
「不安定? ちょっと見せて」
「はい。重ねると分かりやすいと思います」
マヤの操る端末を覗きこむリツコ。そして眉を潜める。重ね合わせられた2枚のグラフは波形を全く異にしている。これが同じ弐号機パイロットの記録なのか?と思う程だ。
「ほんと、特に8月から11月の平均はガタガタね。なにか問題があったのかしら」
「リツコ、聞いてないの?」
「何を」
こちらに顔を向けるリツコの目を見つめながら難しい顔をするミサト。
リツコの顔を見る限り、彼女にはアスカのドイツ支部時代の「生活」については知らされていないようだ。純然たるデータのみが彼女に与えられた仕事の範疇なのだろう。
アスカの保護者は私。彼女の行く末を考えるのは自分の仕事なのだ。再認識したミサトは首を横に振った。
「なんでもないわ。ま、今がいいならいいじゃない。それより、シンジ君はどうなの?」
「彼は……芳しくないわね」
「数値そのものは悪くありません。起動に7ヶ月かかったレイと比較すれば、かなりの急成長だと思います」
適切なマヤのフォローにうなずきながら、擬似プラグへ目線を向けるリツコ。
「彼の場合、テストと実戦でシンクロ率に大きな開きがあるの。弐号機に同乗した時、そしてユニゾン作戦の最中には、あのアスカに比肩する数値を出している……なのに訓練では50%前後をふらふら。手を抜いて下がるようなモノじゃないし、全く分からないわ」
「……毎度の事ながら、綱渡りでどーにかやってるって感じよねぇ……」
「仕方ないですよぉ。だって人類の命運はコレにかかってるんですよ」
マヤが自分の頭上に白く輝けるネコの耳を指差して微笑む。
確かに、これまでの戦いを顧みると、イザと言うタイミングでこの付け耳が手元に無かったら、とっくにサードインパクト大爆発だったのかと思えば……薄ら寒さを通り越して、寒いジョークで脱力の域である。
じっとマヤの頭に注目しているミサト。だがその瞳は再び時を越えて、過去の幻影を見ている。
そんな彼女の物憂げな様子を尻目にリツコは通信機のスイッチを押した。
『二人ともお疲れ様』
夜闇とAMラジオから流れる女性の声が、夜はこれからミッドナイトな雰囲気(意味不明)をもたらしている車内。しかし残念ながら女二人で乗るミサトとアスカ。シンジがリツコに居残りを命じられ、追い出されるように先に帰らされたからである。まあシンジとミサトが二人で乗ったって、姉弟的安堵感以上の空気にはならないが。
アスカとシンジなら、夫婦ドツキ漫才だろうか。
ネルフ本部を出てからこちら、ずっと無言のままの二人。沈黙を埋めるように喋り続けるラジオ。
今日もチルドレンの頂点として君臨し続ける事に成功したアスカは、ぼへーっと流れて行く街灯を半開きの目で眠そうに眺めている。
「そういえばミサト、昇進って何になったの? ……って元がなんだったのか知らないけど。一応お祝いしておくわ。おめでとう」
「ありがと。でも正直、余り嬉しくないのよね」
「なんでよ? エラくなったなら、財布も重くなるんでしょ? そうなればこんな、古いクルマより新しい速いのに乗れるじゃない」
「……別にお金が無いからこれに乗ってるんじゃないのよ。逆にこういうクラシックなタイプの方が色々と維持費高いし……壊れたらパーツ探すのに苦労するし。メンテだって楽じゃないんだから」
「ふぅん、そうなの。だからなのね」
「なにが?」
「婚期逃す理由―――そうして、車の事ばかり気にしているからよ」
ミサトの目が三角になった(ように見えた)。
「………ユ・ル・サン」
「わっ、前見なさいよ! 軽いジョークじゃない!? ほらハンドル離したらアブ―――んぐっ、ぐるぢ…ぃ……」
それから自動車は、ずっと蛇行運転しつづけた。
6回程ガードレールを突き破りかけた。2回対向車と衝突しかけた。
帰り着けたのは、そして帰宅まで息をしていられたのは、奇跡だった。
「おめでとうございまーす!」
乾杯のグラスがカカンカキン、と涼しげな音色を響かせ、晴れ渡る青い空爽やかな日に集まった有志たちはここ、『御昇進おめでとう祝賀会場 本日貸し切り』とフェルトペン殴り書きの紙が戸口に張られた葛城家の一室で、卓を囲んでいた。
「ありがとう」
今日の主役であるミサトがうっすーい生地のタンクトップで血気盛んな年頃の少年約2名を煽り立てているのにも気付かずに、艶然たる微笑みを見せる。でも片手には銀色のビール缶。
「ありがとう、相田君」
「ちゃうちゃう、言い出しっぺはこいつですけど、後の準備はぜ〜んぶシンジですねん」
「そう、企画立案だけはこの相田ケンスケ、相田ケンスケです!」
「なんで得意満面やねん」
起立するケンスケに鋭い裏手が飛び笑いを誘う。
なぜか焼肉パーティーのセッティングがなされたテーブルには、どこから調達してきたのか円形と四角形のホットプレートが並び、次々とエプロン姿のシンジが運んでくるお皿にはスライスされた肉・野菜などなどが盛られている。
「せやけど、何でイインチョがここにおるんや」
「あたしが誘ったのよ」
「「ねぇ〜〜〜♪」」「くわぁ〜♪」
微笑を交わすアスカとヒカリ他一羽。
ヒカリの膝の上にちゃっかり居着いているペンペンの胸にも軍曹の襟章が光っているのは、ミサト昇進記念ついでにケンスケ小隊長から贈られた特別サービスである。これにより彼には毎週1回望む時におやつがもらえる特典が与えられた。
「綾波は?」
「まだ帰ってきてないって。どこ行ったか聞いてないけどミサト知らない?」
「レイなら護衛任務で「もう、加持さん遅いわねぇ」
質問しといて無視すんなっ、と引きつり笑いに怒り眉。ミサトの手の中のアルミ缶がメキ、と音を立てた。
「そんなにカッコいいの?加持さんて」
「そりゃ〜もう! ここにいるイモの塊とは月とスッポン。比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」
「なんだと! そっちこそ麗しの葛城三佐と比べればハキダメに鶴じゃないか!」
割り箸で人を指す失礼なケンスケに、アスカは冷たい侮蔑の視線を送りつつ鼻で笑う。
「はんっ、こないだのリターンマッチなら受けて立つわよ。あんたなんかに漢字の書き取り以外でこのアタシが負ける事なんて無いって教えてあげるわ!」
「よぉしそれなら漢字の書き取りで勝負だ!!」
「なんでよ!!卑怯よ、あんたそれでも男!?」
