Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon
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夕暮れのオレンジフィルタがコンフォート17をレタッチしている。
ダイニングキッチンの椅子に腰を据えて、リビングの窓越しに見える第3新東京市の遠景は、新しい首都の生まれゆく様を現在進行形で表しているのにどこか懐かしい。
瞼を閉じたシンジの腕に抱かれているのは古びたチェロ。高いものではない。細かな傷もある。
技巧を凝らした瓢箪型のボディ。そこからツノの如く伸びる黒いレールに左手を当て、右手に持つ弓を躍らせると、音楽の始まりである。
演奏曲目は、ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲、無伴奏チェロ組曲第1番ト長調よりプレリュード。
誰でも一度は聞いたことがあるだろうメジャーな曲であり、ネットで検索すれば幾らでも音楽ファイルが見つかるが、実際に弾くとなれば、ましてや弦楽器ともなると、そうそう簡単には行かない。
それをシンジは、楽譜もなく、半年以上のブランクがありながらも、自然に弾き始めた。
8分音符だけで構成された旋律は、一定のリズムを保ったまま、時に明るく時に暗く、必要な音を必要なだけ詰め込んで部屋に染みる。
ペンペン専用冷蔵庫の中で昼寝する主の耳にも―――耳はどこだ……えーと、目の後ろの横辺りらしい―――穏やかなメロディーは響き、なんかしら脳波がイイ感じになって、安らかな寝息に深みが増す。
演奏に没頭していると、不意に背後からパチパチと拍手が聴こえてきた。
振り返ると、いつの間に帰宅していたのか、薄緑色の清楚な似合わないワンピースを着たアスカが入ってきた。
「結構いけるじゃない。そんなの持ってたの」
「5歳の時から始めてこの程度だからね。才能なんて別にないよ」
「継続は力か。少し見直しちゃった」
清楚で似合わないワンピースのアスカはショルダーバッグを椅子に引っ掛けて冷蔵庫から麦茶を一杯。コップを流しへ。
「先生に言われて始めた事だし、すぐに辞めてもよかったんだ」
「じゃぁ何で続けてたのよ」
「……誰もやめろって言わなかったから……」
「やっぱりねぇ」
アスカはその清楚で似合わないワンピースのまま、リビングの絨毯に寝転ぶ。
シンジからは襖に隠れてアスカの膝下しか見えない。
「早かったんだね。夕飯食べてくるんだと思った」
「退屈なんだもん、あの子。だからさ、ジェットコースター待ってる間に帰ってきちゃった」
シンジは気付いた。なぜ薄緑色の清楚で似合わないワンピースが似合わないのか。
それは彼女が頑なに外さない真紅のヘッドセットのせいだ。あれがカラーバランスを欠いている。代わりに白か黄色のリボンだったら似合うかもしれないが、恐らく言うだけ無駄だろう。
「あーーーあ、まともな男は加持さんだけねーー」
「……それはないと思うな」
シンジがぼそりとつぶやいた辛辣な評価は、人知れずアスカの口に苦虫を送り込み、彼女の表情を思いっきり歪めた。
アスカの記憶には今もしっかりと、タキシードを着こんで仮面を被ってヘリコプターからハシゴにぶらさがっている変態っぷりが残っており、時折悪夢の様に蘇えっては淡い恋心を踏みにじってくれるのだった。
ごめんなさい加持さん。もうあたしダメかも。
「あ、そう言えばミサトは?」
「僕が帰って来た時にはもう居なかったよ。たぶん、昨日新しい服買ってたから、出かけたんじゃない」
「ふーん」
窓の外、芦ノ湖の遥か対岸にビル郡の灯かりが見える。
