Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon


 


 ばさ。紙束はミサトのデスクに無造作に置かれる。
 眼鏡をかけた優秀な部下はゴキゴキと肩を回しながら、安いゴワゴワした紙のレシピ雑誌を眺めているミサトに声をかけた。

「葛城さん、市街戦の修正作戦案、上がって来ましたから目通しといてください」
「ん、ありがと。後はやっとくから、上がっていいわよ。お疲れ様」
「はい、お先に失礼します」

 居住まいを正して一礼。そして退室する日向。
 ミサトは「鶏肉と根菜のさっぱり煮」のページの角を折り曲げると本を閉じて、紙束の側にポンと投げる。そして両手をのばして「ふぁーぁ」と欠伸をぶちまけ、半眼を擦りながら作戦案とやらに目を通し始めた。
 フットボールの布陣のような「○→」こんな矢印が書かれているので、何かスポーツの監督にでもなったような気がしてくる。いや、ミサトの場合には監督兼主演俳優と言ったところか。

「視覚に頼るタイプならこれもいいけど……そういう常識が通じないから困るのよねー」

 熱源探知どころか『生存脅かし度』まで感知する能力を持った使徒が過去に実在している。そんなもの相手では悲しいかな、人類の争いの歴史に培われた高度な戦術論も刃を曇らせてしまう。
 とりあえず紙束のお尻までチェックして赤ペンを入れていると、内線電話がプロプロ鳴り響いて割り込んできた。

 いよっ、と指を伸ばしてフリーハンド受話ボタンを押して、再び椅子に身体を預ける。

『ミサト、居る?』
「はーい、なーにー」
『悪いんだけど、招かれざるお客さんが来てるの。応対してくれる?』
「使徒、じゃないわね。誰? わざわざあたしに回す程会いたくない人って……」
『戦自のおつかい』
「えー、そんなの追い返しちゃいなさいよ。どうせ文句言いに来ただけなんでしょ?」
『そう事は単純じゃないのよ。とにかくマヤをそこへ行かせるから詳細を聞いて頂戴』

 プツ。是非も聞かずに通話は切られてしまい、ありゃりゃ、と呆れていると間髪入れずマヤが来た。
 その登場タイミングから見て、電話する前に送り出している事明白。すなわち断る権利が認められないような大事である、と。
 雲をつかむようなマヤの説明を聞きながら、登りエレベーターに運ばれ地上に出る。そして何故かファミレス(※)で待ち合わせしているらしいので、夕暮れの街を歩く二人。

 ※ふぁみれす 【ファミレス】
   ファミリーレストランの略称
   家族連れで気軽に行けるリーズナブルな外食店として誕生したが
   現在では仕事をサボった営業の人が一日コーヒーを飲んでいる場所を指す

 黄昏に囚われないよう足早に帰路を急ぐ勤め人の合間をすり抜けて、目的のファミレスに乗り込む。

 道のり、誰もがマヤの頭上に白く輝くネコ型イヤーに意表を突かれ、振り向いて呆然としてくれるものだからネルフなんかやめてやると言ってしまいたい気分も少し。ネコ耳を外すな、なんて指令を出した司令を粛清したい気分がかなり。

 歓迎されないお客さんとやらはコーヒーのお代わりを頼もうと空のカップを持って、暇そうな店員を探しているところだった。往々にしてアルバイト給仕さんは気付いてくれないので、エサを待つ飼い犬のような目で調理場方面を眺めている男が滑稽でもあり、哀れでもあった。しかもこの店、コーヒーお代わりセルフサービスだし。

「あ、居た居た。葛城さん、あの人です」
「おやぁ? なんか見覚えのある顔ね」

 どっかで見た事のある気がする男。でも戦略自衛隊関係者に知人は居ない。

 ミサトがビジネスライクな挨拶をかけると彼は一瞬輝くような笑顔を見せて振り返り、直後ミサトの顔を確認して落胆のトホホ顔をした。
 人の顔を見てガッカリするとは失敬な。ビジネススマイルの下でハラワタ半煮えのミサト。
 そして男は彼女らを対面に座るよう促し、名刺を差し出した。そこに記された名前を見てミサトは、うお?と心の中でだけ驚きの声を響かせた。

 戦略自衛隊
 特殊軽巡洋艦開発プロジェクト
 特別技術顧問 時田シロウ

「始めまして。わざわざご足労頂きありがとうございます。失礼ですが、技術部の赤木博士はご出席頂けないのですか」
「赤木は重要な職務を複数抱えていて時間の都合がつかない為、私が代理でお話を伺います。ネルフ作戦部作戦課の葛城と申します」
「えっ、ではあなたが……そのぅ、ネルフの」

 周囲を気にしながら言っていいものかどうか迷っている時田。
 彼が何を言いたいのかミサトには雰囲気で分かったが、あえて突っ込まない、呼び水も流さない。

「……ネルフの、主力コスプレイヤーの葛城さんですね」

 がびーん。ちょっと笑ってしまった。
 あんた『主力』って。そりゃウチには他にもプラグスーツ美少女戦士がいるけれど。
 一応ミサトがネルフの実戦部隊を率いる偉い人である事実は大衆に秘密であり、誰か裏の方から情報を得ているらしい彼はそれを気遣って言葉を選んだのだろう。が、よりによってその呼称はないでしょ、と呆れるやら恥ずかしいやら。
 しかしそんなミサトの思惑はあくまで笑顔の裏、時田には伝わっていない。

「それでしたら話が早い。今日伺いましたのは、他でもない葛城さん、貴方にお願いがあるのです」

 持参した書類ケースから顔写真つきのプロフィールを取り出しながら彼は、交渉の場に現れたのがミサトである事を幸運に感じているようだった。その紙切れを彼女の前に置くと、机に乗るくらいの勢いで両手をつき、頭を下げた。

「どうか弟子入りさせてください!」
「ハァ!?」

 ミサトの脳裏にこの夏一番のショッキング想像が駆け巡った。時田シロウその人が、スコートひらりんなプラグスーツを着込んで、高笑いしながら「おっ仕置きよぉ〜〜〜♪」とポーズを決めているところ。
 さすがにそれはビジュアルの無差別テロである。ご遠慮願いたい。その想いは隣りのマヤも同じであるようで、彼女の目が「不潔……」と蔑みまくりの寒さを帯びている。

「こんな大それた望みを聞いていただける立場では無い事、重々承知しております。しかしながら、人類が生き残る術は他に無いと確信した今、私に出来るのはこうしてご協力を願い出る事しかないのです」