「何とでも言えっ! 戦場で敵に背を向けた者には死あるのみなのだよ!」
「おうセンセ、すまん、カルビ追加頼むわ。ほれイインチョこれ焼けとるで。はよ食わんと硬くなってしまうがな」
「くわぁ♪」
「あっこらお前ペンギンのクセに肉食うてええんか!?」
飛び交うスリッパと小競り合いをツマミに、ちびちびとビール缶を傾けているミサト。ようやく皿を一通り揃え終えて人心地のついたシンジが横に座る。
―――ピンポーン
「きっと加持さんだわ! ……ん?」
「お邪魔しまーす♪ 葛城さんっ、おめでとうございます〜」
アスカの期待を裏切って、登場したのはリツコとマヤだった。ご丁寧にマヤはピンク色の花束(恐るべきことにそれが何と言う花なのか図鑑を見ても判らない……これもセカンドインパクトによる環境変化の影響だろうか)を持参して渡してくれる。
ヒカリとトウジの目線が、リツコとマヤの頭の上にロックオン。二人は言葉を失ったまま「それがそこにあるべき理由」を模索しだす。
A、ネルフには変わった趣味の人が多い。
B、実は今世間で大流行しているファッションであり自分が乗り遅れている。
C、自分が幻覚を見ているだけで、彼女達はそんなケッタイなモノは着けていない―――など、まあ考えても考えても正解には至らず、混乱の度合いが増すばかりなのだが走り出した妄想列車は止まらない。
「ありがとマヤちゃん。リツコもいらっしゃい。あのぶわぁかはまだ本部?」
「あら、加持君まだなの? さっきそこで会ったから、もう着いててもいい時間ね」
「どこで寄り道してんのかしら」
「気になる?」
「そんなわけないでしょ」
図星を貫かれても平静を装い、ビールを口にするミサト。しかしアスカにはきっちり見抜かれており、ジト目で睨まれている。
すかさず差し出された座布団に着席するリツコ、そして新たなお客さんの分不足したグラスを取りに立つシンジ。宴は再開の運びとなる。―――だがその時異変が起きた。
「なんだよシンジ、こんなもん丸ごと置かれても食えないじゃないか。切ってくれよ」
「え、ケンスケが持ってきたの、これ」
「いや、俺じゃないぞ。お前が用意したんじゃないのか?」
いつの間にかテーブルのド真ん中に丸い緑黒い球体がのさばっている。デザートはフルーツinヨーグルトを用意しており、冷蔵庫で冷やしていたりするシンジには全然見覚えのない品だ。それを見てリツコは微笑む。
「あら、加持君来てるじゃない」
「えっ、どこどこ? 加持さん?」
キョロキョロと室内を見回すアスカの耳に突然、ガラスをビリビリと振るわせる振動が響いてきた。何事かとカーテンを開いた彼女の目に、説得力皆無の光景が飛び込んでくる。
人が宙に浮いてる。
タキシードを来た、あやしげな仮面で目を隠した人間が、縄梯子らしきモノに片手片足を預けて、こちらに向けて敬礼を贈っている。
「加持ぃ〜!?」
ミサトがあんぐりと口を開く。
常識を超えた現象に己が目を疑ったアスカが窓を開けると、強烈な突風が室内に吹き込んで来てポテトチップスの袋を舞いあがらせた。
見上げると梯子の上には「UN」のペイントが施されたヘリがプロペラを、ひっきりなしに回転させて飛んでいる。
「―――この度は昇進おめでとう、葛城ムーン」
暴風に曝された耳がヒュゥゴォと鳴いているのに、その男の声だけは良く聞こえた。
「司令と副司令が揃って日本を離れるという前例のない事態。これも君を信頼しての行動だと言える。留守を預かる責任者として頑張るんだ」
「ちょっ、ちょっと待っ―――」
「さらばだ、また逢おう」
キラリと白い歯を光らせてバサッとマントを翻すと、ヘリはさらに強い風を捲いて上昇して行く。誰もが腕で顔をかばう中、加持は現れた時と同じく唐突に消えてしまった。
ややあって風が収まり、憧れのオトナの男に対する幻想を打ち砕かれたアスカがへなへなとへたり込む。
「ウソ……あんなの加持さんじゃない……これは夢よ……」
「か……かっこエエ……ワシもいっぺんあんなヘリで空飛んでみたいのう」
「やめて鈴原……それはやめて」
青ざめた顔で呟く者、話には聞いていたが直に目撃して感心する者、常人の枠から踏み出そうとする同級生を止める者、考えるのもバカらしくて天を仰ぐ者などなど……反応は様々だったが、その出来事が大脳に強力なスパークを走らせ忘れがたい経験として身に染みた事は違いない。
居心地の悪い沈黙の中、一足早く我に帰ったシンジはリツコに訊ねた。
「父さん、ここにいないんですか?」
「……あ、私? ええ、碇司令は今、南極に行ってるわ」
赤い海。
南極点に程近い「Dポイント」と呼ばれていた地点を中心とする一定の範囲に渡って、そこにあった氷の大陸は消えうせており、一面赤い色の液体で覆われた静寂の世界が広がる。
その海面から時折突き出している白い柱。極端に尖った流氷のようにも見える白いそれは、何かの結晶が寄り集まったモノらしく、薄暗いオーロラの輝きを受けてちらちらと微かに光っている。
これまた「UN」のペイントが甲板先端部に記されている空母が、布を捲きつけた巨大な細長い物体―――全長数十メートルに渡る棒状のモノ―――を運んでいる。その周囲には護衛艦隊が幾つも。仰々しい護送からその荷物の重要度が計り知れる。
「いかなる生命の存在も許さない、死の世界、南極」
行けども行けども赤と白。暗い空は青と緑。冬月は幻想的ではあるが禍々しいその景色を眺め、誰にともなく呟いた。
「いや……地獄と言うべき「ぶぇくしょい」
ゲンドウは答えの代わりにクシャミを寄越した。傍らのレイがポケットティッシュをくれる。
「すまん。……だが、我々人類はここに立っている。生物として、生きたまぶぇくしょい」
「誰かが司令の悪い噂をしてる……」
鼻をかんだゲンドウは丸めたティッシュをどこへ捨てようかと首を巡らせる。その姿は威厳の欠片も無い。
「お前は昔から緊張感がまるで無いな。それに家族旅行じゃないんだぞ、レイを連れて来て第3を手薄にしてはまずいだろう」
「……私は邪魔?」
どうせ第3新東京市に帰るまでヒマなのでこの機会に、ゲンドウに少しでも組織の長たるに相応しい立ち振る舞いを身に着けさせるべく説教をしてやろう、との考えは、純粋この上ない真っ直ぐな心根を持った赤い双眸に塞き止められた。
「いや、邪魔と言ってるのではなくてだな……」
何気に碇ユイ―――シンジの母の顔を思い出してたじろぐ冬月。うぉほん、と咳払いをして精神的に態勢を立て直す。