窓ガラスには店内のネオンが反射して、それが相まってアダルトな雰囲気を映し出している。
そんなエタノール屋さんの店内に、ガラスに映る影が2つ。
新調した衣装をまとい、肩も腕も背中も、惜しげも無く視線にさらしてくれているミサト。対して長袖でがっちりガードを固めるリツコ。
「来ないわねタキシード加持さま」
カクテルを傾けていたミサトが、気道に侵入してきたアルコールをげほげほ追い出す。死ぬ死ぬ。
けほけほ。2割死んだ。
「あ……あのバカが時間どおりに来たことなんていっぺんもないわよ」
「デートの時はでしょ。仕事は違ってたわよ」
リツコの鉄壁ガードはヘアスタイルにも及んでおり、うまいことネコ耳を折り畳んで髪留めを駆使し、髪の毛の下にしまいこんでいる。完全には隠れていないが、照明の抑えられた店内ならばさほど目立たないだろう。
「いやぁお二人とも、今日は一段とお美しい」
お世辞を配りながら加持登場。配られた側の二人は油断なく彼が仮面をつけていない事と、スイカを持っていない事をチェックし、安心する。
それでも何故かタキシードではあるが。これについてはどう評価すべきかミサトにも良く分からない。つーかあんまり深く考えたくないので放置の方向で。
「時間までに仕事抜けらんなくてさ」
「いつもプラプラ暇そうにしてるくせに」
とは言いながらその暇そうな人に電話で誘われて結婚式に行くわけでも無いのにマトモな服で出てきてしまう自分も相当暇なワケだが。
「どーでもいいけど何とかならないの、その無精ヒゲ。ほらネクタイ曲がってる」
「うお。こりゃどうも」
グイグイと締め直されてもフォーマル感がさらさら出ない加持。なんとなく蝶ネクタイに交換したくなるのは何故だろう。
「夫婦みたいよ、あなたたち」
「お、いいこと言うねぇリッちゃん」
「どぅわれがこんなヤツと」
憎まれ口を叩きながらもミサトの瞳の奥に揺れる微かな光。それをリツコは見逃さなかった。
「―――ちょっち、お手洗い」
「とか言って逃げんな」
んべ、とミサトは舌を出して退席する。
白いハイヒールがコツコツと床を鳴らす音。それを目線で追いながら加持は物思う。
だがそれも一瞬のこと、根っからのフェミニストであると自分では思いたい彼は、酒の席が無言で占められるなんて失態を許さない。即座にリツコへと舌戦を仕掛ける。
「何年ぶりかな、三人で飲むなんて」
「ミサト飲み過ぎじゃない。何だかはしゃいでるけど」
「浮かれる自分を押さえようとしてまた飲んでる……今日は逆か」
「やっぱり一緒に暮らしてた人の言葉は重みが違うわね」
「暮らしてたっても葛城がヒールとか履く前のことだからなぁ」
リツコは折り畳んだネコ耳付近がかゆくて頭髪に指を入れてこしょこしょしたり、ガラスに映る顔を見てネコ耳が飛び出てないかチェックしていたので話は半分くらいしか聞いてなかった。
「学生時代には想像できなかったわよね」
「オレもガキだったし、あれは暮らしっていうより共同生活だな。ママゴトだ。現実は甘くないさ。
―――そうだこれ、ネコの土産」
ポケットから出した赤い小袋を、手を伸ばしリツコの前に置く。
「あらありがとう。マメねぇ」
「女性にはね、仕事はズボラさ」
「どうだか。ミサトには?」
「一度敗戦してる。負ける戦はしない主義だ」
「勝算は在ると思うけど」
袋の中身は銀のコインにハートとニャンコのレリーフをあしらったペンダントトップ。それとチェーン。可愛いけど身に着けるにはちょっと微妙なセンス。加持らしいと言えばらしい。
「リッちゃんは」
「自分の話はしない主義なの。面白くないもの」
むしろ可笑しいので絶対しない。特に、近頃マヤが自分を見る目が変だとか語りだすと果てしなくドツボなので絶対しない。
「遅いな葛城。化粧でも直してんのか」
