「もしもーし、俺だけど、元気か」

 『……』

 「あれ、どうして内線番号を知ってるのか怪しんでる? それとも盗聴を心配してる?」

 『……どちらでもないよ。折角誤魔化した君の存在を「委員会」に勘付かれないかとは思ったけどね』

 「なんだ、俺死んだ事になってたのか? 別に生きてるって知られてても良かったのに」

 『今は忘れられた方が、そちらも動きやすいんじゃないかな』

 「まぁそうだけど。ひとまず礼を言っておくとして。
  で、時間も無いんで本題に入らせて貰うけど、次の使徒って誰だか知らないか?」

 『本には「イロウル」と書かれているけど、何か都合でも悪いのかい?』

 「いや、悪くはないんだけどな、確かイロウルって……とっくの昔に死んでなかったか?」

 『その筈だけど、彼を見失なうのはとても簡単だからね。どこかに潜んでいたのかもしれない』

 「……そうか。だからずっと空席だったんだな? 『極東支部長』の座は。
  道理で俺が四天王に上がれなかったわけだ。わかった。今度蕎麦でもおごるよ」

 『そば? ソバとは何だい?』

 「日本で食べられてる麺類なんだけど、まあ調べてみろよ」



 
 







 
 
 





 ネルフ本部内、奥の方、やや中枢部より離れた食堂。
 午後もおやつタイムを過ぎ、ずらりと並ぶ四角いテーブルの数々は空席、空席、空席、空席、3名様、空席、空席、空席……と、暇さ加減は全開である。
 今日は普段と違うテストがあるから早目に来て欲しいとリツコ博士様が言うから、言うから仕方なく、仕方なく学業に後ろ髪を引かれながらも早退して来たというのに、来たというのに肝心の本人はMAGIの診察とやらで不在。

「……まだかしら。遅すぎよっ」
「定期検診ならあと1時間はかかるわ」
「うええ、そうなの? あーあ……って、あんた食べるの異様に早いわね」
「そう?」

 暇になってしまったチルドレンたちは、こうしてカップアイスをつつきながら、暇を持て余しているのであった。
 静かな食堂に業務用食器洗い器の水音だけが響く。甘〜いアイスによってちょいと上昇した血糖値、快適に調節された室温。これでちょっぴり前日寝不足だったりした日には、鬼だって悪魔だって眠ってしまうであろう。現に鬼でも悪魔でもないが、学生兼パイロット兼家事手伝いのシンジに至っては、もう突っ伏して寝ている。

「あーあ。髪の毛ベタベタになるわよ」

 無防備にノヒョロホエ〜と表現したくなるような顔をした彼の前髪が一房、空になったカップに入ってクリーム色が染みちゃっているが、親切なアスカはそれを哀れみの目で見るだけでおしまい。
 アスカはプリン用の透明プラスチックなスプーンをカップに挿す。そして口に運ぶ。するとレイの目がそれを追ってくる。
 もう一度。カップに挿す。レイの目が追ってくる。口に運ぶ。やはり追ってくる。
 普段なんにも執着を見せない彼女にしては珍しい動向である。

「……欲しいの?」

 問いかけに答えずレイは、じっとこちらを見ている。
 意思表示が無いので、どう解釈すればいいのか分からない。ほんっとに付き合いづらい子ね、と思いながらもアスカはカップをレイの前に置いた。

「あげるわ」
「……いいの?」

 頬杖をついたアスカは返事の代わりにひらひらと手を振る。どうぞご随意にしてよろしくてよ、てな感じだ。
 おずおずとカップを取ったレイがそれをはむはむと食べている様子を眺めながら、ふわぁーぁと口元に手を当てつつ欠伸。平和である。

 やがて、アスカもテーブルにぺたりと吸い寄せられて、シェスタ(お昼寝)に突入。
 現(うつつ)に取り残されたレイが食べ終わったカップを持ったまま呆然としていると、そこにミサトがやってきた。

「あー、いたいた。あれ、寝てるの? 困ったわね、そろそろテスト始まるんだけど」

 腕時計を見ながら脳内スケジュールをめくるミサト。
 あと20分。それまでは、まぁいいか。寝る子は育つってことで放置。ついでだから自分も休憩を取ろうと決める。
 カップを手に持ったままのレイが自分を見上げているのに気付いた。

「レイ、また後で呼びにくるから、この子たち見ててくれる?」
「はい」
「ところで何をそんな大事に持ってるの? ……アイス? あら二つも食べて。好きなの? え、違う? 嫌いなのに二つも食べたの? え、嫌いではない? でも二つは食べてない? うーん、つまりもう一つ食べたいって事?」

 レイは答えない。ただじっとミサトの目を見ているだけである。何か考えてるのかも知れないし、何も考えていないのかも知れないがそれを理解するのはちと難しい。こういう時の判断基準は、勘だ。

「ん。あたしも一服しようかな」

 リツコやマヤ、そして技術部の皆さんがMAGIと格闘している筈の忙しい最中、パイロット直属の上司かつ監督役のミサトはコーヒーとアイスを注文する。そしてアイスを一口だけ食べて、うわっ甘、とか呟くと残りをレイに渡した。
 ブラックのコーヒーで口の中をすすぎながら、寝た子らを起こさないように声を下げ、赤い眼の子供と他愛も無い会話に興じて時間を過ごす。……アイス食べる事に集中しているレイはあまり聴いていないかも知れないが。
 ふとレイの手元に起きた変化に気付いたミサトは、驚いて目を見開いた。

「ずいぶん食べるの速いわね」
「そう?」

 同じコトを続けざまに2度言われた。つまりアスカとミサトよりは食べるのが速いと言う事だと理解する。
 だからといってペースを変えたりはしないのだが。ぱくぱく。スピードには一切翳り無し。

 まったく他人事な第127次MAGI定期検診終了を待つ暇人組のヒマは積み重なっていく。

 

 しかしその頃、自分事なリツコにはトラブルが降りかかっていた。

 赤と黒に明滅するメインスクリーン。繰り返し鳴くブザー。
 何度聞いても落ち着かなくなる異状の知らせを耳にしてリツコはクリップボードから目線を上げた。手にしたボールペンで紙の面をコツコツと叩きながら報告を聞く。

「あれ? 先輩、違います、試験結果の異状検出じゃないですよ、これ」

 スクリーンには3つの多角形がトライアングルの三角(みすみ)に配置され、それぞれ「MELCHIOR・1」「BALTHASAR・2」「CASPER・3」と文字が入っている。1番のメルキオールと、3番のカスパーは検診終了を示す緑色に染まっていたが、検査中のバルタザールだけが赤と水色の2色に塗り分けられている。
 機能ブロック毎に精細なチェックを行い、確認済み部位が水色になる仕掛けだ。赤く明滅している部分は未確認。
 だが異状を検地して光っている部分は、確認済みとして水色になった筈のブロックだった。

「詳細は?」
「エラー要因は、ええと736は……ハードウェア関連です。詳細E5だから、ブレインユニットに酸素を送るパイプで減圧を感知したみたいです」
「ヒビ割れでも起こしたのかしら。場所が場所だから早急に処置しないと。すぐに作業員を手配して。私が立ち会うわ」
「了解。先輩は先にバルタザールへ行っててください」
「ここは任せたわ。ミサトが来たらそこの温いコーヒーでも飲ませてやって」
「はい、処置が済んだら試験再開しますから連絡お願いします」

 昇降機に乗って降りていくリツコ。

 MAGI本体を包む金属の箱に近づくと、既につなぎを着た作業員が工具箱片手に待っていた。段取りの良さに感心する。
 顔を上げて手を振る合図。発令所からこちらを見下ろしていたマヤが席に戻って何かコンソールを操作する。
 ぐぃいぃぃぃん、とゆっくりせり上がってくるバルタザール。床より下に潜っていた部分が空気に触れ機械油の臭いを僅かに発し、パイプ剥き出しのゴテゴテしい礎を見せる。
 四つん這いになってようやく入れる程度の穴からハンディライトの光で中を照らすリツコ。

 影の中に浮かび上がるパイプの森と、そこにびっしり貼り付けられたメモ。それぞれの紙切れにはMAGIに関する特秘事項が書いてあったり、仕様書にないコードなんかも記されているようだが、今リツコが探しているのはそんなモノではない。パイプの亀裂だ。

 しかしヒビより先に、もっと恐ろしいモノを見つけてしまった。

 床を走る光が、なんと「先客」を照らし出したのだ。

 一瞬使徒か!?と身構えたリツコだが、どうやら人間のようだったので気を緩め……られるワケもなく、さらに警戒心を強めた。
 この倒れているらしい人物は、このバルタザールのボディにいつ、どうやって入りこんだのか? パイプを破壊したのはこの人物なのか? パイプを破壊しうる工具を持っているとしたら、それで襲い掛かって来ないだろうか?