「とにかく、15年前の悲劇セカンドインパクトが再び呼び起こされれば、結果、今度は南極だけでは済むまい。地球全土がこの有り様になるのだ。分かっているのか?」
「ああ。……だが、原罪の穢れなき、浄化された世界と言う奴らの気持ちも解らなくはない」
「咎人の宿命、か。俺は罪にまみれても人が生きてる世界を望むよ」
「なら黙って俺について来い。なるようになる」
「それが不安だから黙っていられないんだ……んっ? あれは何だ!?」
海上、白い柱のひとつに何かを発見した冬月は鋭い声で注意を促す。
それを確認したゲンドウは、自己の読みが当たった事にニヤリと笑みを浮かべると、結局捨て場が見つからなかったティッシュをポケットにしまいながら命じた。
「レイ。出撃だ」
「―――はい」
レイの返答に重なるように、緊急を知らせるサイレンが鳴り響いた。続けて男の声で艦内放送が告げる。
『報告します。ネルフ本部より入電。インド洋上空衛星軌道上に使徒、発見』
「あちらにも来たか」
「大丈夫なのか?」
「こちらよりは危険が少ない。彼女らに任せて置けば心配無い」
「……ここは危ないんだな。だから来る必要も無い俺を連れてきたんだな……そうなんだな碇……」
結局宴会は中断となり、ミサトを皮切りにエヴァンゲリオンパイロットたちとネコミミストたちは雪崩れ込むように発令所に駆け込む事とあいなった。
「20分前に突然現れました」
「衛星軌道上へサーチを上げて情報収集しています」
「接触まであと2分」
お呼ばれされなかったオペレーター役2名が着々と仕事をこなし、適切に要約の上で状況伝達を行なう。それはそれとしてミサトたちの服からほのかに香る肉の焼けた煙の匂いに、両名とも血涙を噛み締める心持ちで腹の虫を抑え込んでいる。
「目標を映像で捕捉」
メインスクリーンに表示された人工衛星からの映像の奇抜さがどよめきを呼ぶ。
「こりゃあスゴイ……あの模様は目玉か?」
「鳥避けじゃないだろう。だからって視覚があるかどうかは、わからないけどな」
その使徒は巨大だった。そしてオレンジ色で薄かった。真中に大きな瞳の模様がついていた。ご丁寧に睫毛まで。
瞳の左右には手のように3本の大きな指+2本のオマケ指が広がっている。手のひらにも丸い目玉っぽい模様がひとつづつ。指先にはそれぞれ青い円が張り付いている。
なんともサイケデリックなデザインだな。地球上の生物に例えると深海魚みたいなもんか。と誰かが考えた。
「あの薄さなら焦点距離を考えると水晶体のようなレンズ構造じゃない事は確かね」
「もし目だとしたら、あの部分丸ごと感光体って事ですか?」
「……憑依されたら感覚を共有できるかしら。そうすれば答えが分かるかも知れないわ。ねえ、日向君」
「もうその話は勘弁してください。まだ夢に見るんですから……」
「目標と接触します」
2台の鏡張りの人工衛星が、空飛ぶ目玉おばけを挟みこんで合わせ鏡のように前後から映している。
『サーチスタート』
『データ送信開始します』
使徒に対し水平移動しながら画像情報を地上に送りつづける衛星。
『―――受信確認』
受け取ったデータは即座にMAGIに流し込まれ、それは素人が見ても意味のわからないスペクトルグラフになったり、走り回る曲線は「5歳児が描いたお父さんの絵か?」と見間違いそうなグラフになる。
しかし半分程度走査した位置で、突然画像が波打ちノイズが走ると、ガラスが割れた耳障りな音と共に映像が途切れた。衛星は破壊されてしまったらしい。
「ATフィールド!?」
「新しい使い方ね」
形は落書きっぽい使徒だが、そのATフィールドの活用方法はこれまでのどの個体よりも鋭かった。右手の中指部がにゅいん、と膨らむと分離、落下し―――障壁にくるまれて大気圏に突入した破片は、太平洋に一瞬だが大穴を穿つほどの破壊力を見せた。
「で、2時間後の第2射がそこ。あとは確実に誤差修正してるわ」
上空から撮影された映像がスライドショーで展開されていく。2枚目、3枚目と徐々に使徒の開けた穴は第3新東京市に近づいていき……最後の1枚は全ての爆撃地点が見渡せる範囲で、日本列島およびその南海を含んだ広い画像。
「学習してるってことか」
「N2航空爆雷も効果はありません」
「以後、使徒の消息は不明です」
沈黙が発令所を覆う。一様に真剣な顔の面々。
「……来るわね、多分」
「次はここに、本体ごとね」
「その時は第3芦ノ湖誕生かしら?」
「富士五湖がひとつになって太平洋とつながるわ。本部ごとね」
「……浮き輪がいるなぁ」
ボソっ、ともらしたシンジの呟きに全員の刺すような非難の視線がグサグサグサッと集中する。
「ご……ごめん、なさい…僕あんまり泳ぐの得意じゃないから……あの」
せっかく培っていた緊張感が落ちる肩とともに流れて消えてしまったミサトは、はぁ〜と溜め息。まとわりつく脱力感を首をふるふると振って払うと、元の硬い顔つきに戻って青葉に尋ねる。
「碇司令は?」
「使徒の放つ強力なジャミングのため、指示の殆どがノイズで潰されていましたが、解析出来た部分については『土産は何がいい?』でした」
「無視。MAGIの判断は?」
「全会一致で撤退を推奨しています」
「―――どうするの? 今の責任者はあなたよ」
腕組みをし、口元に手を当てて考えるそぶりを見せるミサト。しかしその頭の中では、使徒墜落後の超広域型東京湾で独り浮き輪につかまって漂流しているシンジの想像図でいっぱい。時間差で噴出しそうになる笑いをこらえるのに必死だったりするから油断ならない。
たっぷりと、落ちつくに必要な時間を置いて、改めて口を開いた。
「日本政府各省に通達。ネルフ権限における特別宣言D−17。半径50キロ以内の全市民は直ちに避難。松代にはMAGIのバックアップを頼んで」
「ここを放棄するんですか!?」
「いいえ。ただ、みんなで危ない橋を渡ることはないわ」
『政府による特別宣言D−17が発令されました。市民の皆様は速やかに指定の場所へ避難してください』
『第6第7ブロックを優先に各区長の指示に従い速やかに移動を願います』
UNブランド高級ヘリを惜しみなく投入して、贅沢な避難勧告は絨毯告知されていく。余すところ無く行き渡った特別宣言は、昨今の第3新東京市近隣で起きている数々の謎の事故・災害(と発表されている)がいいプレッシャーになったせいか、順調に住民を追い出してくれていた。