「京都、何しに行ってきたの?」
加持の土産をスラリと細い指先でもて遊びながらリツコは牽制球を投げた。抜かり無くリードを絞っていた加持はすぐにベースへ駆け戻る。
「あれ? 松代だよ、その土産」
「とぼけても無駄。あまり深追いすると火傷するわよ。これは友人としての忠告」
たまにとぼけてるんじゃなくて本当に記憶が飛んでる場合があるので、この忠言にどれほどの意味があるのか、リツコ自身にも不明ではあるが、今回はたまたま図星を突いたらしく、加持は肩をすくめた。
「真摯に聞いとくよ。どうせヤケドするなら、君との火遊びがいいな」
「花火でも買ってきましょうか?」
加持の口説きボケにかぶせてミサトの皮肉が降る。
「あぁおかえり」
「変わんないわねぇ、そのお軽いトコ」
トイレついでに自宅で待っているであろうシンジに夕飯不要の電話を入れて来たミサトが場に復帰し、再度着席。
「いやぁ変わってるさ。生きるってことは、変わるって事さ」
「ホメオスタシスとトランジスタシスね」
「何それ?」
「今を維持しようとする力と変えようとする力……その矛盾する二つの性質を一緒に共有してるのが生き物なのよ」
「男と女だな」
ネコ土産をハンドバッグにしまったリツコは席を立った。
「そろそろお暇するわ。仕事も残ってるし」
「そう?」
「うん」
「残念だなぁ」
「じゃ、頑張ってね」
「うん?」
折り畳んだネコ耳に髪の毛がチクチクしてかゆくてもう限界だとは告げないまま、リツコは退場するのであった。
何を頑張ればいいのだか不思議に取り残されたミサトは、まぁそれはそれとしてもう一杯飲むとした。
加持の驕りだから。
ちょっと呑みすぎかなぁとは思ったが、なんつったってタダだから。
確かに一緒に暮らしていた人の言葉は重みが違った。軽いほうに。
『あーシンちゃん? あたしー今加持君と飲んでんの。ううん、結婚式とは関係なし。でも二次会だったりして』
「はい。―――はい、じゃあ」
二度目の電話を受けているシンジの声が脱衣所の風呂上りのアスカの耳にも届く。
もう寝る準備OKのカッコで、タオルで髪を拭きながら出てきて一言。
「ミサト?」
「うん、遅くなるから先に寝ててって」
「えっ! 朝帰りってことじゃないでしょうね」
「まさか、加持さんも一緒なのに」
「あんたバカ!? ……だからでしょ」
タダ酒かっくらって、飲み過ぎて、酒に呑まれてガード下で吐いちゃって。そしておんぶして貰っている恥ずかしい人が齢29歳の葛城ミサトさんである。
ぐったり〜と加持の背中にもたれて運ばれている。
「いい歳して戻すなよ」
「悪かったわねぇ、いい歳で……」
「歳はお互い様か」
「そうよぅ」
「……葛城がヒール履いてんだからな。時の流れを感じるよ」
加持の肩に顔を伏せたまま、けだるそうなミサトの手の甲が、彼の顎をザリザリ撫でる。
「無精ヒゲ……剃んなさい」
「へいへい」
「……あと歩く。ありがと」
「ん」
白いハイヒールを手に持って、舗装道路をペタンペタン歩く。その半歩後ろを加持。
「加持君……私、変わったかな」
「綺麗になった」
一定間隔に並ぶ街灯が光と影のゾーンを交互に作っている。
「ごめんね、あの時一方的に別れ話して……他に好きな人が出来たって言ったのは、あれ、ウソ。
……バレてた?」
「いや」
人一人、車一台通らない静寂の道を、並んで歩む。
街灯の下では眩しいくらいにハッキリと見える互いの姿が、数歩先では影に沈んで消え去ってしまったかのように錯覚する。
繰り返し現れては消え、また巡り合う。
ミサトは急速に身体が酔いから醒めてゆく過程で、つながっていた糸が永遠に切れてしまったような喪失感を覚え、身震いした。
今、言わないと、次は来ないかもしれない。