 思いっきり真剣、逃げ出したいほどマヂな彼の意気込みにはミサトも言葉を失った。こういう何かに取り憑かれた人とは話しづらい。何か確信しちゃってるみたいだが、どうやって帰ってもらおうか?
 処置に困っていると、ふと目に留まったのが時田の出したプロフィール。てっきり彼の写真が貼ってある履歴書と決め付けていたが、どうも違う。引っ掛かりを感じてソレを手にしたミサトは、そこに写る人物を見て、早合点していた事に気付いた。

 その写真の少女は、栗色のショートヘアで、結構プラグスーツが似合いそうな本物の少女だった。
 霧島マナ。14歳。
 シンジたちと同じ歳だ。

「この娘を、私に?」
「はい、葛城ミサト三佐殿、貴方にです。
 先に申し上げておきますが、日本政府と戦略自衛隊上層部はネルフを快く思っていません。ですから、悪い言い方をすれば『明日の敵』に技術供与をするも同然であり、私の権限で開示出来る情報もたいして見るべくモノは無いでしょうから、お引き受け頂ける材料は何もありません」

 しがらみと軋轢がちりばめられた溜め息を吐き出した時田は、それでも火の消えない瞳でミサトに訴えかけてくる。

「しかしながら、このような年齢の子供達が身体を壊す程の厳しい訓練生活を送っている事実は、私にこの街へ足を運ばせるに充分な大問題だったと申し上げられます。ぶしつけながら、身勝手ながら、お願いです、彼らを救って欲しい。それが可能なのは貴方がたネルフだけなのです」

 時田シロウ。
 あの原子力ロボットJA暴走に関する一連の笑い話をリツコに聞いた時は、ただの電波な人だと思ったが、どうやら宇宙からの指示で動いているわけではなさそうだ。
 彼の目的の背後関係はさっぱりだが、それはミサトの興味を引いた。

 正直な気持ち、ちょっと詳しい話を聞いて見たいと思う。そしてまたミサトはそれを独断で実行していいくらいの権限を持っている。
 リツコは彼の名前を聞くのもイヤなくらい疎んじているので、二度と訪問する気が起きないように面子を叩き潰して帰ってもらうように望んでいたが、袖擦りあうも他生の縁と言うじゃないか。

「すぐにはお返事できません。電子媒体で結構ですから、後ほど書面にて正式に依頼をお願いします」
「葛城さん!?」

 マヤが驚き半分、諌め半分の声を上げる。リツコの片腕として働く彼女には想像もつかない答えだった。

「ご検討頂けますか!」
「ご期待に添えるかどうかは分かりませんが、悪いようにはしないとお約束します」
「ありがとうございます! 長野に戻りましたらすぐにお送りします」

 かくして一行はファミレスを後にする。
 コーヒー代320円の領収書をしっかり貰う姿に、時田の性格を見たミサトであった。

 

 一方その頃、第3新東京市の地下に広がる球状空間、ジオフロント。
 その空間のほとんどは、周囲の地層とは違う地質の土砂で埋まっている。自然に出来たものでないのは明らかだが、誰が何時どうやって造ったのかは分かっていない。発見された時には既に現在の埋まり具合だったらしい。
 ネルフ本部建造にあたり、地質調査等も行われているはずだが、その結果は公表されていない。

「広いなぁ。広すぎる」

 青葉シゲル二尉は、何事か考え事をしながら廊下を歩いていた。
 時折ぶつくさと独り言を呟いては、眉根を寄せて悩んでいる。一歩踏み出す度に長い髪が揺れる。
 彼は重要人物だ。展開の予測できない使徒との戦いにおいて、逐次飛び込んでくる情報を瞬間的に判断・分析して適切な形にまとめ、責任者に流すお仕事をしている。彼が抜けると発令所は成り立たない、とまで言うと誇張だが、きっと日向の負担が増えて大変だと思われる。

「ジオフロント発見から本部施設が造られて稼動するまで……やっぱり、どう考えても時間が足りない」

 しかも葛城ムーンらプラグスーツ戦士たちの戦闘記録だけを専門に収集している、司令直属で正体不明の集団『特殊効果部隊』にカメラ移動等の指示を送る役目も担っているので、マヤの3倍忙しい。ちなみに撮影されたフィルムがどこへ消えて何に使われているのかは青葉も知らない。
 彼は疑問を呟きながら、目的地である「使徒貯蔵庫」の前を通り過ぎてしまった。

「と、なると答えは二つに一つ。ジオフロント発見前からネルフ本部は存在していた。あるいは……あっ」

 通り過ぎたことに気付いた青葉は、数メートル戻って、厳重にロックされたドアの前に立つ。
 胸にぶらさがっているIDカードを手に取り、カードリーダにシャコンと通す。
 ピピ。赤い「LOCK」の字は緑の「OPEN」に変わって自動的にドアは開く。

 中に待ち受けるモノとの対面を前に緊張の面持ち。
 室内に踏み込もうとして、しかし足を引く。大きく息を吸って、吐いて。気合を入れてぐっと拳を握り、奥歯を噛み締める。

「よし、大丈夫。……であってくれ」

 中に入ると、巨大なオレンジ色の特殊硬化ベークライトの塊が置かれている。
 これは以前、アスカが浅間山火口内で捕獲した幼生体使徒だ。マグマから取り出して冷えたせいか仮死状態となったので、ベークライトで固めて保管している。
 現在まで活動を再開したとの報告は受けていないが、いつ動き出す可能性も無くはないので、さっさと調査を進めるなり廃棄するなりしたいものである。が、今のところ赤木リツコ博士の手が開かないので、ベークライトと卵の殻の上から出来る範囲の簡単な調査を除いては触っていない。

(願わくばリリンの子供のように大人しくて危険の無い『種』(しゅ)でありますように…)

 侵入者でもないのに、足音を立てないようにそろりそろりと歩く青葉シゲルこと、サハクィエル氏。
 この「使徒貯蔵庫」はもともとエヴァ用の銃器等を整備する為の空間だった所に、ゴテゴテしいセンサーやらカメラやらの機材を搬入して急遽こしらえたものなので、その中央にドンと置かれたオレンジの卵は場違いに見える。まあ使徒が場違いに見えない場所はそうそう無いとは思うが。

 傍まで近づいて見ると、その大きさが壁のように感じられる。使徒サハクィエル「本体」の大きさと比べれば、目の前の卵なんて軽く鼻息で吹き飛ばせる程度のモノでしかないが、人間の視界に映るそれはまさに怪獣のタマゴである。

「…俺に鼻は無かったか」

 彼は苦笑を浮かべる。青葉の身体を支配したつもりになっていたが、目論見よりはリリン寄りの状態で融合してしまっているらしい。およそ4割くらい青葉の感覚が残っている。だから「本体」には存在しなかった『鼻息』と言う概念が脳裏に浮かぶ。
 しかしながらサハクィエルの意識が薄いからこそ、使徒センサーにパターンオレンジを掴まれる事も無く、うまいことネルフ潜入を果たせた訳で、一概に失敗とも言い切れない。