全ての高層建築物は戦闘の邪魔になるためジオフロントに格納。山からの遠景で見る限り、第3新東京市は平らになった。
『市内における避難は全て完了』
さらに地上だけでなく地下活動を支える職員たちにも、特別な発令だけに等しく影響を与える。
『部内警報Cによる非戦闘員及びD級勤務者の退避、完了しました』
かくてジオフロントも一部メンバーを残して、大東京湾(仮)の海岸線よりも内陸へと移動していった。
職員が出て行ってしまってから「初号機は動かないんだから松代に持っていっても良かったんじゃないですか?」と指摘したマヤの意見は、忘れてたと白状できなかった大人たちの都合により、気まずい沈黙で黙殺された。
蛇口から水が流れる。化粧室で気合を入れるために顔を洗うミサト。
「やるの?本気で」
リツコが鏡を見ないように視線をそらしながら(見ると黒いネコの耳が視界に入るのでイヤなのだ)言った。
水を止め、そっとハンカチで水滴を押さえるミサト。
「ええ、そうよ」
「あなたの勝手な判断でエヴァを3体とも捨てる気? 勝算は0.00001パーセント。万に一つもないのよ」
「ゼロではないわ。この手に賭けるだけよ」
「葛城三佐!」
リツコがあえて階級で彼女を呼び、険しい表情で作戦中止・撤退を促す。
それが彼女なりに自分を心配してくれているのだと理解しているミサトは、拳をかためると、どーんと胸を叩きながら笑顔を見せる。
「まぁ、なーんとかなるっしょ! あたしに任せなさいっ!」
「ミサト……」
「それにぃ、エヴァー『3体とも』捨てるって? あんただってマヤちゃんに突っ込まれるまでは初号機避難させるの忘れてたじゃないのよぉ。どさくさに紛れてあたしのせいにしちゃってくれちゃってからに」
「……げ、現責任者は貴女です」
「あーっ逃げたっ!ずるいっ!ずっこーい! これだから大人って、大人ってっ! 都合の悪い事はぜぇーんぶ人のせい、自分だけが良い子ちゃんになろうとしてやぁねぇ〜〜っ!」
頭痛を感じたリツコがこめかみに指を当てた。そしてそのポーズのまま、目を隠した状態で告げる。
「いずれにせよ、あなたが支えられる大きさではないのよ。どうするつもりなの?」
ミサトから笑みが消える。
「……封印、解いてもらうことになるかもしれないわ」
「それはダメよ。あなたの体力も問題だけど、もし制御しそこなったら……この世の終わりがまた訪れるわ」
「……わかってる。だから、もし私が『暴走』したら、その時は……」
Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon
「えーーっ!? 手で、受けとめるー!?」
足元がガラス張りっぽい無駄に広い部屋。下にはネルフ本部のピラミッドと、地底湖。そして木々の緑が目に優しい。
作戦部長兼実働部隊代表者、葛城ミサトに対し、並んで作戦説明を受けるシンジ、アスカ、青葉シゲル。
「そう。落下予測地点に青葉君を配置。ATフィールド最大であなたたちが直接使徒を受け止めるのよ」
「は!? 俺っすか!?」
なぜ呼ばれたのか訝しがっていたところに突然の御指名、彼でなくても耳を疑うだろう。だがチルドレンたちは青葉の役割についてさほど考えるでもなく作戦を詰めていく。
「使徒が青葉さんに興味を示さなかったら?」
「その時はアウト」
「身体が衝撃に耐えられなかったら?」
「その時もアウトね」
ちょっと、ちょっと待てぇ〜〜!と叫びたい気分で塗り潰されつつ青葉は迫る危機に掌を湿らせる。
もしや俺に労災を受け取れと? お国の為に死んで来いと!?
「勝算は?」
「神のみぞ知る、と言ったところかしら」
「これでうまくいったら、まさに奇跡ね」
「奇跡ってのは起こしてこそ初めて価値が出るものよ」
口をぽかんと開けて眉根を寄せた青葉の顔が、次々に発言する人間に向けられてクルクル動く。音声自動追尾マイクのようだ。
「つまり、なんとかして見せろってこと?」
「済まないけど、他に方法がないの。この作戦は」
「作戦といえるの!? これが!」
「ホント、言えないわね。だからイヤなら辞退できるわ」
辞退、のワードが失われていた青葉の血の気を呼び戻す。彼は一歩踏み出した。
「ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか葛城三佐」
「いいわよ青葉君。この司令代行の私に、人事権も今なら思いのままの私に、鼻息ひとつで二尉程度の役職は吹き飛ばせる私に聞きたい事があれば何でも聞いて」
きっ、きたねぇ〜〜〜!! この人は俺が反論できないのを知っていて言っている!
足が回れ右しかかる青葉。だがそんな無茶苦茶を口にするミサトの目線が、床を彷徨っているのを見て足を停める。
「……みんないいのね」
青葉は見た。確かにミサトの目が苦渋に歪んでいた。
この人は俺に辞退できないようプレッシャーをかけているのに、それなのに辞退して欲しいようだ。
だが何故だろう? 俺の感情はともかくとして、故意に人間に使徒を憑依させて倒す作戦は悪くない。今までの使徒の進攻パターンとして、人間にとり憑いた方が弱くなっていたように思えるのだが。幸い被害者は皆、一時的な衰弱はあっても命に別状は見られない。
それとも単に今までが幸運だっただけなのか。
「一応規則だと、遺書を書くことになってるけど、どうする?」
「別にいいわ。そんなつもりないもの」
「僕もいいです」
そりゃあヒトを差し出して「使徒さん使徒さん、とり憑いてください」では人道的に問題であるが、ここネルフだって一応軍隊みたいなもんだ。効果が見込めるなら、言い方は悪いが人間ひとりくらい生け贄に出すのが何だと言うのか。
人類滅亡と自分の命。天秤にかけたくもない選択だが、礎になるくらいの覚悟は俺にもある、と青葉は思う。
「済まないわね。終わったらみんなにステーキおごるから」
「え?ホント?」
「約束する」
「うわあーい」
「忘れないでよ」
「期待してて」
第一ミサトは本来の仕事の範囲を超えて、矢面に立っているではないか。子供達がヨロイに守られている中で、生身で、ずっと。
そこまで考えて青葉は、ミサトについて自分は何も知らないのではないかと気付いた。
『―――うっし、久しぶりにしちゃぁなかなかやるじゃない、あたし』
初戦で彼女が漏らしていた言葉を思い出す。
……彼女は、葛城ムーンは『いつ』から戦っているんだ?