もう二度と、たとえ全ての使徒を撃退しても、昔の様に笑いあう事は出来なくなるだろう。
一度はそれでもいいと思った。
離れ離れでも彼が無事でさえいてくれればと。
でも今は……。
「もうひとつ、ウソついてるの」
目を逸らしたい衝動を抑えて、加持に顔を向ける。
「加持君が無くした記憶、私、持ってる」
語りたくない言葉は息を肺から出すまいと固まる。絞りだした空気とともに魂まで口から飛び出してしまいそうだった。
加持は唇を引き結んで、真剣にミサトの言葉に耳を傾けたまま歩く。
「気付いたのよ、加持君が死んだと思って、その後すぐに私の父がネコ耳」
「ネコ耳?」
「もとい。私を庇って死んで」
ミサトが心の奥に閉じ込めていた悪夢の光景が、血がにじむようにゆっくりと染み出して来る。
2000年9月、セカンドインパクトと呼ばれる天変地異が残した傷跡が痛む。
「私はもう独りぼっちだと思って涙さえ忘れかけてた時、加持君が生きてるって聞いて嬉しかった」
ミサトの錯乱したかとすら見える散文的な独白を受け止めていた加持の表情が次第に険しさを増す。
「すぐに飛んで行きたかった……でも記憶を無くしてるって……それで考えたの。
もう私の戦いに誰も巻き込みたくない。
使徒とか戦士とか運命とか月、地球、アダム、リリス、そんなモノに翻弄されるのは私だけで充分だもの。
父の最期の姿を思い出す度に、今度こそ本当に加持君を失ったらって思うと……怖かった。どうしようもなく怖かった……」
加持は彼女の言葉を黙って聞き続けた。その視線はミサトから外れて地面に落ちている。
「大学で初めて会った時も、本当は私、加持君の事知ってた。知っててずっと騙してたの。
このまま、加持君が昔の事忘れたままだったら、やり直せるかなって、自分も誤魔化して……。
でもやっぱり加持君は、記憶が無くても加持君のままで、優しくて……優しすぎて、耐えられなかった。
加持君と一緒にいることも……自分が戦士だということも……何もかもが怖かったわ」
ミサトの視線も地面に落ちる。
「全てを吹っ切るつもりでネルフを選んだけれど……でもそれも父の居た組織。
結局、使徒に復讐することでみんな誤魔化してきたんだわ」
加持に伝える為につむぎだした言葉の一つ一つが自らの心に新たな疵を穿ち、ヒビの入った防壁から涙が漏れそうになる。
はぁ、と重い息を吐き出し、ミサトは立ち止まった。
「葛城が自分で選んだことだ。俺に謝る事はないよ」
激昂してもよい立場の加持の答えは、それでも変わらず暖かかった。
そしてそれが尚更ミサトを責め立てる。
「違うのよ! 選んだ訳じゃないの! ただ逃げてただけ。
父親と言う呪縛から逃げ出しただけ……シンジ君と同じだわ!」
決壊。涙声と顔を手で覆う。
「……臆病者なのよ」
嗚咽寸前で踏みとどまり、葛城三佐に立ち戻ろうと涙をぬぐったミサトは、声色を無理に明るくする。
「ごめんね、ほんと、酒の勢いでいまさらこんな話……」
「もういい」
それでも涙の濁流に沈みゆく心。
「子供なのね。シンジ君に何も言ってもらう資格ない」
「もういい」
「その上こうやって都合のいい時だけ男にすがろうとするズルイ女なのよ!」
息が詰まる程苦しくて、もがくほどに自刃を吐いて。
「あの時だって加持君を、利用してただけかもしれない……嫌になるわ!」
「もういいやめろ」
「自分に絶望するわよ!」
加持はミサトの唇を塞いだ。
言葉は消えた。
山々も見ていない。木々も見ていない。星々も見ていない。
ミサトの手から力が抜け、白いヒールが落ちる。
今、世界には彼と、彼女しか居なかった。
テレビでは深夜の通販番組が怪しげなワックスを塗った自動車に火をつけて遊んでいる。二人組みのアメリカ人が嘘臭い宣伝文句を並べて、それを観客なのかサクラなのか、客席からのどよめきが後押ししている。