 微妙に「半妖怪」になっている青葉がここに来た理由は2つ。
 一つは青葉二尉として、赤木リツコ博士のおつかい。曰く「監視カメラの向きがズレて画像が曲がっているので直してきて欲しい」と。そんなもの誰でも出来る雑用だが、セキュリティの都合で青葉クラスでないと入れないそうだ。やれやれ。
 もう一つは、この機会にサハクィエルとして、幼生体使徒サンダルフォンを『説得』すること。

「お、あれがズレたカメラだな」

 どこかに仕掛けられているであろうマイクが音を拾えるように、わざと大きめに声を出す。

「普通のドライバーで締められるかな?」

 手近に工具箱でも置いてないかと探すフリをしながらタマゴの周囲を歩き回り、状態を確認する。
 ありがたい事に監視カメラがズレているおかげで、死角がある。自分の身体がたぶん映らない位置に移動。それから周囲をうかがって誰も居ない事を再確認。

「気をつけろ、青葉シゲル」

 両手のひらを硬化ベークライトに押し当てる。生温いガラスのような感触。
 果たしてベークライト越しに『心』が通じるだろうか? あまりパワーを篭め過ぎると使徒センサーに勘付かれるかもしれないので抑えなくてはならないのも厄介だ。

 集中して念じる。
 答えろ、答えろ、サンダルフォン。
 話をしよう。
 我らとリリンと『支配者』について、君が知らぬ事を教えよう。
 集中して念じる。

 硬いベークライトの表面が、波打った。そんな錯覚がした。青葉の掌から伝わった波は、波紋を広げてベークライトに染みる。
 それはサンダルフォンの殻に到達し、その中まで浸透した。

「聞こえたか? 聞こえたら答えてくれ。でも起きてくれるなよ」

 何故俺はこんなズルい賭けをしてるんだろう、と今更ながらサハクィエルは思った。

 生まれたばかりの使徒は『本能』に従って『還ろう』とするのが当たり前なのに、その摂理を曲げようとしている。たまたま自らが人類を『観る』ことで得た変化を、他の使徒に感染させようとしている。
 もしタマゴの説得に失敗したら、中途半端な成体として覚醒したサンダルフォンは殲滅されるだろう。だが、そうなっても青葉がサハクィエルであると発覚する可能性は無いに等しいし、生命に危険も無い。
 自らの歪んだ目的の為に他者の命を賭けるなんて、使徒らしくない。
 そんな行為は人間だけにやらせておけばいいのだ。

「……ヘンだな」

 答えが無い、と言うか手応えが無い。
 彼の感じている「手応え」を人類にも分かるように例えるならば……サハクィエルが送った思念波がハンマーで、ベークライト卵がドラム缶だとしよう。ドラム缶にたっぷり水が詰まっている場合、ハンマーで殴ればくぐもった「ゴン」なんて音がするだろう。しかし、今殴った音はもっと空虚な「ガン」だった。
 スカスカな軽い音だ。

「まさか」

 青葉は慌てて、屈んだり飛び跳ねたりしながら、もう一度使徒の卵をくまなく見て回った。
 そして見つけて、低く唸った。

「直径約50センチ……随分と小さく『成長』したもんだな」

 卵の殻と硬化ベークライトを食い破ったように見える、縁のギザギザした穴を。


 


 空はスカイブルー。太陽はサンライトイエロー。俗に言う「良い天気」である。
 年中夏のここ第3新東京市では残念ながら、あまり歓迎されない空模様である。
 そんな明るいお天気のもと、今日も元気に通学路を闊歩する中学校制服姿の男子女子が数名。

 アスカはご機嫌だった。傍から見ていて不気味に感じるくらい上機嫌だった。

「で、結局昨日はミサト帰って来たの?」
「ううん、本部に泊まったって朝、電話あったよ。まだ帰れないみたい。今日の訓練も中止だって」
「何かあったのかしら?」

 足取りも軽やかにフェザーなステップでリズミカルだ。
 しかしシンジには理由が思い当たらない。何か嬉しい事でもあったのだろうか?
 最近起こった出来事を思い返してみても、大きなイベントはそんなに多くない。ああ、そうだ、あれだ。ミサトとシンジの機体(?)交換試験。あれ以来なぜか機嫌がいい。
 何故だろう。そんなに惨めなシンジの姿が気に入ったのだろうか。いや、そんな筈はなかろう。日頃からアスカはプラグスーツコスプレ戦士に対して敵愾心をあらわにしている。端くれでもエヴァパイロットであるシンジがそんな扮装させられた実験を見て、情緒が上向きになるとは考えにくい。

「シンジ、そのカバン重そうね、持ってあげようか?」
「えっ!? い、いいよ、全然重くないよ、自分で持つよ」

 ほんとに機嫌良すぎて怖い。何が彼女をそこまで喜ばせているのか。

「そう、重くないならいいわね。じゃあ、あたしは重いから、持ってよ」
「へっ? あ、うん……」

 突然の逆噴射で狐につままれたシンジがカバンを受け取ってしまう。と、そのやりとりを見ていたレイが―――そう、レイだ。彼女は現在葛城邸の隣室に居住しているので、朝は呼びだされて同じ道を歩く仲間である。その彼女が、ずい、とシンジの前にカバンを差し出した。

「……私も、重い」
「綾波までそういうこと言う? 持つのはいいけどさぁ……うっ」

 ズシリ。右腕付近だけ一気に重力が3倍に跳ねあがる。
 うわ、なんだコレ。例えるならば3キロくらいの鉄板が入ってるかの如く重い。テキスト類は全部学校に置きっぱなしのレイが持ち運ぶ可能性のある3キロの物体と言えば、ノート端末しかない。

「まさか宿題するのに持って帰ってるの? 家にノートないの? マヤさんに借りるとか」
「伊吹ニ……伊吹さんは、MAGI以外の機械は全く使えないわ」
「嘘ぉ」
「本当よ。先週、『インターネット』がどこに売ってるか聞かれたわ」
「う、そぉ……」

 みるみる血の気が引いていくアスカ。今まで戦場で生殺与奪に直結する『情報』を預けてきた相手がそういうレベルだったなんて、ギガトンショック。

「ビデオの録画予約操作を間違えて、朝のニュースに化けた映画を見て泣いていたわ」
「そ、そんな」
「時々、留守番電話のメッセージを再生しようとして消してしまう事もあるわ」
「ああああああもうやめてええええ」

 ついに理解の限界を超えて頭を抱えるアスカ。

「そう言えばマヤさん、ネルフに入って初めてキーボードに触ったって言ってたなぁ」
「あーあっ、もう、折角のいい気分が台無しだわっ」
「それなんだけどさ、何がそんなに楽しいの?」
「え? ああ、ミサトよ、ミサト」