 注意深くライトを動かし、侵入者の容姿を確認する。

 血だまりに倒れた血まみれの人間。
 膝まである黒いブーツ。剥き出しの太もも。申し訳程度に腰を覆う黒いプリーツ。身体に張り付くようにピッタリした白いレオタード……なにやら不安になってきた。どこかで見たことあるような、と言うか、まんまプラグスーツ戦士ではないだろうか。
 掌サイズのスポットライトは胸の黒いリボンを通り過ぎ、ついにその顔面へ照射された。

 目を見開いて石になったリツコは珍しく声を荒げた。

「―――母さん!? まさか、死んだ筈よ!」


 


 

美少女からどんどん離れていく既にダブルスコア戦士

葛城ムーン

第13話

「呪われたマギ!謎の戦士まず登場」

 


 


 ピーン。ピーン。
 四角い箱。黒い窓を走る緑色の線は半ばまで来て上下に大きくブレ、また水平の線に戻る。
 ピーン。
 脈拍、呼吸ともに正常値を表している。

 ベッドに横たえられ吸気マスクを当てられた女性の髪の毛から足の先までを、細胞の一片まで検分するような鋭い鑑識眼で眺め回すリツコ。その傍らには冬月が稲妻の直撃を浴びて呆然と立ち尽くしている。

「確かに私の母に、赤木ナオコに間違いありません。使徒でないとすれば、の話ですが」

 発見時血だと思われた赤い液体はLCLと似た組成の成分である事、外傷は無く衰弱が見られるが生命に別状は無い事、彼女の身に着けていた黒いスコートのプラグスーツはどうしても脱がせられなかった為そのまま全身を濡れタオルで拭いた事、などがリツコの耳に入っている。
 ややウェーブがかった短い髪も、紫のリップも7年前に死亡した筈の彼女と寸分違わない。

「そのようだな。にわかに信じ難いが、ゲヒルン時代の彼女そのままだよ」
「母は当時もこの衣装を?」
「いや、これは私も初めて見た。碇から話には聞いていたがね」

 そのまま二人は押し黙ってしまう。やはりリツコ的には母親がプラグスーツ美熟女戦士だなんてショックであるし、寛容で知られる冬月的にも葛城三佐くらいが許される限度(何の?)ではないかと思うわけで。

 意識を閉ざしたままの爆弾を見つめていると、背後でそーっと病室のドアが開いた。書類ケースを胸に抱いて現れたのはマヤだ。

「先輩、酸素パイプを損傷させた金属棒の照合結果が出ました。先輩の仰った通り、MAGIに登録されてました」
「そう。見せてちょうだい」
「あのそれが、登録はされていたんですけどセキュリティレベルがトリプルSで、出力できなかったんです。後でご自身で確認してください」
「……それは困ったわね。責任者の私ですらSS権限しか持っていないのよ」
「えっ、じゃあ……」
「この謎の戦士の正体は、当人が目覚めるまで謎のまま、という事ね。仕方ないわ、戻るわよ」

 監視カメラが逐次状況を見張る部屋を出た3人はそのまま発令所に向かう。
 道すがらリツコは思い出したように発言する。

「イレギュラーはありましたが、定期検診は完了しました。このまま擬似エントリー実験を行ないますが、よろしいですね?」
「ああ、よろしく頼む。ナオコ君の方も進展があればすぐに知らせる。それとこれも碇から聞いた事なんだが、彼女の戦士としての名は『赤木プルート』とか言うそうだ」

(プルート……確か冥界の王の名前……まさか母さん、黄泉の扉を開いて戻ってきてしまったのかしら)

 冬月の言葉は、リツコの水鏡に少し波紋を起こしたようだ。

(プルート……確かあのアミューズメントパークに居る犬の名前……まさか先輩のお母様は、犬の耳を装着!?)

 マヤの大嵐は単なる勘違いだろうが。


 


「えぇ〜〜〜っ!? また脱ぐのぉ〜〜〜!?」

 下着姿のアスカのぼやきをマイクが捉え、それを聞いたリツコから返答が返る。ただしスピーカから。

『ここから先は超クリーンルームですからね。シャワーを浴びて、下着を変えるだけでは済まないのよ』

「なんでオートパイロットの実験で、こんな事しなきゃいけないのよぉ」

 文句を言いながらもアスカは一切の衣類を脱ぎ捨てて、洗浄滅菌処理装置の中を通って妙な霧を浴びたり、怪しげな青色の液体に浸かったりする。なんかぬるぬるしててイヤだこれ。

『時間はただ流れてるだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの』

 嘘っパチである。もとい、混乱を避ける方便である。

 人類生存の鍵として科学技術の粋を結集して開発された汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン。だがその中核を作り上げた人間は実のところ殆んど存命していない。つい先程、亡くなった筈のコアメンバーが約一名出現したりしているが、残っているのはネルフ本部でもゲンドウ・冬月くらいしかいない。
 現責任者であるリツコは前任者赤木ナオコがMAGIに蓄積した情報を掘り起こして利用しているだけに過ぎない。単に彼女は「計画」通りに建造が進行しているか、完成したエヴァが「仕様」通りの性能を発揮しているか確認しているだけなのである。
 それでも現時点でもっともエヴァを知る者には違いない。

 とは言えリツコは、まだ残念ながらエヴァを改良できる程の理解は持っていない。ではなにゆえに子供たちを裸に剥いてまで謎のテストをしているのか。
 その答えもまたMAGIの中に埋もれている。

 チーン。と滅菌プロセス完了の音がして、キレイになったチルドレン3名が吐き出されて並んだ。
 シャワーボックスの如く狭い箱は、20%透明のブラウンなボードで区切られており、お隣りを覗き込んだら見えてしまう。奥からレイ、シンジ、アスカ。
 迂闊に横を見て張り倒されないように注意しながら、かつ両手を前に回して恥ずかしげにうつむいているシンジ。両サイドの女子二人はあっけらかんと落ち着いたものなのに、やっぱりシンちゃんだけねぇ〜恥じらい持ってるのは、などとミサトが思っている。

「ほら、お望みの姿になったわよ。17回も垢を落とされてね!」

『では3人とも、この部屋を抜けてその姿のままエントリープラグに入ってちょうだい』

「エーーーっ!?」

『大丈夫、映像モニターは切ってあるわ。プライバシーは保護してあるから』

「そういう問題じゃないでしょ!? 気持ちの問題よっ」

 拳を握って怒ったアスカが腕組みする。その様子を横目でそぉぉっと窺おうとするシンジの顔にアスカのジト目が突き刺さる。慌てて下を向くシンジ。

『このテストは、プラグスーツの補助無しに直接肉体からハーモニクスを行うのが趣旨なのよ』
『アスカ、もしかして最近太ったの気にしてる?』

「太ってなんかないわよっ! もぉ〜〜っ、絶対見ないでよっ!」

 しかし信頼は裏切られる為に存在する。眼球に似たデザインの赤いレンズがはめ込まれたカメラは天井からぶら下がり、御参方のもぎたてヌード(死語しかも恥ずい)をしっかり見ているのだった。