ダイニングのテーブルには読みかけの雑誌が飽きて放り出されている。食べかけのスナック菓子も同様。
ペタリと顔をテーブルに載せてぼんやりしているパジャマ姿のアスカ。
ミサトはまだ帰って来ない。
灯かりの消えたリビングではペンペンが座椅子にもたれて眠っている。
ダイニングとリビングの間の敷居に腰掛けて柱に背中を預け、『100円で出来るダイエットおかず』を読んでいるシンジ。耳にはヘッドホンステレオ。何を聞いてるのかは興味無い。
ミサトは加持と飲みに行ったきり帰って来ない。
アスカは自問する。この通販番組の観客の笑い声がムカつくのは何故だろう。
アスカは自問する。このバカシンジの穏やかな「日々是平和」みたいな横顔がムカつくのは何故だろう。
アスカは自問する。この世界一重要なエヴァのパイロットである私が夜中に雑誌を眺めつつスナック菓子なんて齧っている状況は何だろう。
ミサトは加持と飲みに行ったきり日付が変わっても帰って来ない。
いや、帰って来たからってどうなるものだろうか。
帰って来なかったらこのまま一晩中待っているのだろうか。
何の為に? 「ミサトが加持さんと飲みに行ったけど朝帰りじゃありませんでした」
だからなに? それが何? それであたしは何なの?
ミサトは加持に誘われて行ったきり帰ってくる気配が無い。
アスカは自問する。それはそれほどムカつかないのは何故だろう。
「……ねぇシンジ、キスしようか」
そんなセリフがアスカの口から出ているのをアスカは聞いた。
自分でも良く分からないが、そうしたら何か答えが見つかるかもしれないような気がしたので試してみることにした。
「え。なに……?」
「キスよ、キス。したことないでしょ」
「うん……」
突然外国人に道を尋ねられた時のような動揺をしつつヘッドホンを外すシンジ。
「じゃあしよう」
アスカはひょこんと上半身を起こす。
「どうして」
「退屈だからよ」
「退屈だからって……そんな」
あんまり暇潰しにキスをする習慣の無い国で生まれ育ったシンジは狼狽している。そんな国はどこにも無いが。
その慌てぶりを見ていてアスカは気付いた。ミサトが帰って来ない事に苛立ってるんじゃなくて、それを気にしている私の気持ちを、このボンクラが汲んでくれないレディファースト精神の欠如に苛立って、からかっているんだと。
本当の真意は本当にそうなのか、それはさておきそういう自己完結をしたアスカは、意地悪く微笑む。
「お母さんの命日に女の子とキスするのイヤ? 天国から見てるかも知れないからって」
「別に……」
「それとも怖い?」
「怖くないよ、キスくらい」
さすがにここまでからかわれればシンジも立ち上がる。そうだ、キスなんて怖くない。アスカに比べれば。
「歯、磨いてるわよね」
「うん」
いや待てよアスカとキスするんだからやっぱり怖いんじゃないだろうかと思ったがもう手遅れ。
賽は放物線を描いて落下中である。
「じゃ、行くわよ」
両者はダイニングに立ち、間合いを詰める。
アスカはシンジの呼吸を感じて躊躇した。
このままちゅーなんて口付けてオシマイってのはやっぱりムカつく。ここはひとつバカシンジの鼻でも塞いで窒息させてやるくらいしないと割に合わない。
「鼻息がこそばゆいから息しないで」
そう宣告して一気に鼻を摘まもうと手を出した、が避けられた。
「おっと」
「あ」
そして手をつかまれて引き寄せられ、
「っ……!」
なんと油断したことか、シンジの方に逆にリードされ、スウィートリップ(死語)を強奪されてしまった。
なんでなんでなんでなんでいつの間にかシンジの右手が腰に回ってるし!?