 車道を通り過ぎる電気自動車。舗装された歩道を往く彼らを追い抜いて行く。
 全然ピンと来ないシンジが目をぱちくりしていると、鈍いわねぇと言いたげな眼差しのアスカは解説する。

「ミサトが零号機とシンクロできたでしょ」
「うん」
「あんたも変身できたでしょ」
「う、うん」

 あんまり思い出したくないのでうろたえてしまった。

「つまり弐号機はもっと強くなる可能性を持ってるのよ!」

 どどーーーん。と迫力と自信を背中にアスカが宣言する。が、それを聞いてもシンジは更に混乱し、うろたえるばかりである。

「だ、だから、なんで?」
「あ、ヒカリ! おはよっ!」

 アスカは彼の疑問に答える事なく、車道を挟んで向こう側にヒカリの姿を見つけると駆け足で道路を横断した。車はほとんど通っていないが、だからと言って油断するのが一番危ない。

「待ってよアスカ、危ないよ!」

 追いかけようと自らも横断を試みるべく、左右自動車が近づいていないか確認するシンジだが、ふと背後にレイが居た事を思いだすと振り向いた。
 彼女はアスカとシンジをぬぼっと立ったまま眺めていた。咎めだてするでもなく、背中を押すわけでもなくポツリと、

「渡らないの?」
「え……えと、危ないからやめる」
「そう」

 元通りのペースですたすた歩きだすレイの後をシンジはついていった。結局カバンは3つ持って。
 平和な日常のひとコマである。
 しかし、のんびり登校するシンジたちの預かり知らぬ所でトラブルは夜を徹していた。


 


 ネルフ本部では決死の即席捜索隊が広大なネルフ施設を相手取って失せ物探しに奔走している。

『B−39ブロック、異状ありません』
「了解。第18班はそのままB−40へ回って頂戴」
『了解』

 リツコは捜索隊からの報告をコンソールに打ち込みながら指示を返した。
 そして自費で購入して据えつけた12万6千円のリクライニングチェアに深く身体を預ける。背中の反り具合が気持ちいい。が、おかげで気を抜くと眠ってしまいそうだ。
 これなら発令所で立っていた方が良かったかもしれない。

「第04班はD−02ブロックの捜索完了後、帰宅を許可します。おつかれさま」
『ラジャー』

 保存しておいた実験材料の使徒に逃げられたのがお仕事の始まりだった。
 体長40センチ程度に小さくなっていると予測される使徒は、どんな方法を用いてかセンサーにパターン「青」も「オレンジ」も検出されていない。
 MAGIさんに聞いてみた所では「故障」「使徒の活動が弱すぎて検知できない」「実は捕獲した卵は使徒じゃなかった」などのパターンが提示された。それらのネタからリツコは使徒センサーの誤動作も覚悟の上で感度アップの方策を取るべきと判断した。しかし一朝一夕に全てのセンサーを調整するのは無理である。

 とにかく今は逃げたミニ使徒を見つけなくてはならないと言うわけで、職員や監視カメラをフル稼働させてのこの状態である。
 ミサトには使徒が発見され次第、駆けつけて除去して貰わなくてはならないので、捜索隊には参加させず待機させている。睡眠も多少取っているはずである。
 代わりに指揮を取る事になったリツコは夜の間は発令所に詰めていたが、さすがに身体的に辛くなってきたので自分の研究室に移った。

 ピロピロピロ、と内線電話が鳴る。

『おはよーリツコ。シンちゃんたちには今日の訓練中止って言っといたわよ』
「わかったわ。少し休憩したいんだけど、代わって貰える?」
『オッケー、もう副司令も来てるから、ゆっくり寝てていいわよ』

 しかしこのリツコ専用研究室は服を緩めて落ち着けるのはいいが、薔薇の匂いで充満していて息苦しい。
 その元凶は部屋の隅に無造作に置いてある大量の花束。処分に困るこれらの差出人時田シロウは、美少女型コンピュータを作っていた変態である。赤白ピンクの薔薇は綺麗だが、変態から貰っても嬉しくない。
 時田と言えば、ミサトがその時田から厄介事を貰ってきた。この期に及んでまだ子供の身柄を預かるつもりのようである。
 子供でも戦略自衛隊関係者、また監視対象が増えて面倒な事になるのは間違いない。憂鬱だ。

 状況を顧みると寝てられる暇は無い気もしてきたが、今はとにかく体力回復。少しでも眠っておくことにした。
 椅子のレバーを引いて背もたれを倒すと、ネコの顔を象ったクッションを枕にして目を閉じた。


 


「あれ、ケンスケ、また学校にカメラなんか持って来て、怒られるよ?」
「よ、遅かったじゃないかシンジ。はい、笑ってーチーズ」

 教室ではこれまた謎の上機嫌なケンスケが、愛用のカメラを磨いていた。レンズを向けられたシンジは咄嗟にうまく笑顔を作れず、びみょーに引きつった笑いになってしまったところを撮影される。

「うーん、表情が硬いな。ボツ。抹消」
「ああっ」
「やっぱりシンジは隠し撮りしないといい絵にならないなぁ。肩に力が入りすぎなんだよ。もっとフツーにしてみろよ。はいヨーグルト」
「そんな急に普通って言われても……」

 余計にカチコチになってしまうシンジ。その姿はファインダーを通して見ると全然「生きてない」ので、ケンスケはシャッターから指を外して軽く溜め息。

「ま、いいや。今日はお前を撮る為に持ってきたんじゃないし」

 ギラリと鋭く輝く瞳が不安を誘う。そう、彼の目は今アレになっている。人気アイドルが新譜音楽ディスク発売記念で握手会イベントをする時などで見かけられる、サインをしてもらう為のディスクケース(デビュー曲)を胸に抱えて行列に並んでいる濃いファンの顔だ。

「お前はホンマいやらしい顔しとるのう。転校生が女やて聞いた途端にこれやからな」
「転校生って?」
「なんだシンジ、知らないのか? 来るんだよ、今日、このクラスに!」
「あーセンセはほっとけほっとけ。ただでさえ両手両足花だらけやのに、これで新顔まで攫われたらかなわん」
「それは確かにそうだな」

 なにやらこそこそ内緒トークしてるケンスケトウジの言葉は、シンジの耳には全然入っていなかった。

 転校生が来る。こんな都市へ、こんな時期に。

 使徒の存在こそ公にされていないが、全国規模のニュースで第3新東京市に起きている謎の爆発事故・事件の噂は巡っているはずである。恐らくは、首都機能移転受け入れ工事を急ぎすぎて招いた災害という言い訳になっていると思われるが、余りにも頻度が高いのでアヤシ過ぎる。
 果たしてそんな何か裏がありそうな都市に子供を連れて引っ越してくる人間が居るだろうか。常識的な判断をするならば住みたくないし、やむなく移住するにしても子供だけでも親戚に預けるなどして一時避難させるのではないだろうか。
 シンジが親ならばきっとそうする。
 子供がエヴァンゲリオンのパイロットでもない限り。