「……ごちそうと言えばステーキで決まりかぁ」
何時の間にかミサトは退室し、背中を見送っていたシンジが作り笑いを消してぽつりと漏らす。横でアスカも同じ顔をしている。
「今時の子供がステーキで喜ぶと思ってんのかしら。これだからセカンドインパクト世代って貧乏くさいのよね」
「仕方がないよ、そんなの」
「フン、なにが『うわあーい』よ。大げさに喜んだりしちゃってさ」
「それでミサトさんが気持ちよく指揮できるんならいいじゃないか」
肘でぐりぐり突付かれていびられるシンジが情けない声をあげる。アスカはどこに持っていたのかカバンからグルメがどうとか書かれた雑誌を取り出して店を選び始める。
「さてと、せっかくご馳走してくれるって言うんだもの。ど・こ・に・し・よ・お・か・なっと♪ あなたも来るでしょ」
不意にボールを投げられた青葉が一瞬間抜け面をさらし、問いかけを理解すると慌てて何度も頷く。
「あ、ああ、行ければ遠慮なくご馳走になるよ」
「行ければ?」
「だってそうだろ。上手くいっても……俺、多分検査入院だろうし」
そう口にしてしまってから青葉は失言を悔やんだ。
どんより沈んでしまった空気の中、10も年下の子供達に「かわいそー」な目で見られたらダメだよな……。
赤い海に水柱が上がる。
衝撃は大きく、あの巨大な航空母艦すらも波に揺らぎ、乗組員に動揺が走るほどの威力。
綾波マーズは正体不明の敵と戦っていた。それは「目が七ツ光る白い仮面」を被った学生服(夏服)姿のヒトが操る怪奇生物。不恰好な二足歩行生物。
寸胴の胴体、オマケ程度に生えた足には指なんて高等なモノはついていない。肩もない。胸の上に首すら省略して、いきなり顔が張り付いている。そして海をも揺るがす光線を発した空洞の目と、「グワァ」と叫んだまま固まってしまったかのように開きっぱなしの口。
赤い海面に浮かんだソレは、肩の上に仮面の人物を載せたまま、艦隊の前に立ちはだかった。
「もういいよゼルエル、停まったようだ。積荷の確認をさせてもらおう」
仮面が語ると、腕の代わりにくっついているピラピラした板が、パタパタと九十九折を解いて延びる。
レイは甲板からその壁のような使徒を見上げると、無言で右手を引き絞った。
幻の銃口から白い閃光が放たれ、使徒の口の中へ叩き込まれる。
「……残念だけど、これでは無理だね。ゼルエル、熱いかもしれないけど、我慢だよ。まだ君の出番は来ていない」
まさか飲み込んでいるわけでもなかろうが、口に入ったビームは使徒に何の影響も及ぼしていないようだ。
やがてエナジーを使い果たしたレイの手から光が消える。がくりと膝をつき、未練を残した眼差しで強大な敵を再び見上げる。
使徒のヒラヒラ動いていた手が不意に鋭い刃物のように硬直する。そしてそれはレイの視界を一瞬にして上下に分断する。迫る刃。目を開いたまま微動だにしないレイ。
―――ズバシャッ―――
レイの髪の毛が幾筋か空を舞う。
「やはり……そうか。ただの『槍』だったようだね」
仮面は首を横に振った。声のトーンが少し期待はずれの色を含んでいる。
使途の腕は、レイより僅かにそれて空を斬り、空母にくくりつけられた積荷の外装を剥いでいたのだった。
ロープと布が切れた隙間から覗くのは、血のような赤い色。硬質で、それでいてしっとりとした艶が有る物体。
「ならば今は無用、か……二人で出てきたのは少し大袈裟だったよ。さあ、ゼルエル、帰ろうか?」
ぼんやりと目を光らせた使徒はパタパタと手を折りたたみ、その場で滑るように身体を反転させた。
去り際に振り向いた仮面は、まだこちらを睨むように見据えつづけているレイを顧みる。
「僕らと戦うなら、もう少し体力をつけたほうがいいね。それには良く食べて良く寝る事さ。そう、例えばシュニッツェル(薄切り肉を用いた料理の総称)なんてどうかな」
「……それは、できないわ」
ぽつりと返った答えを聞き流した仮面は、使徒の上に立ったまま、使徒とともにどこかへ去っていく。
その背中を見送りながらレイは、ひとり呟いた。
「肉……キライだもの」
目標をロスト。使徒による電波撹乱のため正確な位置の測定が出来なくなってしまった。それでもロスト直前までのデータから、MAGIにより落下予想地点が算出される。
範囲は、例えエヴァが5機在ってもカバーしきれない程広かった。外輪山を越えてさらに遠く。
目標のATフィールドを以ってすれば、そのどこに落ちても本部を根こそぎエグる事ができる。そうリツコは語った。
その結果を受けてミサトが決定したエヴァ二機の配置。地図に重ねられた二つの青い円が、移動可能範囲を示している。それは贔屓目に見ても適当に間を置いて並べたようにしか見えなかった。
そしてその二機に挟まれた間に、青葉の立ち位置である赤い三角形が記された。
「この配置の根拠はなんなんですかっ?」
もっともあの世に近い役ドコロである青葉がひとつのミスも見逃すまいと気合の入った目つきで問いただす。
「カンよ」
「かん!?」
「そう、女の勘」
「なっ……」
絶句する青葉。呆れるアスカは直立不動のまま隣のシンジとボソボソ会話している。
「何たるアバウト。ますます奇跡ってのが遠くなっていくイメージね」
「ミサトさんのクジって当たった事ないんだ」
「げーっ」
それは青葉の耳にも届き、銅像の彼をさらに石像に変える。視界の片隅で同情たっぷりの哀れみフェイスを浮かべている日向が憎らしい。止めてくれよ、憑依経験者。
『落下予測時間まで、あと120分です』
MAGIの合成音声が時を告げた。チルドレンはプラグスーツに包まれてエヴァ発進準備を進めている。エヴァを地上に送り出したらば速やかに、ケイジの職員らも退避する手筈である。
発令所ではミサトがスクリーンを睨むようにして最後のイメージトレーニングをしていた。将棋の手を読むように、使徒の動きと、その機先を制する手段を模索する。
一段落ついたところで肩を回しながら曰く、
「みんなも避難して。ここは私ひとりでいいから」
「はい、では失礼します。御武運を―――」
「こら。あんたが居なくてどうするのっ。……マヤちゃんも日向君も急がないと逃げ遅れるわよ」
「いえ、これも仕事ですから」
「シゲルと葛城さんだけ危ない目にはあわせられないっすよ」
義侠に厚いセリフにフッ、と頬が緩むミサト。モニタに映る待機中の零号機と弐号機を見上げる。
「あたしは大丈夫。もしエヴァーが大破しても、あの子たちのATフィールドがあたしを守ってくれるわ。エヴァーの側が一番安全なのよ」
「あの……俺は……」
「さぁーて! こっちもそろそろ準備にかかろっと。マヤちゃん、リフトよろしくぅ! 行くわよっ青葉君っ!」
いつものエヴァ用搬送路を借りに向かうミサト。その不必要に跳ね上がるテンションが青葉の警鐘を激しく叩く。
「どう思う、マコト」
「あー……万が一の時には何を処分したらいい?」
「クローゼットの下に冬服って書いた箱があるから、その中の……って何言わせるんだよ」
「気をつけろよ。俺の時より遥かにヤバイぞ」
「そうか……行って来る……」
肩を落として死地への巡礼者になった青葉が、重い足を引きずるようにしてミサトの後を追っていった。
背中から魂が半分くらい顔を出してるように見えた。
さてミサトが初号機用リフトに立ち、青葉がイヤイヤ登らされている頃、地上でスタンバイしている零号機の中でシンジは回想していた。
―――夕暮れの赤い斜陽が景色にフィルタをかけている高台。ミサトの車で買い物に出かけた帰りには時々寄る所。
不意にミサトは言った。
「シンジ君、昨日聞いてたわね。私がどうしてネルフに入ったのか」
「え……いいえ、聞いてませんよ?」
「…そぉだっけ?」
「はい」
「………」
「あっ待ってください!聞きます!聞きたいです!聞かせてくださいっ」
恥ずかしそうに車へ逃げ帰ろうとするミサトの背中へ、なんとなく声をかけてしまった。のっそり振り向くミサト。
「……ホントに聞きたい?」
もしかしてアスカがまた質問しっぱなしで忘れてしまったのかも、とシンジは頭の片隅で思いながら肯く。
「―――私の父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。そんな父を許せなかった。憎んでさえいたわ」
(……3年前の父さんと同じだ)
「母や私、家族のことなど構ってくれなかった。周りの人たちは繊細な人だと言ってたわ。でもホントは心の弱い、現実から、私達家族と言う現実から逃げてばかりいた人だったのよ。子供みたいな人だったわ」
それでも昔は家に帰っていた。ミサトとの会話は殆ど無かったが、葛城家の住人ではあった。だがそれも彼がある研究に没頭し始めると、姿を見せなくなる。やがてEDテロップもとい葛城家の表札から、母と弟の名前が消えた。
「母が父と別れたときもすぐに賛成した。母はいつも泣いてばかりいたもの。父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと笑ったわ。けど……」
『―――諦めるな。まだひとつだけ方法が残っている。だが、これではアレを滅ぼすまでに至らないだろう。ミサト、お前は逃げろ。生きて、彼女たちの分まで生きて、必ず使徒を倒せ―――』
「最後は私の身代わりになって、死んだの。セカンドインパクトの時にね」
『―――お前のせいじゃない―――』
父親の最期の台詞が記憶から消えない。
後ろ向きのミサトがどんな顔をしているのか、シンジには見えないが、ただその声は、とても淋しそうで、苦しそうで、いたたまれない。
「分からなくなったわ。父を憎んでいたのか好きだったのか。ただひとつ、はっきりとしているのは、セカンドインパクトを起こした使徒を倒す。そのためにネルフへ入ったわ」
口を挟む事も出来ず、彼女の話を黙って聞いていると、もうひとつ女性の声が聞こえてきた。
―――シンジ……―――
(……誰?)