 

 シンジが必要以上におっかなびっくりエントリープラグまで歩いたり、気合一発吹っ切ったアスカが堂々と搭乗する。レイはいつもどおり、すたすた。
 モニタルームではE計画責任者赤木リツコを筆頭に、マヤなどシンクロテスト関係人員、および作戦立てて自分も戦う偉い人、葛城ミサト三佐が顔を揃えていた。
 
「各パイロット、エントリー準備完了しました」

 一応プライバシーを守るといった手前、とりあえず透過光処理でごまかされてモニタに表示されているプラグ内のチルドレン諸氏。

「テストスタート」

 青い液体に沈められた模擬体からゴポゴポと空気が漏れ出して泡が昇っていく。

『テストスタートします。オートパイロット記憶開始。シミュレーションプラグを挿入』
『システムを模擬体と接続します』

 エヴァ実機へのエントリーと酷似した設備・手順を用いて模擬体に挿入されるプラグ。やや構成部品に隙間の多いエヴァといった風情の模擬体にはMAGIへ連なるセンサーが張り巡らされており、各部品およびプラグ内の状況を送りつづけている。

「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」
「おぉー、早い早い。MAGIサマサマだわ。初実験のとき一週間ももかかったのが嘘のようね」
「テストは約3時間で終わる予定です」

 ん?と首を捻るミサト。聞き覚えのある声だわねー、と後ろを向くと、居た。オペレータ席にくわえ煙草している(館内禁煙につき火は着けてない)加持リョウジが。

「……あんた、何してんのよ」
「よぉ、お疲れさん。見ての通り仕事だよ。この席の人間が、法事らしいんで代打ちさ」
「あっそ」

 ぴくく、とマユゲを怒らせたミサトは背を向ける。

(ちょっとリツコっ、あんなとこにあいつなんか座らせていいのっ!?)
(仕方ないでしょ。人数が足りないんだから)
(だからって素人なんか置いたら事故でもあった時困るのあんたなのよっ!)
(あら、彼なら大丈夫よ。使い方も教えてないのに、夜な夜なMAGIのログに名前が残ってるくらいだから、端末操作くらいできるはずよ)

 小声でのやり取りは、リツコの全てを承知した笑みで打ち切られた。
 釈然とせず苦い顔のミサトを尻目にテストは進行する。神経接続の完了を確認したリツコはガラス越しに問い掛けた。

『気分はどう?』

「何か違うわ」
「うん、いつもと違う気がする」
「感覚がおかしいのよ。右腕だけハッキリして、あとはぼやけた感じ……」

 レイ、そしてあとの二人も予想通りの解答を返してくれる。

『レイ、右手を動かすイメージを描いてみて』
「はい」

 本物そっくりの操縦桿(本物と同じ部品だが)を掴むレイ。手だけキッチリつくられた模擬体の指がもぎゅもぎゅと動く。

「データ収集、順調です」
「問題は無いようね。MAGIを通常に戻して」

 ピー。
 英文字の行列が走っていた画面は、3台のユニット状態をあらわす薄緑の四角表示に変わる。擬似接続・模擬体の制御最優先にしていたのを日常お仕事モードに戻したので、平常業務を再開してるというわけだ。
 各ユニットは明滅しながら互いに情報を交換する。そして与えられた命題と、そのちょっと先に起こりうる出来事を解決すべく『判断を下す』計算機。
 例えばメルキオールが『近頃業者の手抜き工事で不具合が多いんだけど、ペナルティを厳しくしたらどう?』と問い掛ければ、バルタザールとカスパーが良く考えて『無茶な工期短縮のせいだから全部が全部業者が悪いとは言えない』や『一番悪いのは資材搬入チェックで時間かかりすぎなこと』と答えを返すという具合である。
 3台のユニットは、あえて意見が対立するように思考パターンをそれぞれ変えてある。人間が持つ心の葛藤を表現しているらしい。

 あー、働いてるなーとミサトがそれを眺めていると、リツコは記憶から掬い出したキーワードを呟く。

「ジレンマか……作った人間の性格が伺えるわね」
「なに言ってんの、作ったのはあんたでしょぉ?」
「なんだ葛城、そんな事も知らないのか?」

 加持が顔を上げて口を挟む。画面から目線を外してしまっているのに手はしっかり動いているあたり、リツコの言ったとおり心配なさそうな熟練度だ。
 むかっ、外回りが仕事のクセに訳知り顔でエラソーーーにっ。
 振り向くミサト。

「うるさいわねぇ、あたしは誰かさんと違って詮索が趣味でもないし、覗きが仕事でもないのよ」
「おお、これは手厳しいねぇ。リっちゃん、種明かししてやったらどうだい」
「……私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは、母さんよ」
「えっ、これナオコおばさんが作ったの!?」

 目を見開くミサトと細めるリツコ。

「母さんと面識あるの?」
「うーん、どこで会ったのか忘れたけど、確か『おばちゃん』って呼んで首締められた記憶が……どこでだったっけ?」


 


「確認してるんだな」

 モニタを睨むように真剣な眼差しでチェックしているのは冬月副司令。その画面を拡大操作するオペレーターは青葉シゲル二尉。

「ええ、一応。3日前に搬入されたパーツです。ここですね、変質してるのは」
「第87タンパク壁か」

 シグマユニットD−17
 <至プリブノーボックス(to PRIBNOW BOX)  至中央大垂直溝(to CENTRAL DOGMA)>

 説明が周囲を固める画像。画面中央部にはモヤモヤした染みらしき変質が、黒い壁に飛び散った血痕のように示されている。
 温度と伝導率に若干の変化が見られる事から日向は浸蝕と判断した。無菌室の劣化の発生頻度や、工期の圧縮に端を発する杜撰な工事について意見を交わす青葉たち。
 雑務の管理者冬月は命令を下す。

「明日までに処理しておけ。碇がうるさいからな」
「了解。実験中の赤木博士にも連絡しておきます」

 

 光学カメラの観測映像では壁の染みは紫色をしている。カビのようにも見える。

「―――また水漏れ?」
「いえ、浸蝕だそうです。この上のタンパク壁」
「まいったわね。テストに支障は?」
「今のところは、大丈夫です」
「では続けて。このテストはおいそれと中断するわけには行かないわ。碇司令もうるさいし」

 最近ネルフ内に密やかに流布している「碇司令あんまり要らない説」の影響を受けてか、ゲンドウの印象が「小うるさい親バカのおじさん」になっているような、いないような呟きをくっつけてのリツコの指示。
 どうでもいいが白衣の合間から覗くダークブラウンのストッキングがセクシーである。どうでもいいがポケットに手を入れて直立姿勢なのにスタイリッシュである。

「了解。シンクロ位置、正常」
「シミュレーションプラグを模擬体経由でエヴァ本体と接続します」
「エヴァ零号機、コンタクト確認」
「ATフィールド、出力2ヨクトで発生します」

 順調に嘘シンクロ実験は進んでいると思われたが、零号機をモニタリングしていた画面にALERTの文字が割り込んでくる。同時に警報が鳴る。MAGIが異状を察知したようだ。

「どうしたの?」
『シグマユニット、Aフロアに汚染警報発令!』
「第87タンパク壁が劣化、発熱しています」

 浸蝕と思われていたタンパク壁の劣化部分が、僅かに赤い光を放っている。あからさまに怪しい。この都市でこういう系統の何かが発生した場合、経験上だいたい使徒の仕業である。

「第6パイプにも異状発生。おいおい、マズいんじゃないかこれ?」
「タンパク壁の浸蝕部が増殖しています! 爆発的スピードです!」

 マヤのコンソールではヘクスマップいっぱいに広がっていく赤い領域が予測の的中を示唆している。リツコは次の手と、次の次の手を考える。彼女の頭上で意志を反映するかの如く自律的にひくひくと動く黒いネコ型イヤー。
 白衣を翻してリツコは行動を開始する。