(アメリカにもネルフの支部があるって言ってたなぁ……そこから誰か連れて来たのかな)

 とは言え、単に事故とか気にしな〜い豪胆な一家が引っ越してきただけかも知れないし、子供を預けるあての無いネルフ関係者が危険を承知で移り住んだのかも知れない。

 ちょっと考えすぎかなぁ、と思うシンジ。しかし芽生えた予感は消えてくれない。
 いきなりこんな危ない街に来て、使徒との戦闘に巻き込まれたりしないかな?
 例えば戦闘中に転校生が突然足元に居たなんて事になったら、踏み潰さないように気をつけないと。
 警報が出て避難する時に迷ったりしないかな?などなど、不安だけなら日頃から売る程抱えている心配性なので、考えすぎのバリエーションも豊富だ。

 結論の出ない懸念に捕われたシンジが独りで悩んでいると、予鈴が鳴り〜始業の鐘が鳴り―――

「起立! 礼!」
「今日から皆さんと共に、勉学を修める仲間が一人増える事になりました。喜ばしい事です」
「先生、そんな挨拶はいいですから、早く紹介してくださいっ」
「いけませんね相田君、挨拶は円滑な人間関係を築く上で非常に重要な役割を……」
「ケンスケ、余計なコト言うから話が長くなったやんか」
「たとえば『おはよう』という言葉ひとつ取ってみても、朝早くからご苦労様とねぎらいの心が……」
「イインチョ、取りあえず仕切ってくれへんか?」
「えっ、あ、そうね。あの、霧島さん? 先生は気にしないで、自己紹介をしてください」
「いいんですか?」
「かまへんかまへん」
「それじゃあ……霧島マナです。よろしくお願いします」
「はい!質問!霧島さんのシュミは何ですか?」(パシャパシャとシャッター切りっぱなし)
「趣味は……恥ずかしいので秘密です♪」
「「「「おお〜〜〜〜」」」」(男子の一部だけ盛り上がっている)
「……ちなみにトルコ語では『ギュナイドゥン』と、ポルトガル語では『ボン ディア』と言います。ここは次回の試験に出ますから覚えておくように」
「じゃ霧島さん、席はこの辺の空いてるところを好きに選んでください」
「は〜い、じゃあここ!ここにしまーす♪」

 ―――と、ここまでシンジはずっと思索に没頭していて話を聴いていない。

 隣りに栗色のショートカットの転校生が座ってもまだ気付く様子が無い。

「よろしくね♪」

 と微笑みかけられてもまだ「う〜ん、避難させるのは難しいなぁ」とか意味不明なコトを呟いている。

「?」

 マナはシンジの顔の前で手を振ってみる。

「起きてる?」
「えっ?」

 やっと気付いた。しかしシンジは振り向いてマナの顔を見て、目をぱちくりさせると、こう言い放った。

「あ、綾波、いつの間に髪の毛染めたの?」
「がーーん」
「ちゃうでー、こっちに綾波おるがなー」
「えっ!?」

 今度はレイの方を振り返る。ホントだ、居る。名前を呼ばれたので何か用かとこちらを見ている。
 そして再びマナへ。彼女はムッとした表情でシンジの視線を受け止めている。
 この人は誰だ。見覚えが無いから多分転校生だ。初対面でいきなり人違いとは、失礼なコトをしてしまった。

「ええと、君の名前は……あ、僕は碇シンジです」
「シンジ君ね……私、霧島マナ。今、すっごくショック受けてる」
「うん、ゴメン霧島さん」
「だからシンジ君は、お詫びに学校を案内してくれなくちゃいけないの」
「へ?」
「いいでしょ? 私の心のふかぁ〜い傷を癒すためなら学校の案内くらい、してくれるよね?」
「う、うん、いいけど」

 承諾した瞬間にマナの顔がパッと笑顔に戻った。

「なーんちゃって、全然気にしてないよ〜♪ ところでシンジ君って可愛いね〜♪ スカートとか良く似合いそう♪」
「なっ、何を言うんだよいきなりっ」
「わぁ〜赤くなっちゃってますます可愛い〜♪」

 それから暫くマナのシンジいぢりが続いたが、外野からの冷やかしは無かった。
 シンジのプラグスーツ姿を見た事がある人間は薮蛇を避けて黙るしかなかろう。そして誰も口にしないが、ほとんどのクラスメイトは授業中にどこからか回覧されてきた写真を見た事があったから。

「―――では最後に『ジェアグゥィチエルモジン』の挨拶を宿題として、ホームルームを終わります」

 老教師が一礼して教室を去り、ケンスケがシャッターを切りまくる音が響いている2−Aの朝の日常であった。


 


「えーーっ、アスカを美少女戦士にぃぃ?」
「言いたい事は分かるわミサト。でも、それが必要な時だと彼女は理解してくれるはず。いいえ、理解して貰わなくてはならないわ」

 オフレコで話したいからとリツコに呼び出され、赤木研究室に出向いてきたミサトは、いきなりの無理難題に渋面を見せた。
 リツコは傍らのマヤに視線を送る。それを受けて彼女はご大層な錠前つきのアルミ製小箱をデスクに置き、鍵と蓋を開ける。
 中には真紅のビロードが敷き詰められ、そこに眠るは鮮やかに赤いカボションカット(滑らかな曲面を持つ楕円)の輝石が美しいペンダント。

「敵は子犬サイズ。エヴァを用いての接触は不可能。となれば、これも考えなくてはならない選択肢なの」
「まーねー、アスカが手伝ってくれる気になれば、これほど頼りになる子もいないけどぉ〜」
「先日の機体相互換試験のデータを参考に、プラグスーツのサイズを調整してしまったから、もうマヤには着られないわ」
「ふーん。もっかい仕立て直すには?」
「最低3日は必要」
「うーー、仕方ないかぁ。一応話してみるけど、期待しないでよ?」

 金色の台座を手にし、磨き上げられた赤い輝石を見つめる。
 これ使徒のコアに似てるわねーとこぼしながら、ふと思いついたアイデアを告げてみる。

「ねえ、これ、誰か他の子じゃダメなの?」
「テストが一度で上手く行ったとして、手続きを合わせて一週間以上。そんなに時間をかけるくらいなら、本来の半分以下の能力しか発揮できないけど、マヤにやらせた方がいいわ」
「ふむぅ……こんな事なら捕獲なんてしないで処分しとけば良かったわね」
「それを言っても始まらないでしょ。じゃあ、頼んだわよ」
「はいはい。ちょっと電話借りていい?」
「ここは塞がれると連絡がつかなくなるから困るわ」
「あ、そっか」