きょろきょろと見回してみても、木々と舗装道路しか見えない。空耳だったようだ。
「結局私はただ、父への復讐を果たしたいだけなのかもしれない。父の呪縛から逃れるために。―――!?」
「好きだったんですよ、お父さんのこと」
シンジの右手が、ミサトの左手を握った。ミサトともあろう人が彼の気配にまったく気付かなかったもんですから、少ぉし吃驚して動悸が激しくなってしまった。
「だからがんばって『約束』を果たしましょう。ね、ミサトさん?」
「……うん。そうね。ありがとう、シンちゃん」
「じゃあ帰りましょう。早くご飯にしないとアスカにコロされちゃいそうだし」
キラッキラした黒い瞳が彼女を見上げ、心の汚れた大人たちが居心地の悪くなるような穏やかな笑みを浮かべている。
自分の半分も生きてない少年に諭されてしまった。穴があったら入りたいミサトはガラにもなく恥ずかしそうに車へと手を引かれていくのであった。
―――回想終わり。
(……なんで僕あんな事言ったんだろ……凄く恥ずかしいよね……)
シンジは操縦幹にもたれかかって深々と嘆息しながら、羞恥で潰れそうなほど盛大に後悔していた。
「目標を最大望遠で確認。距離、およそ二万五千!」
ATフィールドを張り巡らせて大気圏に突入してくる目玉がレンズに写った。
白衣に両手をつっこんだまま棒立ちのリツコが留守の作戦部長に代わって命令よ。
「マヤ、光学観測による弾道計算で距離一万までエヴァを誘導。その後も可能な限り修正データを送って」
「了解っ」
「日向二尉は青葉・葛城両名の射出ルートを」
「わかってます! マヤちゃん、こっちにもデータ回して」
「あっ、はい」
「―――エヴァ全機、青葉二尉、スタート位置」
地上ではエヴァが陸上競技の如く両手をついてセットアップしている。
青葉も覚悟を決めたようで昇降機のだだっぴろい鉄板の上で座禅を組んで精神統一していたりする。
「使徒接近!距離およそ、二万!」
「では、作戦開始」
爆砕ボルトが外れてアンビリカルケーブルが外れた。ピー、と音を上げてカウントダウンが始まる。
「どっかで聞いたような声だったんだよなぁ……あれ、誰だったっけなぁ」
「何ボヤボヤしてんのよもう始まってるのよバカシンジ!行くわよ!」
「え、あっ、ゴメン!」
跳ねるように飛び出す弐号機と、出遅れた零号機が、人間よりしなやかな走行フォームで加速していく。
風を捲いて接近する使徒は透き通った赤いフィールドで覆われた球体と化しており、巨大隕石のようにも見える。
家屋の合間を踏みしめて。
送電線のハードルを飛び越えて。
都市部から山の側へと全力疾走する。
『距離一万二千!』
『最終落下予測地点出ました! 026から行けます!』
『了解、射出ルート変更、進路クリア、オールグリーン! シゲル、恨むなよ!』
ぽち。
『―――ぅぅぅうううううわああぁあああああああああっ―――』
「だ…大丈夫かな青葉さん」
「聞こえないフリ! ちんたらやってないで足に集中しなさいっ!」
「わかってるよ」
加速がぐーんと伸びた。土煙を上げ、道路を踏み荒らしながら快走する零号機は、目玉使徒の真下に潜り込む。
「フィールド全開!!」
急ブレーキで土にかかとをめり込ませながら停止した零号機は両手を高々と差し上げ、タンカーの数倍の面積を持つ使徒を受け止めた。と言っても使徒を覆うフィールドによって接触までには至らず、少し浮き上がった状態で留まった。
足が地面に沈み込む。腰にくる重さにわななく零号機の腕。
程なく弐号機が到着し、腰を落としてくぐるように中心部まで滑り込むと、同じくフィールドを全開にして共に目玉板を支える。
しかし、例えエヴァンゲリオンの力をもってしても、体の数十倍の大きさの使徒を持ち上げる事など適わない。
じりじりと押されて二体の巨人の手足は徐々に曲がっていく。このままではアルミ缶の如くペシャンコか、釘の如く地面に突き刺さってしまう。
せめて、せめてもう一騎、初号機が動いてくれさえすればあるいは!浮かせることも出来たかも知れないのに!