「実験中止! 第6パイプを緊急閉鎖!」
「はい!」

 マヤが緊急全閉鎖ボタンをぎゅっと押す、と7本の棒型スイッチが同期して一斉に降りる。
 謎の液体を送り込んでいたパイプが遮断、切り離され、隔壁により完全に閉ざされる。

「60、38、39、閉鎖されました!」
「6の42に浸蝕発生!」
「ダメです、浸蝕は壁自体に進行しています!」

 物理的に分断しても、その壁を浸蝕し、吸収して増殖している染み。その範囲は手を伸ばすように一方向に偏って広がっていく。目的を持っているのかどうか全く窺い知れないが、進行方向的には模擬体を収めた巨大水槽へ向かっている。

「ポリソーム、用意」

 水槽の中、壁の一部が開き、巨大なレンズのついた砲塔がせり出してくる。透明度が高いとは言え特殊な薬品入りの水中でレーザー兵器とは、かなりエネルギー効率が悪いような気がしないでもないが、これしか据え付けられてないので贅沢は言ってられない。

「レーザー出力最大。侵入と同時に発射」
「浸蝕部、6の58に到達。来ます!」

 壁の中を突き進む変質組織の支配領域が広がっていくのがモニタで分かる。そして赤い染みが水槽の壁に組織の一部を露呈すると思われた。
 だが。

 モニタ表示とは裏腹に、何も起きない。
 壁にはいつまで経っても浸蝕が顔を出さない。

 重い静寂。そして、

「―――ぁああああっ―――!」

 レイの悲鳴がリツコの眼を見開かせた。

「レイ!」
「レイの模擬体が動いています!」

 マヤの端末まで駆け寄り、その画面を覗き込む。

「浸蝕部、さらに拡大。模擬体の活水システムを侵しています」

 微粒子の如く郡生体に取り憑かれ、首の代わりにパイプが無数に生えた巨人の身体が軋みながら動き出す。その様子を睨むように見据えながら、対応を考えているミサト。
 模擬体No.0の手が彼女へ向けてのばされる。
 リツコは緊急停止レバーのガラスを割り、それを引いた。迫る模擬体の腕が根元から分断され、千切れ飛んだそれはガラスに叩きつけられてヒビを入れる。
 腕で顔をかばいながら振り向いてミサトは、声のトーンを上げる。

「レイは!?」
「無事です!」
「全プラグを緊急射出! レーザー急いで!」

 三体の首なし巨人から擬似エントリープラグが飛び出し、液体の中を上昇していく。開かれた天井から行く先はジオフロント内の地底湖。プラグが飛び去ると同時に隔壁が天井を塞ぐ。
 ポリソームレーザーの照準が実験室柱に染み出た変質部分に向けられる。そして一斉照射。
 だが、赤い光を浴びせられた染みは、極小サイズだが確実に、正多角形の赤い光の壁……に見える位相空間を作り上げてそれを弾いた。

「ATフィールド!?」
「まさか!」

 使徒だろうとは思っていても極小サイズの生命体がレーザーを弾くとは信じ難い。
 しかし模擬体表面を覆い尽くさんばかりに増殖していく赤い発光郡生体を見て、さらに分析パターン青を確認してしまった以上、それが使徒である事は否定しようもない。

「目標を第11使徒と認定、ボックスは破棄します。総員退避。ミサト、あなたもよ」

 ミサトは胸の十字架を握り締めて水色の箱の奥を睨んでいた。

「―――待ってリツコ。あたしが戦(や)るわ」


 


 使徒侵入の報を受けた冬月は、さして驚く様子もなく、青葉から受話器を受け取るとラーメンの出前を注文するかの如く気楽に喋りだした。

「また使徒が侵入したそうだな」

『今回は本体ですから事態はもっと悪いでしょう。すぐにセントラルドグマとシグマユニットの隔離が必要です。物理閉鎖措置を」

「わかった。―――セントラルドグマを物理閉鎖、シグマユニットから隔離だ」
「了解。セントラルドグマを物理閉鎖します」
「シグマユニットおよびBフロアからの退避完了次第、全隔壁を閉鎖」

 日向、青葉他、熟練度もかなり上がってきたオペレータ各位のスムーズな働きによって、次々と通路を分断していく分厚い壁。もっとも、これらが今回の浸蝕使徒に対し目立った効果を持たないのは先刻承知のとおりなのだが。

「君達は速やかにこちらへ向かってくれたまえ」

『はい。使徒殲滅の為葛城三佐をここに残しますが宜しいですか?』

「ああ、そうだな。碇に断りを入れるから少し待ってくれ」

 警報が鳴り出した直後から、どこかへ電話をしていたゲンドウは、ようやく話が決着したらしく受話器を置くと、手袋に覆われた手を組んだ。それを見計らって冬月が声をかける。

「碇、葛城三佐の戦闘許可を求めているんだが」
「赤木博士か? 話したい、代わってくれ」

 冬月はリツコとつながっていた電話を司令席に転送する。
 再び受話器を取ったゲンドウは、リツコの母が目覚めたと告げた。

「そして彼女から伝言だ。『この使徒にはエヴァも葛城ムーンも勝てない。手出しするな』と。退避だ。すぐ発令所に戻れ」

『……わかりました』

 通信が切れ、受話器を置くと今度は、

「警報を止めろ!」

 と命令を投げる。

「け……警報を停止します!」
「誤報だ。探知機のミスだ。日本政府と委員会にはそう伝えろ」
「了解」

 青葉が微妙に謎めいた指示に従って赤い点滅を止めている間にも、汚染区域はさらに下降。プリブノーボックスからシグマユニット全域へと広がっていく。
 モニタを埋め尽くしていく速さが流石に焦りを呼んだのだろう、冬月はゲンドウにだけ聞こえるような小声で何事か告げる。

「場所がまずいぞ」
「ああ……リリスに近すぎる」

 同じく焦燥に駆られ、汗腺がやや開き気味のゲンドウは、しかし微塵も不安は感じさせない声を発する。

「汚染はシグマユニットまでで押さえろ。ジオフロントは犠牲にしても構わん。エヴァはすぐ地上へ射出しろ。初号機を最優先だ」
「初号機を、ですか?」

 意図を汲み取れなかった日向が鸚鵡返しする。

「そうだ。エヴァを汚染されるわけにはいかん。初号機さえ間に合えば、他の2機は破棄しても構わん」

 なぜ動かない機体の為に重要な戦力を、それも2機も捨ててよいと言うのか。深まる疑問に手が止まってしまう。
 オペレーターが動いてくれないので少し苛立つゲンドウ。

「使徒はエヴァが無くとも物理的に殲滅できる。急げ!」
「は、はい!」

 

 無機質で硬質な廊下をパタパタ走るミサトたちの頭上にも先ほどからひっきりなしにアナウンスが降り注いでいる。

『シグマユニット以下のセントラルドグマは60秒後に完全閉鎖されます。真空ポンプ作動まで後30びよぅ』

 びよぅ、のところでミサトがつまづく物などないのに足を取られてよろめく。危うく転倒しそうになるが根性でバランスを持ち直して集団に復帰。そしてヒト吠え、

「誰よ、こんな将棋の持ち時間みたいな発音してるのはっ!」
「誰でもないですよ。葛城さんもここのアナウンスは全部合成音声だって知ってるじゃないですかぁ」
「つまりリツコの仕業ってことね」

 このお茶目さんめ、とジト目のミサトだが、金髪のお姉さんは涼しい顔。

「だから私はシステムアップしただけと言ったでしょう。ところでさっきから加持君の姿が見えないみたいだけど」
「そんなのほっときゃいいわよ。どうせ徘徊してるか火事場泥棒のどっちかなんだから」
「確かにそうだけど……果たして彼に金庫は破れるかしら」

 含みのある微かな笑みはオトナ〜って感じで、全国の踏まれたい主義者には、あと後ろをついてくる白いネコ耳のお姉さんなんかには効果が抜群だと思われる。
 走り抜けてきた通路は次々に隔壁を降ろして彼女らを追い立てる。なんだか冒険映画の主人公ら一行のような心境だ。

『セントラルドグマ、完全閉鎖。大深度施設は侵入物に占拠されました』

 放送を聞きながらミサトは思う。

(形の無い使徒かぁ。エヴァーは無し、白兵は無理よね……どうしよう?)