 ペンダントを赤いジャケットのポケットに突っ込んで、ミサトは研究室を出るとすぐに据え付けの電話を探した。
 自分専用の大きくて重たい携帯電話はある。あるけどネルフ内ではロッカーか発令所に置きっぱなしだ。何かあったら警報が鳴るし、放送で呼んでくれた方が早い。
 2ブロックも歩かないうちに緑の電話は見つかった。途中、防弾ベストで中途半端に武装した使徒捜索隊とすれ違って敬礼された。

 スコンとIDカードを差し込んで、通話可能ランプが灯ったらボタンをプチプチ押す。

「―――あ、もしもし? アスカー? あたし。悪いんだけど、ネルフ本部まで来てくれる?」
『なんでよ? 今日の訓練は中止なんじゃないの!?』

 うわ。なんで怒ってるんだろ。何かタイミングの悪い時にかけてしまったのだろうか。
 例えばトイレの中とか。いや、それなら取らないかアスカの場合。

「中止なんだけどー、ちょっと他の用が出来てー、電話じゃしにくい話があるのよ。忙しいなら後でもいいけど」
『ああ、わかったわよ行くわよ。遅くなっても文句言わないでよねっ』
「どしたの、御機嫌ナナメねぇ」
『別にっ、いろいろ忙しいだけよ』
「あ、そうだ、来る途中気をつけてね。使徒が逃げて本部内うろついてるかも知れないから」
『はいはい、わかったわよっ。使徒なんかに、………使徒ォ!?
 ちょっとバカシンジ緊急事態よ! 呑気にガイドなんてやってる場合じゃないわ!
 すぐに本部に行くわよ! 今すぐよ!』
「あのーアスカ、危ないからシンちゃんとレイは許可が出るまでネルフに近寄らないようにって……」
『ちょっと霧島さん、失礼ですけどあたしたちこれから大切な仕事がございますの。ご案内はまた今度にして―――』

 プツン。
 あ、切れた。
 今一瞬、霧島とか聞こえたような気がしたが、どこかで聞いた名前のような。
 おっとそれよりも、アスカはシンジとレイも引き連れてネルフに来てしまいそうだ。使徒が見つかって危険が去るまでは彼らを遠ざけて置きたかったのだが、どうしよう。

「んーーーーー、ま、人数多い方が万一の時いいか」


 


 碇シンジはオマケの端くれで二軍だが、一応、とりあえずはロボットっぽい形状兵器エヴァンゲリオンのパイロットなのである。専属ですらないが。
 だからいきなり登場した転校生などと楽しく談笑したり、学校の案内などとチャラチャラしててはいけないのである。もしかしたら機密情報を盗みに来たスパイかも知れない。

 と、アスカは勝手に思った。

 思ったからにはポリシーに沿って、マナとシンジの後にくっついて余計な情報を漏らさないように監視しつつプラプラしていた。プラプラしてる時にミサトから呼び出しがかかったので邪魔に思ったりもしたが、呼び出しにかこつけてシンジをネルフに軟禁する事が可能だと気付いた。
 ネルフまで行ってしまえば、さすがの転校生も着いて来れまいと思ったのだが、果たして現実は想像を越えていた。

 ここはネルフ本部、入り口ゲート前。
 電車の自動改札に良く似た装置が並び、IDを待ち構えて口を開けている。

「学校、退屈だから来ちゃった♪」
「なっ……どこからっ」

 アスカ、シンジ、レイの三人は、環状線を降りてこのゲートまで歩いて来たが、誰も先を往く者は居なかったし、誰にも抜かれなかった。なのに霧島マナはそこに居た。
 いったいどこから先回りして来たのか、何故に彼らより先にここに来れたのか。さすがの鈍感選手権日本代表クラスのシンジでも怪しいと感じずにはいられなかった。

「残念だけど霧島さん、ここは関係者以外立ち入り禁止よ」

 冷ややかに告げたアスカはシャコンとIDを通してゲートを抜けると、振り返りもせずにスタスタと奥へ消える。
 レイはマナをちらりと見たが、何も言わずにゲートを通って、同じく消えた。

「何してるのシンジ君、早く入ろうよ」
「だからここはIDが無いとダメな…ん……」

 むぎゅ。シンジは後ろからマナが覆い被さってきて抱きすくめられ、凍った。

「これで入れるんじゃない? 改札と同じで」
「えっ、あの、でもっ」
「大丈夫、見るだけだから♪ 入れてくれたら私のヒミツ、教えてあげる♪」

 せ、背中に何かやわらかいモノが当たっているので動悸が、動悸が動悸が動悸が激しいシンジ君は心臓を除いて指一本も動けなくなっている。

「それとも、もしかしてずっとこのままがいい? やだぁ、やらしいー♪」
「な、中で、ハグれたら危ないから離れちゃダメだよっ!」

 負けた。少年は、軽い色仕掛けにあっさりと屈した。
 シンジはIDを通すと、マナを無賃乗車させてしまう。見つかったら相当怒られるだろうなとビクビクしながら。

 ちなみにこのゲートでのゴタゴタは監視カメラにしっかり映っていたが、現在ネルフは逃亡中の使徒捜索で大変せわしなく人が行き交い、たまたま監視要員が交代する時間に起きた出来事であったため、見逃されてしまった。

 ゲートをくぐるとようやくマナが離れてくれたので、なんとか落ち着きを取り戻すシンジ。
 はぁ、と溜め息をついて、大きく息を吸って、頭が少しは働くようになってきたので、注意を促すべく語る。

「このネルフ本部では不審者を見たら警告無しに発砲していい決まりになってるんだって。僕は顔が知られてるからいいけど、霧島さんが一人で居たら危険なんだよ。だから絶対に僕から離れないように……って、いないよ……」

 誰も居ない無表情な廊下を右左見回して、シンジは青ざめた。

「霧島さん!? 霧島さーーーん!」

 泣きそう。


 


 シンジを上手くちょろまかしてネルフ潜入を果たした霧島マナは小走りに廊下を急いでいた。
 しかしその姿を見て彼女が霧島マナだと気付く者は居ないだろう。なぜなら今、女子トイレから飛び出して来た彼女は変装しているからである。
 走るマナは曲がり角で、使徒警戒中の職員と鉢合わせた。