払いのけようと思った次の瞬間には不意打ちの第二波が襲来し、アスカの背中をぞわぞわぞわぞわと走り抜けた。
なんでなんでなんでなんでなんでなんで上唇の裏側とか歯茎の辺りでぬるぬるしたモノが這いずってるの!?
「んーっ! むーーっ!?」
もしかしたらこれは話に聞く「大人のキス」と言うヤツじゃなかろうか。
キスしたことないと言いながらムチャクチャ手馴れた様子なのだが、これは裏切り行為ではないだろうか裏切りで断罪で死刑だと混乱するアスカは思ったが対応策が取れないまま、なんだか顔が熱くなってきた感じがする。
そこへペンペンが「くあー(よくねたー)」とか鳴きながら起きてリビングから出てきて、なんか頭上でやっとる人間たちを一瞥。
何してるんだかペンギンの身にはさっぱり意味不明だが、アスカが拳をぐぐっと握り締めたり、それが力なく開いてぐったりするのを見た後、自分の冷蔵庫へ帰還した。
「ぷは…ぁ」
ようやく解放されたアスカは、そのまま背後の椅子にへたりこむ。まだ耳の後ろがぞわぞわして変な気分。
見上げるとシンジが、今まで見たことないような大人びた微笑で見下ろしている。
「ちょっとお仕置きが過ぎたかな。あんまりからかうから本気だしちゃった」
それはシンジなのだが、シンジでないような、変な例えだが、シンジは魔法少女で変身すると大人になるんだなんてバカな話が実在したと仮定した時の、魔法で大人になった時のシンジみたいなオーラが出ているのだ。さっぱり意味不明だが他にどう例えれば良いのか。
そんなシンジじゃないシンジは、アスカの鼻っ柱の前でぴっと人差し指を立てると、ちっちゃい子を叱るような口調で言った。
「キスなんて、暇潰しにやるもんじゃないでしょ?」
「あ、あんた……誰……?」
と、アスカが戦慄を覚えたその時、葛城邸の玄関がプシューと開き、ミサトを引きずりながら加持が入ってきた。
「ほらついたぞ、しっかりしろ」
「ん〜〜〜」
注意が玄関の声に向いた瞬間、アスカの見たシンジじゃないシンジは消えていた。
元のボンクラ平和ボケ顔のシンジが玄関へ向かい、前後不覚なミサトとタキシード加持を発見。
「加持…さん?」
「え〜っ! 加持さん……っ!?」
声のトーンを3音跳ね上げたアスカも玄関先へ飛び出してきて、凍りつく。
いや、一瞬見間違えたが加持はタキシードこそ着ていても仮面は被っていないので普通の加持さんで正しい。良かった。
骨が溶けてしまったようにグデングデンのミサトを布団に安置してくれた加持は、ようやく肩の荷が下りて安堵の息をついた。
襖を閉じて泥酔者を密閉し、酒気が漏れないように同居する未成年者へ配慮。
「じゃあ俺は帰るから」
「加持さんも泊まっていけば?」
「このカッコで出勤したら笑われちゃうよ」
「えーーー? いまさら大丈夫よー。ね、加持さんってば」
確かに今更ネルフで笑うヤツぁ誰も居ないだろうが、残念ながら加持だけはその事実が記憶にございませんので、やんわりと断る。
「ははは……またな」
加持を引きとめんと腕にすがりついたアスカは、その嗅覚に異変を感じ、表情を曇らせ手を離した。
「……ラベンダーの香りがする」
アスカの呟きには気付かず、加持は靴を履いた。
「済まないが、二人とも葛城のこと頼んだぞ」
「はい」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
答えたのはシンジだけ。アスカは呆然と立ちすくんでいる。
加持を送り出してもまだぴくりともしないアスカにシンジは声をかけた。
「どうしたの、元気ないね」