 


Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon


 


 ジオフロントは広い。
 巨大な球状の地下空洞はその殆どが土砂に埋もれているとは言え、モノレールが走るくらい広い。
 地上からの採光だけでこんなに明るくなるもんなのか?と少し疑問に思われるようなドーム内は、草木が覆い、地底湖すら存在するのだ。

 その湖面にプクプクと泡が立った。それは徐々に勢いを増し、やがてプカリと筒のお化けが浮かんできた。子供達が裸のまま詰め込まれた擬似エントリープラグである。
 それは立て続けに3本浮上する。

 湖を騒がせていた空気は止み、漂う枯れ枝よろしく浮くに任せたままのプラグを除いては、元の静けさを取り戻す。

 そのうちの1本の中、アスカは背もたれに身体を深く預け、腕組みをして考えていた。

 使徒が出たというのに何故、栄光のエヴァンゲリオン弐号機専属パイロットたる惣流アスカは、こんな姿で、こんなどこかもわからない場所で(多分地底湖に出たのだろうとは推測していたが)ただ助けを待ってじっとしていなければならないのか?
 通信が切れる直前にリツコが「全プラグ緊急射出」と言っていたので、シンジやレイも同じく、救助待ちだろう。

 それは即ち、現在使徒と交戦しうる戦力は、あのミサトしか居ない事を示している。

「よろしくないわ。これはよろしくない」

 ミサトが敗北すればそこで世界はバッドエンド。だからって勝たれてもそれはそれでイヤん。
 弐号機が健在なら何とかしてこの筒から出て、裸だろうと何だろうとエヴァまで辿り着いて乗るところだけど、でも今は弐号機は空から降って来た目玉おばけの爆発に巻き込まれ中破して修理中。アスカに参戦する術は無い。

 そうなると今度は、シンジを脱出させて零号機に放り込んで、何とか戦わせて……勝てるか? 無理っぽい(即断)
 かくしてニセエントリープラグ内で八方塞りに陥っているアスカ。

「あーっ、もぉぉぉっ、早くしないとミサトに獲られちゃうじゃないのよーっ!」

 

 そうとも限らない。

 リツコとマヤは、使徒の領土を示すヘクスマップを観察している。

「ほら、ここが重水の境目。酸素が多いところよ」
「好みがハッキリしてますね」
「無菌状態維持のため、オゾンを噴出しているところは汚染されていません」

 使徒の好き嫌いを含む細かいデータを収集中。さながら生態観測だ。
 光学ズームによる使徒の形状把握、同赤外線カメラ、紫外線反応、導電性、屈折率、浸蝕と増殖のメカニズム。あらゆる情報がMAGIに叩き込まれ、あるいは人間の頭脳で弱点を探る。

 青葉の指摘から酸素に弱いかもしれない、と可能性を掴んだ面々。副司令からオゾン攻撃の命が発せられ、即座に実行に移る。

「オゾン注入。濃度増加しています」
「効いてる効いてる」

 メインスクリーンには使徒に支配されてモゴモゴ動いている模擬体が見える。全身に寄生した赤い粒子が不気味である。

 完全に占領されたプリブノーボックス、それを含むシグマユニット全体を取り巻くようにしてバルブ全開で流し込まれるオゾン。徐々に押され始めた使徒はヘクスマップ上を1コマ撤退、さらに2コマ削減、とマイナス成長に転じた。
 赤い六角形が再び黒く塗りつぶされていく。

 模擬体はオゾンが効いているらしく、ちょっと苦しそうに暴れている様子。

「ゼロAとゼロBは回復しそうです」
「パイプ周り、正常値に戻りました」
「やはり、中心部は強いですねぇ」
「……よし、オゾンを増やせ」

 これはイケルか?と期待の膨らんできた副司令が追い討ちを発令。しかしオゾンを発生させる装置は既にフル回転なのでこれ以上増産できなかったりする。
 それでもコンスタントに使徒の支配圏は縮小を続け、ついにはシグマユニットほぼ全域を誇っていた版図もプリブノーボックスを残すのみとなった。

 そして、スクリーンの映像に変化が起こる。赤い光点は模擬体表面で移動を始め、幾何学模様を描きだした。
 赤いヘクスの減少が止まる。僅かに模擬体のみを棲息範囲と残して。

「……変ね。変化が無くなったわ」
「これは……ATフィールドです! 使徒は規則的配置によってATフィールドを隙間無く展開している模様!」
「模擬体表面全体がATフィールドで覆われています!」
「だめです。まるで効果がなくなりました」

 リツコは眉根を寄せる。
 マイクロマシン、細菌サイズの使徒。その個体が集まって群れをつくり、常に自分自身を変化させながら増殖を続け、環境の変化に適応しているのではないか、と仮説を立てていた。だからオゾン程度のガスには対応してくるだろうと読んだ。
 しかし郡体は変化を見せず、オゾンに追い込まれて一定範囲に留まり、言わば「篭城」する形を取っている。

 赤い鱗をまとったかのように輝く模擬体。

 何か作為的なモノを感じる。妙な胸騒ぎがする。
 その正体は分からないが、背後に何らかの意志を感じる。

「動かなくなったみたいだけど、どうするのリツコ。シンジ君たち回収してきていい?」
「待ちたまえ葛城三佐、今は使徒を倒す事が先決だ。丁度今回の敵に詳しいオブザーバーが来てくれた。作戦会議を開く」

 そう宣言したゲンドウの背後で昇降機がヒトを載せて昇ってきた。

 ややウェーブがかった短い髪。かなりチャレンジャーな紫色のリップ。
 黒いセーラーの襟、同じく黒い大きなリボンが胸にあしらわれた、白いレオタード。
 黒いスコートにはプリーツが踊っている。そして黒いブーツ。

「久しぶりねリっちゃん、それからミサトちゃん、私の事覚えてるかしら?」
「え、ええええっ!? うそっ、まさかっ!」

 ミサトの目はまん丸である。

 銀色に輝く金属で形作られている意匠に凝った長い杖を持った人物は、いったい何歳なんだかよく分からない姿で、嫣然と微笑んだ。

「私たちには挨拶はなしか……」
「すねるな。不気味だ」
「あら、ゲンドウ君も先生もまだ死んでなかったのね」

 彼女は同じくゲンドウたちにも微笑を向けたが、微妙にトゲのたった、少し因縁を感じさせるものだった。

「あ、いや、その……すまん」
「あら、どうして謝るの? ゲンドウ君?」
「いや、その……」
「とにかく紹介しよう。彼女がネルフの前身組織でMAGIとエヴァの開発を一手に担っていた赤木ナオコ君だ。一応7年前に死亡した事になっている」

 冬月の簡潔な説明は、発令所メンバー全員を完全に沈黙させた。


 


 場所を変えて。
 ゲンドウ、冬月をはじめ、技術部、作戦部、その他主力構成員を取り揃えて、中央にディスプレイ埋め込みテーブルが鎮座している。その大きなテーブルには模擬体の腕やらケーブルだらけの首やらの図がパラパラ開いている。
 ゲンドウと冬月の間、会議の主役の位置に彼女は立っていた。

「いろいろ聞きたいことはあるでしょうけど、時間も無いし、今は明かせない事も多いの。要点だけ説明するから悪いけれど、納得してね」

 ナオコが右手に持つ銀色の杖には、先端にハート型の枠と、ガーネット色に輝く光データディスクが飾られている。彼女の身の丈より長いそれは、メルキオール内部で酸素パイプをテコの原理で破壊したにも関わらず傷一つついていなかった。