そこに待望の射出口が開き、リフトが登って来た。人体への影響を考慮して、道のりの半分を加速、残りを減速する事で空中に投げ出されないよう改良が施されたリフトから、唇がやや青い青葉と、変身済みの葛城ムーンが降りてくる。
「青葉君、済まないけどお願い」
「わ……わかってます」
予測地点に最も近い出口とは言え、真下ではない。ミサトに促され、凸凹で足場の悪い山肌を走る青葉。
後を追いながら、胸のロザリオから「プログレッシブ・ムーン・ロッド」を取り出し、利き腕に握るミサト。
エヴァが耐えている間に、ほぼ足元まで青葉は到着した。
デカイ。上を見たら空が自分を睨んでいると錯覚するような大きさだ。こんな大きさを目の前で見せ付けられたら、そりゃあ心を支配されてしまうのも無理ないなと思える。
フィールドとフィールドが干渉を起こし、火花の如き眩い閃きを発しているため暗くはない。が、この圧倒的な閉塞感は恐怖以外の何者でもないだろう。スクラップにされる自動車の感じる気持ちが分かったような錯覚がする。
そこまで来たはいいが、青葉にはそれからどうしていいか分からなかった。
「……葛城三佐! いつまでここにいればいいんですか!」
「それは使徒に聞いて!」
ロッドを両手に握り締めて、落ちてきた空と、それを支える柱と、冷や汗にくれる青葉を睨むミサト。
チャンスは一瞬。使徒が青葉の身体を奪って、その瞳が真紅に変わった時。
しかし思惑通りに事は運ばず、10秒経っても、20秒数えても青葉に変化は起きない。
膝が折れ曲がり、土がつくほどに潰されつつあるエヴァから悲痛な声が響く。
『まだですかミサトさん! 僕、もう……く、ぁっ!』
零号機が限界だ。ついに片膝を汚し、それでも掲げた腕は降ろさないが、もはや盛り返すだけの力は身体のどこにも残っていない。
必然的に重さは弐号機にのしかかる。突然過重が倍近く膨れ上がり背中にズンッと来たアスカが喘ぎながら、それを受ける。
『バ、バカぁっ! 根性なしっ!不能っ!もうおしまいなの!? 立ちなさいよっ! あたしひとりにやらせるなぁぁーっ!!』
ダメだ、失敗だ。このままでは全員圧壊で終わる。かくなる上は、発令所に揃ったリツコとマヤに懇願して、以前ラミエル戦で使った封印技を解き放つしかない。それによって肉体が粉々になろうと、過負荷で脳が焼き切れようと。
ミサトが覚悟を決めて目を閉じた瞬間、
「な、なんだお前は!? くそっ、来るなっ、来る、なっ、うわぁああぁあぁあ―――!」
切羽詰った青葉の声にハッと開眼する。
まさにその時、空を見詰め恐れを抱いた彼の瞳が赤く「どぎゅぅううぅん」と輝いた!
プログ・ロッドを構え直し、仁王立ちするミサト。
『今よ!葛城ムーン!』
阿吽の呼吸でリツコがプロテクト解除ワードを送ってくれる。(職員のほとんどが避難しているため、いつもより気楽で生き生きと発声している様子)
「ムーーーーーン・プリンセスーーーーー―――」
ロッドを振り回し、先端のハート型のおもりに未知のエナジーを充填させていく。
頭を抱えた青葉がうずくまる。使徒の影響が本格的に進行しているのだろう。
やりたくはなかった方法、だが動き出してしまった作戦。唇を噛みながら舞い踊るミサト。
しかし事態は、この土壇場に思わぬ方向へと軌道を変える。
『ふっざけんじゃぁ、ないっ、わよっ……こんのぉおぉおおおおおお!』
なんと!アスカの駆る弐号機が、重量挙げに似た動きを見せ、使徒をひとりで持ち上げてしまったではないか!
しかもそれだけでは終わらなかった。
『凧は…風に、吹かれて……飛んでろぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!』
最大限まで展開されていたはずの弐号機のATフィールドが、さらに拡大。側にいた零号機と、青葉、葛城ムーンまでもを、弾き飛ばした!
「ぐわぁーーーっっ!!」
「キャーーーっ!!」
重量のある零号機は転がされる程度で済んだが、たかが人間の身である青葉や、ミサトに至ってはトレーラーに衝突された程度の衝撃では済まない。吹き飛んだ勢いのまま、草木の原を転げ落ちていく。
さらに押し上げられ浮かびあがる使徒。
倒れていた零号機がそれを見て上半身を起こし、目玉模様目掛けてプログナイフを投げた!
投擲用には出来ていないハズのナイフ、だがそれは回転しながら飛び、運良く刃先からATフィールドに突き刺さる。
ピシッ。ピキッ。ビキビキビキィッ―――絶対の防壁に走るヒビをアスカは見逃さない。
弐号機が跳ねた。左手で突き刺さったナイフを掴み、引き抜く。
その傷口に、固めた右拳を力任せに叩きつける!
シンジの目には弐号機の腕がブレて見えた。いや、使徒のATフィールドに突き刺さったかと見紛う速度であった。
ヒビが四方八方に連鎖するかの如く赤い壁の表面を走っていく。
そのうえ弐号機のフィールドは空中でなおも広がりを増す! それはほんの瞬く間であったが、言わばヒビの入ったガラス板に鉄球が叩きつけられたのと同様に思って構わないだろう。
使徒のフィールドは粉々に砕け散った!! その勢いはさらに本体までに至り、メシャ、とアルミホイルがひしゃげたような感触を残して、大きく凹んだ。
力を失った使徒は、重力に引かれるに任せ、くたりと弐号機のATフィールドに覆い被さる形で動かなくなった。
そして、表面がボコボコボコボコと沢山の気泡のように膨れ上がった使徒は、爆発―――。
高熱の火柱がスクリーンで美しく踊った。
蒼白な顔のマヤが、MAGIの表示するデータを読む。
「パターン青……消滅、しました……」
「お、おいウソだろ!? あの下にはまだ……」
「ミサトはまだしも……青葉二尉の生存は、絶望的ね……」
かくして辛くも使徒の撃退に成功したネルフであったが、その代償は大きなものであった……。
状況分析のまとめ役でもあった青葉シゲル二尉、そして昇進したばかりの葛城三佐、この両者を失った穴は果てしなく大きい。
しかし、我々に悲しんでいる暇は無い。いつ襲い来るやも知れぬ次なる使徒に立ち向かうべく、準備を整えねばならぬのだ。
「だからシゲル……安らかに眠ってくれ……」
「勝手に殺すなよ」
「そーよぉ、ちゃんと脚ついてるわよ」
「ミサトさん!」「ミサト!?」「葛城さん!!」
「うわぁあぁっ!! 二人とも何でここに居るんですか!?」
腰を抜かしかける日向の反応にミサトはご機嫌ナナメである。
突然蘇えった二人の姿にはシンジやリツコたちも驚きをあらわにしている。
「失礼しちゃうわねぇ、まるで生きてたらイケナイみたいに聞こえるわよ」
「でも、あの大爆発の中……どうやって……」
「いや、種を明かせば簡単なんだけどな。吹き飛ばされて転げ落ちた先に非常口があったんだ。それで何となく逃げ込んだ」
「あたしは青葉君が使徒になってるもんだとばっかり思って、後を追いかけたんだけど、どーも完全には憑依されてなかったみたいで」
結果としては青葉の目は今も黒く、ジオフロント深く潜っていた二人は高熱の被害を逃れられた。たははと照れ笑いをしつつ頭をかくミサト。