「……あんたなんかとキスしたからよっ!!」
いきなり沸騰96℃のアスカはそんな叫び声を残して部屋に閉じこもった。
夜中に叫んでは近所迷惑である。
まして隣の家に住んでる人間が同級生だったり同じ職場に勤務する人だったりする場合には細心の注意が必要なのである。
もし迂闊にも隣人の存在を忘れて「キスしたからよっ」なんてシャウトを漏らしてしまうと。
「―――レイちゃんレイちゃん起きてっ! 一大事よ!」
突然マヤがレイの寝室に飛び込んできて起こされた。
サイズの大きいYシャツを寝巻きにしているレイが眠い目をもぞもぞこすりながら起き上がると、パジャマ+白いネコ耳で不完全武装したマヤが瞳を爛々と輝かせてこう言った。
「今隣りからアスカちゃんの声でキスしたって! キャーッ!」
思いっきり他人事かつプライベートの話なのに黄色い声を上げて顔を赤くしてるマヤの行動が微妙に疑問だったがレイは気にせず、睡眠の続きを取ることにして無視して布団に潜り込んだ。
「あらっ、レイちゃん? 寝ちゃうの? 興味無かった?」
揺り動かされる。迷惑である。
「やっぱり相手ってシンジ君かな? ねぇねぇレイちゃん気にならない?」
大人なのだからキスくらいで騒がないで欲しい。
「……わかったから寝かせて」
のっそりと起き上がったレイは、マヤの頬に唇を接触させて再び布団に潜った。
「……はい、おやすみなさい……」
10年も年下の少女の冷静な仕草を目の当たりにして、独りで血を上らせて騒いでいたのが恥ずかしくなったマヤは静かにレイの部屋から退室した。
誰にも秘密だが、ちょっぴりドキドキしてしまった自分はもしかしてアレなんだろうかと思ったが胸に秘めて置くことにした。
翌日
ネルフ本部
大深度地下施設 中央部
セントラル ドグマ
天井に固定されたエヴァの作りかけのような物体。それにつながる幾つものチューブ。
複雑に入り組んだ配管・配線は、その下に設置された人間が入りそうな大きなの試験管へと集約している。
床には悪魔でも出てきそうな魔方陣らしき紋様が描かれており、その中心に立つ筒にはLCLが満たされている。
なにやらエヴァに関わりのある装置に違いないが、中に誰も入っていないし、使ってる様子も見られないので置いといて。
その近くでレイは立っていた。
ゲンドウが通販カタログで仕入れたレース多用系ロリータファッションに身を包んで。
無表情で棒立ちの彼女の心境は見て取れないが、もし心を覗くことが可能ならば(早く終わらないかな……)と思っている。
そのレイの衣装を眺めて満足げに微笑んでいるのがゲンドウである。
世界で五本の指に入るほど忙しい筈の人物が、ただ着飾ったレイを眺めてニヤニヤしているのである。
この装置が据え付けられた部屋に入っていい人間は彼と彼女の他には赤木博士しか居ないので、誰にも邪魔されず仕事をサボる事が出来る憩いのスペースなのが主な理由であろう。
「碇司令……」
「なっ、赤木博士っいつの間に」
「いつの間にじゃありません、いつになったらダミープラグのデータは揃うんです?」
「いや、今始めようとしていたところだ。うむ」
蕎麦屋の出前みたいな言い訳をしながらレイに脱衣を命じるゲンドウ。
「はい、じゃあ後は私がやっておきますから、司令は発令所へお願いします」
「なっ、いや、この作業は重要だから私が見届ける必要が……」
全く無い。
「そんなに暇でしたら司令が替わりにこの筒に入ってくださってもいいんですよ」
かなり赤木博士が本気っぽい冷たい声なので、ゲンドウはしょぼーんと肩を落としてセントラルドグマから追い出されるのであった。