「誰だ!?」

 職員に銃口を向けられて立ち止まった。背を向けて逃げ出したい衝動を抑えてマナは、じっと職員の顔を見つめる。
 職員は彼女の容姿を頭のてっぺんから足の先まで、つぶさに観察する。水色だか銀だかハッキリしない色の髪の毛(ヅラ)、赤い瞳(カラーコンタクト)、そして第一中学校の制服。
 そして感情を抑えて抑えて、なるべく平坦な声に聞こえるように、呟くように、囁くように話す。

「……命令があれば名乗るわ」
「ファーストチルドレンか。現在全てのブロックで警戒態勢が敷かれている。注意されたし」
「問題ありません」

 彼女は零号機パイロットの少女だと認識された。

「さよなら」

 チョロイもんである。

 職員の姿が見えなくなるとマナは楽しそうに肩を揺らしてフフフフと笑った。

「大成功♪ これなら結構簡単にエヴァンゲリオンが見れるかな?」

 武装した職員の集団を慎重にかわしながら進み、エレベーターを見つけ地下深く降りていくマナ。
 アナログな階数表示のカウンタが回るのを見上げつつ、ちゃんと下に向かって動いているのか不安を覚えていると、不意に先日第2新東京市のとある場所で、時田顧問と言い争いをした事を思い出す。

『先方に君の身柄を預かって貰うよう、正式に打診してみるつもりだ』
『そんなのマトモな神経なら断るに決まってます! そしたら結局は私が自分で忍び込むんですから、同じでしょ?』
『きっとネルフは理解してくれる。私はそれを信じたいんだ。だから無茶はヤメて欲しい』
『例え受理されるとしても、いつですか? 来週? 来月? 来年かもしれないんですよ!?
 その間にも、ムサシやケイタは、いつ壊れるかもしれない自分の身体をアレに押し込めて訓練を続けるんです』
『それはそうだが……だからと言って、そんなスパイみたいな危険な事を』
『私はこの施設に初めて来た時から死ぬ覚悟は出来てます』
『……』
『私、行きますから。行って、絶対エヴァンゲリオンの秘密、見つけて来ます』
『……』

 時田に語った決意はハッタリじゃない。仲間が助かるなら自分は死んでもいいと思っている。
 でも今はまだダメだ。エヴァンゲリオンの全てを知るか、それが無理ならエヴァンゲリオンを持って帰るくらいしないと。

 ―――チーン。と到着を知らせるベルが鳴った。
 エレベーターが止まり、ドアが開く。
 降りて油断無く左右を見るが、どっちも同じよーな道で、どこを行けばエヴァンゲリオンに辿り着けるのかさっぱり分からない。

「うーーーーん………左!」

 直感で決めて走り出す。
 マナは分かっていないが、降りた階が間違っているのでどっちを選んでもエヴァが格納されたケイジには着けない。

 やがて走っているうちに疲れてくる。そうすると自動的に走行は歩行にシフトする。

 歩いても歩いても廊下は単調で、眠気さえ覚えてくる。

 やっぱり戻って反対側に行こうかな?とよぎった瞬間、足にコツンと何かが当たった。

「?」

 足元を見ると、金色の台座に赤い綺麗な石がはめ込まれたペンダントを発見。すぐに拾う。
 ピカピカに磨かれて、眺めていると吸い込まれそうに輝く赤い楕円の石。持っていると怪しまれるから捨てなくちゃ、と思う。
 しかし見ているうちに……だんだん惜しくなり、操られるようにふらふらと身に着けてしまった。

「あうう、今私完璧に犯罪者になっちゃったような」

 ようなじゃなくて、なっちゃってるのだが、微妙に認めたくないようで自分を誤魔化しているマナ。
 でもしっかり赤い石は制服の下に隠してしまう。良心の呵責は感じるが、それを上回るお得感で自然とホクホク顔に。
 ペチンと自分の頬を叩いてニヤケを吹き飛ばし、改めてエヴァンゲリオン探しにレッツランニン、と足を出した瞬間、今度はゴツンと何かを蹴飛ばした。

「?」

 足元を見ると、体長40センチ程の小さな成体サンダルフォンが居た。

「!?」

 ここここここここの今まで見たことも無いようなヘンな生物はななななななななんだろう?
 さささ魚に足あし足が生えたような奇怪な生き物は何!?
 錯乱したマナはどう反応してよいものか考えた挙げ句、小さく手を挙げると、ニッコリと引きつり笑いを浮かべて言った。

「こ………こんにちわ♪」

【―――シャギャーーーーー!】

 グパァッと口を開けて整然と並んだ牙と、そこから滴り落ちるヨダレにそっくりな体液を見せつけて使徒が吼えた。

「キャーーーーーーーーーーーッ!?」

 すぐさま回れ右、全力疾走で離脱を図るマナ。しかし何故か使徒は四足走行で彼女の後を追ってくる!
 T字路を右へ折れ、十字路を左へ飛び込み、さらに十字路を左へ逃げ込む。それでも使徒は、熱源感知機でもついてるかの如く正確にマナの足跡をトレースする。
 どこか、どこか隠れられるところは無いか!? 必死に視線をめぐらせながら少女はひた走る。

「トイレはダメっ、エレベーターもダメっ、えーとえーとっ何か無いの!?」

 

 さて、レイはネルフ本部に来たはいいが、ミサトに呼ばれたのはアスカだけだったので用事が無かった。
 そして暇なので何となく赤木博士の研究室へ向かっていた。
 リツコの手が開いていたら健康診断でもしてもらうつもりだった。

 エレベーターを降りる。
 左へ曲がる。
 後はまっすぐ。身体が覚えているから寝てても歩けるコース。

 歩いていると、前触れも無く脇道から人が飛び出して来た。
 その人物は綾波レイだった。そう見えた。
 彼女はとても急いでいるらしく、必死の形相でレイの横を全力で駆け抜けた。

 ぶおおおおおん、と一陣の風が通り過ぎる。

 振り返るレイ。

 遠ざかる綾波レイの背中が見える。

 そして風がもう一陣。ぶおおおおおおん。
 走る綾波レイを追いかけていく。
 今度の風は淡水魚の背中というか背ビレというか、そういう艶々したモノが見える。

 随分と奇妙な形の生物だ。

 レイはチェイスしているそれらを暫く眺めていたが、見えなくなると再び赤木博士の研究室へ足を向けた。
 激しく異常事態だったが、急いで行っても説明できそうにないので考えながらゆっくり歩いた。

 

「どこで無くしたか思い出した?」

 リツコの研究室にレイが入ると、ミサトが正座させられていた。
 室内にはリツコと白いネコ耳の人と、弐号機パイロットが居た。

「たぶん、ポケットに入れたときに紐がハミ出てたと思うのよ。それが何かに引っかかって落っこちたんじゃないかなぁと」
「ミサト。どうやって、じゃなくて、どこで、よ?」