無事を喜びながら「あんた泥だらけじゃない、顔洗って来なさいよ」などと軽口を叩き合っていると、やがて電波システムが回復。南極のゲンドウから通信が入ってきた。
「おつなぎして」
ピシっと仕事用の顔になったミサトは、SOUND ONLY表示の空中投影ディスプレイに硬い声を投げかける。
「申し訳ありません。私の勝手な判断で弐号機を破損してしまいました。責任は全て、私にあります」
『構わんよ。使徒殲滅がエヴァの使命だ。その程度の被害はむしろ幸運と言える』
『ああ。良くやってくれた、葛城三佐』
「ありがとうございます」
『ところで零号機のパイロットはいるか?』
「あ、はい。何?」
『話は聞いたか? 土産は何がいいか決まったか、シンジ』
「え……別に、なんでもいいよ、そんなの……」
『そうか。では葛城三佐、後の処理は任せる』
「……はい」
司令はこのまま南極から帰ってこない方がいいのかもしれない、とミサトを含んだ数名が感じていた。
それから数日後、司令たちも帰宅し、青葉の精密検査も一通り済んで外出許可が下りるまでになったある日、ミサトたちは第3新東京環状線に揺られていた。
今回の主役、アスカ様ご指定のディナー会場へ移動する為である。
ちなみに今回命懸けで骨折り損だった青葉と、なぜかレイも誘われて来ている。
「さぁ、約束は守ってもらうわよ♪」
「はいはい、大枚降ろしてきたから、フルコースだって耐えられるわよ(給料前だけどね……)」
「すいません、俺までノコノコ着いて来ちゃって……」
吊り革にぶら下がるようにもたれかかる青葉。ATフィールドにはねられて池田屋の30倍くらい階段落ちした割には、擦り傷・打撲に傷バン・湿布程度で済んでいるのは若さか幸運か。
それを言ったらこちらなんて無傷なミサトは、微笑みで気にしないで、と返した。
「―――ここよ!」
どんな高級店に引っ張っていかれるかと気が気でなかったミサトだが、小さな駅を降りて数分も歩くと到達した目的地は、赤い堤燈を看板にぶらさげた屋台のラーメン屋だった。
およ、と暖簾を眺めて突っ立っているミサト。対して腰に手を当てて反らんばかりの勢いでアスカは、
「ミサトの財布の中身くらい分かってるわ。無理しなくていいわよ。優等生も、ラーメンなら付き合うって言うしさ」
「私、ニンニクラーメンチャーシュー抜き」
「私はフカヒレチャーシュー、大盛りね!」
「ヘイ、フカヒレチャーシュー、お待ち!」
「お、早いなぁ! じゃあ俺ネギラーメン」
「だって予約入れてるもん。ミサトのも頼んであるからね」
「あらぁ、気が利くじゃない♪」
ふふん、とぉーぜんっ、と得意げなアスカは割り箸を口にくわえてペキ、と器用に割る。上手いのは割るまでで使うのはそれほどでもない。箸先がクロスした状態でフカヒレのゼラチン質をつかもうとして奮闘している。
アスカちゃんたらなんてお姉さん想いの良い子なのっ、と嬉しくなっていたミサトだが、丼が目の前に出てきた時、それが甘い幻想だった事を知った。
「ヘイ、ダブルステーキ寿司ラーメン、お待ち!」
「…は?」
「うわぁ…すごいなぁ」
「ワイルド、っすね」
男性陣が唸るくらいの大盛りドンブリ(常識的なラーメン丼の1.8倍)には、これでもか!これでもか!と厚切りの肉が2枚、麺&スープ本体を閉じ込めて蓋のように敷き詰められており、その上にアボガドらしき果物と葉っぱの海苔巻き(一口大)がズドドドンと並ぶ。
「ねぇ、シンジくん」
「なんですか?」
「注文、まだよね。はんぶんこしない?」
「そうですね……そのほうがいいか」
「おっと!お客さん、それはイケないな」
ラーメン屋の店主が人差し指を立ててちちちちち、と横に振る。なんでよ、と納得いかない顔のミサトに彼は告げた。
「男なら20分、女性は30分以内に食べたらタダが当店のルールなんでね。二人がかりは見逃せませんなァ」
「チャレンジメニュー!?」
「がんばんなさいよミサト、出来なかったら5000円だからね〜」
「それじゃ、俺はここで。おやすみなさい」
駅を降りたところでミサトたちと別れる青葉。夜の第3新東京市、彼の済む地域は繁華街から外れている為いつものように静かだ。
(まさか、食べきるとはなぁ……さすがネルフの誇る機動型作戦部長だな)
つい先程のスペクタクルを思い出しながら歩く。
自宅への道のり、途中緑の公衆電話を目に留めると、おもむろに近づいた。
―――ガチャ。
受話器を手にし、財布の奥に死蔵されていた京都観光協会製作のテレカを差し込む。誰から貰ったか忘れた古いモノだが、まだ磁気は生きてくれていたようで、残り度数「47」が表示される。
パシパシと丸い数字を叩くように押し、呼び出し音を聞きながら空を見上げる青葉。
雲間から覗く月が綺麗だ。
ややあって、つながった。
『……もしもし、誰だい?』
「タブリスか? 俺だ、分かるか?」
『残念だけど、知人に「オレ」と言う名を持つ者は居ないね。だが、リリンが僕の名を知っているとも思えない』
「相変わらずまどろっこしい語り口だなぁ。はい、時間切れ。正解はサハクィエルだよ、同志タブリス君」
『……だろうと思ったよ。その様子だと、やはりリリンと心をひとつにしているね』
「ああ。危ないところだったが、なんとか潜伏に成功した」
『こちらはハズレだったよ。ただの『槍』だった。やはり今の時点では、ジオフロントとか言ったかな?あの地の底が一番有力のようだね』
「その辺はこちらで調べていけばわかるだろう。それと俺は身体を失ってしまったから表向きは殲滅された事になってる。気にせずにシナリオを進めるように『委員会』に言っておいてくれるか?」
『わかったよ。ところで通信衛星に悪戯していたのは君かい? 今こちらで細工が発見されて問題になっているよ』
「ああ、俺だ。身体を無くして力が弱まったから偽装が解けたんだろう。そこもついでだから適当に誤魔化しておいてくれ」
『構わないけどね。あまり逸脱した行為をすると目をつけられるよ』
「それは覚悟の上さ。だがタブリス、お前も知っておいた方がいい話も衛星には流れてたぞ。例えば、我々が従っている『委員会』について」
『ああ、それは僕も怪しいと感じているよ。何故か僕には、彼らが僕らを―――』
「消しさろうとしている……のは間違いなさそうだが、彼らが『支配者』の意思でそれを成そうとしているかどうかはまだハッキリしない」
『だが僕たちの「支配者」は彼らを選んだ。その目的が何であれ、僕たちは従う他無いだろう?』
「その選択を疑っている、と言ったらお前は、俺が狂ったと思うか?」
『……そういうことか。わかったよ、君の結果如何に寄らず「委員会」には目を向けていよう』
「いろいろ済まないな。では、俺たちが殺しあう日、が実現する事を願って」
『祝福あれ』
―――ガチャン。ピピー、ピピー、ピピー。
つづく
2001/07/04 初版。
「ちっちゃいミサト激希望」な嗜好は三笠どらまでお知らせ頂くと「うん、僕も」。
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