今度は赤木博士が出張の時にやろうと思いながら。
同・地下2008メートル
ターミナル ドグマ
ネルフ本部施設の最下層。人間が足で立ち入る事が出来る場所のもっとも地下深く。
立ち入り禁止の表示板が光る区域に加持は潜入していた。
KEEP OUTの文字の下には小さく「LCLプラント」と説明が併記されている。
そしてまた「許可無き者は発見次第撃つ」とも英語で書かれている。
巨大かつ重厚な扉の脇には、カードキー用のリーダーが設置され、セキュリティカードが通されるのを待っている。
加持は懐から出した赤いカードをスリットに当てた。と同時に後頭部に冷たい銃口を突きつけられる。
両手を挙げて背後を窺うと、銃の持ち主はミサトだった。
「やあ、二日酔いの調子はどうだ?」
「お陰でやっと醒めたわ」
「そりゃよかった」
巨大な吹き抜けの空洞を、空調設備から吐き出された風が通り抜ける音。
「これがあなたの本当の仕事? それともアルバイトかしら?」
ミサトと加持の声も反響してエコーがかって聞こえる。
「どっちかな……」
「特務機関ネルフ、特殊監査部所属加持リョウジ。同時に日本政府内務省調査部所属加持リョウジでもあるわけね」
「バレバレか」
「ネルフを甘くみないで」
司令は過分にアレだけど、副司令とか赤木博士とか私を甘く見ないで、と言う意味である。
でも青葉シゲル氏の現状は知られていないので、甘く見てもいいかも知れない。
「碇司令の命令か?」
「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」
「碇司令は俺を利用してる。まだいけるさ。だけど葛城に隠し事をしてたのは謝るよ」
「昨日のお礼にチャラにするわ」
「そりゃどうも……ただ、司令やリッちゃんも君に隠し事をしてる。それが…これさ」
赤いカードが振り下ろされ、スリットを通過すると、発信音と共に『LOCK』は『OPEN』に変わった。
二つに割れた扉はグオオオと唸りを上げて視界から去り、機密の壁に隠されていたLCLプラント内部を顕にする。
「これは……?」
目を見開くミサトが声を震わせる。
「アダム? いえ、まさか」
巨大な『それ』の上半身は巨大な十字架に磔にされていた。
白い人形の両掌には釘が。顔には7つの目が象られた仮面が。そして胸には赤い二又の『ロンギヌスの槍』が。
腰から下は無く、白い球状のモノが多数くっついたようにボコボコ膨れていて、そこから小さな人間の下半身が幾つも幾つも幾つも生えている。
そしてその胴体の切れ目から湧き出し、十字架を伝って滴り落ちるオレンジの液体。
それがLCLと呼称される流動体だった。
「そう、セカンドインパクト以前からその全ての要であり、始まりでもある」
だが二人はその白い上半身も、そこに刺さる『槍』も見ていなかった。
それらの固定された土台こそが彼らにとって真なる驚きだった。
「幻の銀十字だ」
「銀十字……そのオリジナルがここに……」
ミサトは胸のロザリオを握り締める。
「―――確かに、ネルフは私が考えている程甘くないわね」
つづく
2003/11/12 初版。
すぺしゃるさんくす「美‥‥女と美少女じゃ、どっちが格上だと思ってんの、ああん?(酔っぱらい)‥‥戦士」byぱたりろさん
次回は山岸さんゲストですが、三笠どらまで何かネタくれと言ってみる。
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