 リツコはかなり本気で怒っているようで、身体から赤いオーラが立ち上っている。
 アスカはその様子を我関せずと眺めながら、12万6千円の椅子の背もたれをガチャガチャ倒したり戻したりしている。

「もし見つからなかったら、産廃業者のトラックの中身を一台残らず全部調べてもらう事になるわよ」
「そ、それだけはカンベンしてぇ〜〜〜」
「なら思い出すのね。どこで大事な変身モジュールを落としたのか」
「もういいじゃない変身モジュールなんて。あたしぜっっっったいプラグスーツ戦士なんてやらないから」

 素足スコート営業なんて全くヤル気無しのアスカが宣言する。

「でも、アスカちゃんならきっと似合うわよ、足もキレイだし、スコートが映えると思うな」
「うるさいわねっ、やらないったらやらないのっ! あなたが着ればっ!」

 マヤが余計な事を言って怒鳴られ、耳をペタンと寝かせて怯えている。

「あら、そんなところで何をしてるの?」

 ようやくリツコがレイの存在に気付いて声をかけた。
 ずっと気付かれるのを待っていたレイは、全員の注目が集まったところで満を持して発言する。

「博士、私が使徒に追いかけられているのを肉眼で確認しました」
「……」

 状況を端的に正確に告げたつもりだったのだが、残念ながら反応が無い。
 言い直し。

「行方不明だった使徒が、私を追いかけている所を目撃しました」
「………なんですって?」

 リツコが耳を疑って聞き返した時、ネルフ本部全域に警報が鳴り響いた。
 次いで流れてくる青葉の声。

『パターン青確認! 使徒貯蔵庫付近に逃亡中の使徒と思われる反応あり! 隣接区域の職員は至急避難してください!』

「よくわかんないけどとにかく! お仕事ねっ」

 すくっと立ち上がり、ちょっと足が痺れててふらつくミサト。

「あいたたたた足シビシビ」
「紛失責任の追及は後でしっかりするから覚悟なさい」
「うー、そんなのいいからプロテクト解除してよぉ」
「ミサトちゃんレイちゃん変身よ」
「うわっ、おざなりだっ!」

 それでもパキンッ、と渇いた金属音がロザリオから聞こえた。


 


 マナは涙目になって呼吸を荒げて走っていた。
 彼女を追ってくる魚と犬の合成怪物は、時が経つに連れて徐々に徐々にその大きさを増し、今や体高3メートルをゆうに上回っている。しかも、前足が鋭く硬く変形し、ちょっとした大カマキリになっている。
 使徒がそれを振り下ろす度に、壁や床が削れて破片が飛んで大騒ぎである。

「こんなのが居るなんて聞いてないよーー…助けてムサシ…ケイタ……」

 そろそろ息切れが激しくなってきたマナは、ついに力尽きてガクンと足元がよろめき「使徒貯蔵庫」の扉の前でヘタリこんだ。

【―――ズォオガァーーーーーー!!】

 成体サンダルフォンのダブル鎌が奇妙な鳴き声に合わせて大きく振り上げられる。

 まさに振り下ろされんとするそのタイミングを計ったように、葛城ムーンと綾波マーズがその場に駆けつけた。

「大丈夫!? レイ!」
「はい」
「いや呼んだのは、あっちの倒れてる方だから」

 ミサトが胸のロザリオからプログレッシブ・ムーン・ロッドを吐き出している間に、レイの必殺技「マーズ・フレイム・スナイパー」の白い光がサンダルフォンに浴びせられる。熱線が使徒の外皮に弾け、火花を散らす。

 しかし使徒はレイの攻撃を全く意にも介さず、浴びるだけ浴びて動じない。じっくり光線が途切れるのを待ってから、鎌をマナの頭部に叩きつけんと加速する!

「ひっ…ぃ…!」

 迫り来る使徒の巨体と鎌はマナの恐怖心の限界を超えてしまい、彼女は両手を組んでぎゅっと目を閉じ、何か分からないけど何かに祈る。

 プログレッシブ・ムーン・ロッドを携えた葛城ムーンだが使徒との距離は5メートル以上。かたや使徒の鎌とマナの頭部の距離は1メートルも無い!
 もう間に合わないと思ったミサトは、最後の手段、ロッドを投擲しようと身構えた。
 しかしそれよりも早く獲物を狙う鎌は急降下した!

 ―――メギシャッ―――

 骨が砕けるような気持ち悪い音がした。

 ああ、私、死んだんだ。

 ぼんやりとそう思ったマナは力なく瞼を開いた。

 すると、二つの不思議な現象が見えた。

 ひとつは頭上。魚のお化けの鎌が、赤いガラスのような板にぶつかって潰れ、砕けた様子。
 もうひとつは、さっき拾って首にかけたペンダントに、水星を示す記号(♀にツノが生えたようなマーク)が浮かび上がり、発光している。

「な……に、これ……?」

 彼女の身体を包む光の壁は、まさしく。

「あの娘は、戦自の…」

 カツラが外れて栗色の地毛があらわになったマナを見てミサトが目を丸くする。

「何でここに? どうしてペンダントを? 何故発動したの?」

 疑問だらけの光景はミサトにすら一瞬戦いを忘れさせた。

「アスカはまだパイロット専門でやっていけそうね」
「リツコ、あの子ってもしかして」
「ここに居る筈の無い人物が、持つ筈の無い道具を手に入れて命を永らえた。この偶然を運命と呼ぶのかしら。
 ……何をぼんやりしているの―――今よ、葛城ムーン」



 



 使徒サンダルフォン活動再開確認から22時間後、葛城ムーンこれを殲滅。
 重軽傷者ゼロ、憑依被害者ゼロ。設備損傷軽微。
 生きた使徒のサンプルこそ失ったが、記録上最小の損害額に留まった本戦闘は大きな意義を持つと言える。

 戦略自衛隊所属少年兵「霧島マナ」の身柄は特務機関ネルフにて保護。来週早々にも移籍が決定。
 交換条件として限定的ながら特殊軽巡洋艦開発プロジェクトへ、碇総司令官の承認を得て技術供与を開始。
 特殊軽巡洋艦開発プロジェクトの詳細については時田シロウ氏より追って提供される資料を参照の事。

 碇シンジ、部外者の侵入を手引きした咎で、来月の小遣い5割カット。
 今度このピンクのネグリジェを着れば不問に処す。

 

「碇司令、この最後の一文は削除してください」
「問題ない」
「皆まで言わなければお分かり頂けませんか」
「……今日はリツコ君が私の崇高な目的を妨害したので復讐を誓った、と」
「日記はご自宅でどうぞ」(怒)







 
つづく 

 
2002/07/04 初版。

 話進むの遅すぎヽ(`Д´)ノは三笠どらまでどうぞ。いやースマンです。

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