「使徒の狙いはMAGIの奪取。そして私、赤木プルートの抹殺よ」
「っ」

 マヤがナオコから目をそらして手で口を押さえる。

「お、久しぶりにマヤちゃんがツボってる」
「犬よきっと、犬が頭の中走り回ってるんだわ」
「うぉほん!」

 冬月の咳払いで縮こまる青葉とミサト。

「今使徒はプリブノーボックスに留まってるわね。これはヤツがATフィールドを張りながら移動できないからなの」
「質問、いいかしら」
「聞かなくても分かるわ。リっちゃんはあの郡体生命が進化と淘汰で増殖していると思ったんでしょう?」
「……そうよ」

 憮然とするリツコ。ちょっとやりにくいと思っている。

「それは半分正解で半分誤り。実はあの無数の粒子の中の、たった一粒が、使徒の本体なのよ」

 ナオコは銀の杖を軽く持ち上げると、トン、と床をついた。すると杖の先についた円盤が回り出し、その穴から光が飛び出して立体映像が投影される。

「単純に進化をし続けるだけのミクロ種ならば、なんらかの方法で進化を促進してやる事で自滅を誘えるかもしれない」
「進化の執着地点は『死』そのものか……」

 ゲンドウの呟きに軽く頷いて先を続ける。

「でもあれは、本体の存続の為だけに働く操り人形。本体の意識が直接及ぶ範囲では、干渉できないわ」

 テーブルの上に赤く輝く模擬体の幽霊がくるくる回転している。

「でも逆に本体から離れれば能力を失い、オゾンでも増殖を抑制できてしまう。結論としては、中心の一点を潰さない限り膠着状態と言う事」

 円盤の回転が止まり、映像もかき消えた。

「次に使徒が取りうる行動は? はい、リっちゃん」
「MAGIへクラッキングをかけてくる可能性が高いわ。―――ライヴ映像をつないで」

 テーブルのディスプレイに使徒が映る。模擬体表面の赤い鱗は健在だが、その表皮の下では別の変化が見て取れた。

「光学模様が変化してますね」
「拡大して」
「光ってるラインは電子回路だ。こりゃコンピューターそのものだ」

 つまりエヴァサイズのスーパーコンピューターになってしまったわけか、やるなイロウル……と青葉は唸る。

「今は模擬体を幹線から切り離しているから動いていないけど、隙を見せればただちに不正侵入してくる筈よ」
「そう、さすがリっちゃん。そこで、それを逆手にとってMAGIを囮にしようと思うの」
「本気なの? 万が一MAGIを失う事になれば、本部は破棄するしかなくなるのよ」
「でも他に方法が無いのよ。あなたは使徒のクラックに備えてガードを固めておいて。そうして気を引いている間に、私がプリブノーボックスごと本体を消去するから」

 目線を交わし、言外に何かを語り合う赤木親子。
 そして折れたのはリツコの方だった。

「……わかったわ、母さん。いいえ、今は赤木プルート、だったわね」
「っ」

 顔を押さえて震えるマヤ。

「ハマってるハマってる」
「きっと犬がプラグスーツ着てポーズ取ってるのよ」
「うぉほん!」


 


『R警報発令。R警報発令。ネルフ本部内部に緊急事態が発生しました。D級勤務者は全員退避してください』

 発令所に戻った職員があわただしくクラック対策作業を進めるなか、避難勧告放送が流れる。
 一心にMAGIを操るオペレーターに望みを託して、ゲンドウはいつもどーり何もしていない。

「赤木プルートが速いか、使徒が速いか……勝負だな」
「碇。ナオコ君独りに任せていいのか? 葛城三佐も同行させるべきではないか?」
「ダメだ。巻き添えになる。彼女を信じて待つのが我々の仕事だ」

 ナオコは口にくわえるタイプの小さな酸素ボンベを持って地下深いシグマユニットへ向かった。
 ミサトが代わりに使徒本体討伐を引き受けようとしたが「私のミスから始まったことなのよ」とキッパリ断られてしまった。

「母さんは昔からそう。独りで全部抱え込んで……他人をあてにしない人なのよ」

 そりゃあんたも同じでしょ、と言いかけて呑み込むミサト。
 今はリツコの気を散らせてはいけない。大事なMAGI護衛の旗頭なのだ。

「ちょっと待ってマヤ、そこA−8の方が速いわよ。ちょっと貸して」

 オペレーターたちに指示を出しつつのコンソール片手打ちを見せる。もはや芸の域だ。

「さすが先輩……」

 うっとりしてるマヤはほっといて、ミサトは使徒の映像に見入っていた。
 ミスってどういうこと? ナオコおば……お姉さん(昔の記憶をちょっと思い出してブルーに)が、この使徒に詳しいのは何故?
 そんなこんな考えていると、不意に画面が砂嵐になった。

「あれ、どうしたの?」
「サブコンピューターがクラッキングを受けています! 侵入者不明!」
「早くないか!? クソっ、Cモードで対応!」

 プリブノーボックスがまだネットワーク幹線から切断されている事を確認するリツコ。敵は睨み合いをヤメ、遠回りな別ルートから無理矢理侵入してくるつもりになったようだ。

「防壁を解凍します! 擬似エントリー展開」
「擬似エントリーを回避されました!」
「逆探まで18秒」
「防壁を展開!」
「防壁を突破されました!」

 サブコンピュータのステータスボードが赤いランプに占拠されていく。

「擬似エントリーをさらに展開します! ……こりゃ人間ワザじゃないぞ」

 まだMAGIの完全プロテクト工作は中途だったのだが、そうも言ってられず対応に追われるオペレーター諸氏。

「逆探に成功、この施設内です! ……B棟の地下、プリブノーボックスです!」

 やっぱり使徒っ! 否が応でも緊張感の高まる発令所。
 人間のキータッチ速度の限界に挑戦する心持ちで、出し惜しみせずにサイバー・シールドを張る。が、あえなく破られていく。

「擬似エントリー展開失敗! 妨害されました!」
「保安部のメインバンクにアクセスしています。パスワードを走査中―――12ケタ、16ケタ……Dワードクリア!」
「保安部のメインバンクに侵入されました!」

 機密保持の為独立動作していた他部署のコンピューターに見事入り込んだ使徒は、そこに秘匿されている全ての情報を洗いざらい食らい尽くす勢いで荒らしまわる。

「メインバンクを読んでいます! 解除できません!!」
「メインパスを探っています。……このコードは…来た! MAGIに侵入するつもりです!」
「リツコ!」
「Aダナン型防壁展開! 少しでも時間を稼いで、手が空いた者は先刻指示の通り、プロテクト作業続行して!」


 

 赤木ナオコは黒いプリーツをひらひらさせながら、くるぶしまで水に浸った通路をひた走っていた。
 もはや役立たずの隔壁は開けてしまい、酸素に代わり同素体ガスを詰め込んであるシグマユニット。ボンベをくわえているが、それほど長くは持たない。急がなくては。

 ナオコが以前この通路を見たのは7年前。時が経てば整備も進み、印象も変わっている。まるで殺伐とした病院の廊下だった過去とは違い、今はSFに出てくる宇宙船の通路のようだ。
 ……あんまり変わってない。

(見えた! あの部屋ね)

 銀の杖を握る手にグッと力を入れて、駆け込んだプリブノーボックス。
 強化ガラスが割れて水が流れ出した水槽の中に、腰まで水面に浸かった模擬体が見えた。
 ATフィールドによる赤い鱗の下で、知能回路がせわしなく働いて光っている。

(やっと決着ね……。さよなら、リっちゃん……ゲンドウ君……会えなかったけどレイちゃんも元気で居るかしら?)

 両手で銀色の杖を掲げると、先端の赤い円盤が回転を始め、宝玉よりも眩く光り輝いた。

(偉大なる時空の神クロノスの名に於いて……)

 模擬体ごと、プリブノーボックスごと、自分ごと、空間ごと封印してしまおうとしていたナオコ。だが―――

【囮ニカカッタナ、赤木プルート!】

 能力発動の寸前に、不意をつかれた。
 模擬体表面を覆っていたATフィールドは消え去り、切れ飛んでいたはずの右腕がナオコの反応速度を越えて空を舞い、迫り来る!

「きゃぅっ!!」

 巨大な手によってがっしりと身体を捕まれ締め上げられる。苦悶の表情を浮かべるナオコ。

【貴様ノ手ノ内ハ、モウ知ッテイル。ココニ存在スルノハ、イロウル様ノ命令ヲ忠実ニ遂行スル我ラ分身ノミ】

 どこから声が聞こえているのかは分からない。あるいは壁そのものを浸蝕し、スピーカーのように鳴動させて音を出しているのかもしれない。

【既ニ、イロウル様ハ「りりん」ノ体内ニ潜入シテオラレルノダ!】

「か…はっ……」

【オヤ、苦シソウダナ? 「オゾン」トヤラガ毒ナノカ? キカカカカカ、下等生物ハ面倒ダナ!!】


 

「―――だめです! 使徒に乗っ取られます!」

 模擬体からサブコンピューターを経由してMAGIに侵入した使徒は、リツコらの懸命な抵抗を物ともせず、3つのユニットの右下をねじ伏せた。

「メルキオール、使徒にリプログラムされました!」

『人工知能メルキオールより自律自爆が提訴されました』

 ―――否決。否決。
 バルタザール、カスパーは勿論、自爆の必然性なんて感じていないため、メルキオールの提訴を拒否した。2対1で自爆は踏みとどまる。
 自爆装置なんかついてんの!?とスクリーンを見上げてビックリのミサト。
 リツコは即座にメルキオールのコントロールを奪還すべく反撃に転じる。

「残るユニットから同時にメルキオールを攻撃!」
「くそっ!こっちは2台がかりなのに、速いっ」
「なんて計算速度だ! バルタザール押されています!」

 日向・青葉は職務を果たし、保安部のメインバンクに入ってるセキュリティデータを無効にするため、新しいパスキー設定を打ち込むとか地味な作業をしてくれていたが、一人だけこの非常時に手がお留守になっている娘がいる。

「何をしているのマヤ! 早く防壁を!」
「……終わった」

 リツコの声など全く意に介さない様子。ぼんやりと中空を見上げてマヤは呟いた。

「まだ終わってないわよ! しっかりしなさい!」
「待ってリツコ、マヤちゃんの目が!!」
「!?」

 すくっ、と立ち上がるマヤ。

「もう終わったんですよ、センパイ。今……プリブノーボックスに残してきた『デコイ』が、赤木ナオコを捕らえたんです】

 振り返り、ニヤーリと笑うその瞳は、紛れも無く真紅。
 途端に止めていた警報が鳴り響きだす発令所。

【もうMAGIなんてどうでもいいんですよ。後は邪魔者全て抹殺するだけなんですから……ふふふふふ♪】

「マヤちゃん!?」
「まさか、使徒か!」
「マヤが敵に回るとはね……」

 じりじりと距離を取るリツコ。ナオコ捕獲発言が動揺に追い討ちをかけている。

「まずいぞ、碇……」
「うむ……」
「うむじゃないぞ、どうするんだ」
「むう……」

 上の方では汗かき地蔵が2体。発令所その他スタッフもすっかり手を動かすのを忘れてマヤに注目である。
 そして下がるリツコと入れ替わりにミサトが前に出てきた。立ち位置交代の瞬間にリツコは小声で告げる。

「ミサトちゃん…変身よ…」

 パキンッ、とミサトのロザリオから金属音が聞こえた。

「あに恥ずかしがってるのよ」
「いいから行って」
「はいはい……シルバーーー―――」

 ロザリオを握るミサト。それを見てマヤの目が小馬鹿にするようにスウっと細くなった。そして口元がニタリと歪む。

【何か忘れてませんか? こっちにもあるんですよ、これ】

 自分の頭を指さす。すると確かにそこにも白いネコ模擬耳があり、ぴくぴくとひくついた。

【ふふ……ミサト! 変身しちゃダメだっ!】

 拳を握り締めてマヤがそう唱えると―――ガチン、とロザリオからいつもと違う金属音が飛び出した。

「メーーーーーーイク・アーーーップ!!」

 掲げられた幻の銀十字! それは眩い光を発し、葛城ミサトをプラグスーツ美人(自称)戦士葛城ムーンに変えるのだが、今回は何も起こらなかった!!
 あ、あれ? あれっ? と十字架を手に慌てるミサト。

「リツコ〜? 声が小さかったんじゃない? もう一度お願い!」
「わかってるわ……ミサトちゃん、変身よっ……」

 パキンッ。とロザリオから(以下略)

「オッケイ! シルバーーー! ロザリオパワーーー!」

【だから変身しちゃダメだっ!】

 ガチン。なんと彼女らの頭上にオンザましますネコ耳には、変身ロック機能までついているようだ。

「メーーーイクアーーーップ!! ……ええ〜〜っ? やっぱりダメだわっ! リツコっ」

 黒いネコ耳のお姉さんちょっと泣きそう。でも仕事だから、

「ミサトちゃん、変身よ!」(ヤケ気味) パキンッ。
【変身しちゃダメだっ!】 ガチン。
「変身よっ!」 パキンッ。
【ダメだっ!!】 ガチン。
「変身ったら変身!!」 パキンッ。
【ダメだったらダメだーっ!!】 ガチン。

 おおう、あのリツコが叫んでる叫んでる、うわーおもしろーーい、とか思ってミサトはつい見入ってしまった。

「へーんーしーんーーっ!!」 パキンッ。
【ダーーメーーむぐっ!? むも!?】

 全員の視線がネコさんたちに集中してる間に、いつの間に後ろに回ったのか青葉がマヤの口を手で塞いで抱えている。

「いまのうちに葛城さんっ!!」
「ナイス青葉君っ! ちょっと誘拐犯みたいだけどっ!!」

 ビシっと親指を立てたミサトは、ロザリオを天に掲げて「シルバーー(中略)アーーップ!!」と変身した。
 直後青葉は、マヤを中心に発生したATフィールドの赤い光に弾き飛ばされてMAGIコンソールに背中を打ち「ぐわぁっ!」と転がり悶える。

【キャー!イヤーー!痴漢ッ変態ーッ!!司令ーーッ!!】

 泣きながら全身でイヤンイヤンしているマヤは最高に隙だらけである。

「あれは私に助けを求めていると思って良いのだろうか」
「いや、違うな(くくく)」

 青葉には肉体的な、ゲンドウには精神的なダメージを与えながら大暴れしているマヤを見据えつつ、ミサトは胸のロザリオから「例の鈍器」を取り出した。そうそう、その何とかロッドだ。

 そうこうしてる間に後ろでは、バルタザールまでも使徒に乗っ取られてしまっていたりする。

『人工知能により、自律自爆が決議されました。自爆装置は三者一致ののち02秒で行われます。
 自爆範囲はジオイド深度マイナス280、マイナス140、ゼロフロアーです。特例582発動下のため、人工知能以外によるキャンセルはできません』

「やばっ、始まっちゃったの!?」
「バルタザール、さらにカスパーに侵入!」

『自爆装置作動まであと20びよぅ』

「いかん」
「リツコ!プロテクト解除お願いっ!」
「い、今よ葛城ムーン!」

『自爆装置作動まで、あと15びよぅ』

【あっ、いつの間に!? そうはさせむぐっ!?】
「急いで葛城さんっ!」
【キャーーッ!メガネーーーッ!!イヤーーーッ!!】
「ぐわぁっ!」

『自爆装置作動まで、あと10びよぅ』

「さんきゅー日向君っ! よしっ、ムーーーーーーン!」

 きゅう。
 はち。

「プリンセスーーーーー!」
【ああっ、そんな! こ、こうなったら】

 なな。

【イロウルここで自爆しますっ!】

 ろく。
 ごぅ。

「ハァァァァァ」
「マヤ、思い出して!」

 ぃよん。

「ァァァァァ」
「プルートがプラグスーツよ!」
【っ】

 さん。

「レルヤァーーーーーーッ!!」
【あっ! しまっ】

 にぃ。

【キャァーッ!? リ、リバ……―――】

 いち。

 バルタザールまでもが使徒の軍門に下ったため、賛成多数で自爆が決議されてしまい、慌てたミサトはリツコにプログレッシブ・ムーン・ロッドのプロテクト解除を依頼し、それを受けて顔を伏せたままキーワードを叫んだリツコだったが、刻一刻と自爆が迫る緊迫した事態の中、邪魔させまいとするイロウルの口を今度は日向が押さえて即座に弾き飛ばされたりしている間に、ミサトの必殺技モーションを完成させまいとするイロウルの動きを察知し、咄嗟にマヤの心に響く単語を投げかけて動きを阻止した。
 そしてグルングルンと鈍器を振り回していたミサトの腕がピタリとマヤに突きつけられ、その先端に飾られたハート型のパーツから、目も眩むピンクの光が放射された!!

【らぁぶりぃーーーーーーーっ!せ・ん・ぱぁーーーーーーーいっ!!―――】

 光の奔流を浴びて、血のように赤く染まっていたマヤの瞳が、カラーコンタクトをはがしたように黒に戻る。
 そして彼女はへろへろパタン、とその場に倒れた。

 ……。

 動くものは誰も居ない。

 沈黙が発令所を包み込む。

 そして真っ赤に血塗られていたMAGIの状態表示が、ページをめくったようにサーッと青に変わる。

『―――人工知能により自律自爆が解除されました』

 淡々と流れるアナウンスに、思わず青葉はぐぐっと拳を握った。

「や、やったぁー! やったぞ日向!」
「お、おう……いててて……」

 厚く影を落としていた雲が吹き飛ぶかの如く、勝利の高揚が広がっていく。
 空気が軽くなった気がする。

『なお、特例582も解除されました。MAGIシステム通常モードに戻ります』

 ふぅ、と安堵の溜め息を漏らすリツコ。

「……今日は加持君来なかったわね」
「はぁー……一時はどうなることかと思った……」

 ぺたん、と床に座り込む葛城ムーン。

 

『R警報解除。R警報解除。総員第一種警戒態勢に移行してください』

 シグマユニット、模擬体に輝いていた群生細菌使徒は、本体の消失とともにシュワシュワと存在を失って消えた。


 


 その日の夜中。
 発令所の下のほうでMAGI本体の側にて。

『シグマユニット解放。MAGIシステム再開までマイナス、ゼロサンです』

 回収した子供たちはとっとと家に帰し、後始末に残ってお仕事をしているリツコへ、ミサトがマグカップを持ってくる。
 おつかれさん、と渡されたそれを受け取りながら、リツコはパイプ椅子に深く腰掛け、背中を丸めて熱いコーヒーをすする。

「もう歳かしらね。徹夜が堪えるわ」
「そう言えばリっちゃん、もう大台に乗ったのかしら?」
「母さん……もう動いていいの?」

 大台の話は捨て置いて、プラグスーツの上に白衣を羽織ったナオコの登場を迎え撃つ。
 確か先程までツブツブ使徒に捕まってオゾン責めを受けて、救出されたけどベッドで生死を彷徨っていた筈なのだが。しかし全然ダメージなんか見えない元気な足取りで現れた彼女は、リツコの問いをまるっきり無視してミサトに話し掛ける。

「ミサトちゃんは大台まだ?」
「母さん」
「そんな怖い顔しないでよ。誰でも歳は取るものよ。問題は若く見えるか否かだけで」

 全然フォローになっていない発言をしながらナオコはリツコからマグを奪い取る。

「うん、インスタントもなかなか進歩してるじゃない。ミサトちゃんも、まー色っぽくなっちゃったわね。それで唐突なんだけど、お別れを言いに来たの」

 本当に唐突だ。
 言葉も無い二人の感情を知って無視しているのか、リツコにマグを返しながら、

「今日は二人とも御免なさい。それからありがとう」
「母さん、さっぱり要領を得ないわ。何の事を言ってるの?」
「いいの、こっちの話よ。でもこれで安心して元の世界に帰れるわ。あんなにお婆ちゃん子だったリツコもネコ耳に耐えられる神経に育ったみたいだし」

 グサッと見えない音がして、リツコの顔に縦線が降りてくる。

「ミサトちゃんも若いツバメを飼う立派なレディになったみたいだし」

 うぶっ、とコーヒーを吹きそうになるミサト。

「ところでミサトちゃん、人格移植OSって知ってる?」
「え、ええ……(また脈絡がない……)第7世代の有機コンピューターに個人の人格を移植して思考させるシステム。エヴァの操縦にも使われている技術、よね」
「MAGIはその第一号なの。私が開発した技術なのよ」

 なぜそんな事を……まさか誉めてほしいわけでもないだろう。

「じゃあ、ナオコさんの人格を移植したの?」
「そう。しかも、私の持っている知識の全てが入ってるわ。だから言わば、MAGIは3人の私なの。守ってくれて、ありがと」

 ふう、とリツコは溜め息を吐く。初めからそう言ってくれれば混乱しないで話が聞けるのだが。

「昔母さんは、科学者としての自分、母としての自分、女としての自分……その3人がせめぎあっているのがMAGIだって言ってたわよね」
「そうだったかしら? でもごめんなさい。それ、嘘なの」
「……は?」
「確かに科学者と女としての考え方はプログラムしたけど、よくよく考えたら私、母親らしい事何もしてないって途中で気付いたのよ。だから、バルタザールには美少女戦士としての私が」
「帰って。もういいから家に帰って」

 ちょっと頭痛がしてきた。
 額を押さえるリツコを見て子供のように微笑んでいたナオコは、不意に「お母さん」の笑みに表情を変えると、リツコを抱きすくめた。
 息を呑んだリツコの手からマグカップが転がり落ちる。

「さよなら、リっちゃん。お婆ちゃんと、レイちゃんによろしくね。ミサトちゃんと仲良くして、元気で居てね」
「母……さん…?」

 名残惜しげに手を離したナオコは、白衣を脱ぎ捨てプラグスーツの後ろに手を回すと、長い銀色の杖を取り出した。

「ええっ、どこから!? えーー!?」
「それじゃ私、ガフの扉の番人に戻るから。もう逢えないと思うけど、くれぐれも元気でね」

 ガーネット色の円盤が高速回転する銀色の杖を、高々と掲げるナオコの姿が正視出来ないほどに光った。
 目を覆った二人の視力が働くようになった頃にはもう、そこには何も無かった。

 ナオコが立っていた筈の床を、つま先でコンコン踏みながら目を疑うミサト。

「う……そぉ……」
「これが何かの夢であってくれたなら、どんなに人生は楽かしら……」

 生きるのに疲れた顔をするリツコ。ふと手の中に何時の間にかハンカチを握っているのに気づいた。
 そこにはフェルトペンによってナオコの字で、こう書かれていた。

『Sequlity Level SSS password つきのうさぎはおもちつき 焼いたらぷーっとふくらんだ』

「な、なんか……今まで持ってたナオコさんのイメージがガラガラと音を立てて崩れていくような、疑問ばっかり増えた一日だったようなー……」
「ミサト……コーヒー、もう一杯ちょうだい……」


 


 なお、途中行方不明になり、葛城ムーンのピンチにも現れなかった加持リョウジは、シグマユニットで溺れ倒れていたところを作業員に発見され、現在ベッドの上で意識の回復を待たれている。







 
つづく 

 
2001/11/04 初版。

「22話とかどうやって書きゃいいんだ」と悩んでいる三笠どらに励ましのメェルを。

戻る

inserted by FC2 system