……レリエル……レリエルはおらぬか……



『彼なら目覚めたけれど、外に出たくないと閉じこもっているよ』



……ええい、どこまでも内向的なヤツめ……



『じゃあ今回は諦めて欠番に、という訳にはいかないね』



……タブリス、お前ヤツの首に縄をくくって連れて行け……



『お安い御用さ。……でも、首はどこにあるのかな……?』



 
 







 
 
 





 本日の朝食は目玉焼きにウィンナー。ご飯とお味噌汁とビール。何か食事じゃないモノが混じっているような気がするいつもの食卓。
 ビールの缶を片手につかんだまま、お味噌汁をずずずーとすするミサト。お行儀の悪い事に、椅子の上にあぐらをかいている。器用だ。

「あれぇ? シンちゃん、おダシ変わった?」
「うん、鰹出汁。リツコさんのお土産」

 制服+緑のエプロンのシンジがにこやかに答える。でも出汁の違いが分かる人が、どうしてカレーを作らすとあんな味覚障害を起こすんだろうと疑問に思うのは忘れない。いや、もっと謎なのは、カレー以外はそれなりに食べられるモノが作れるところかもしれない。調理方法は別途教えないと知らない事が多いけれど。
 と、そこに風呂場から、冷水でも浴びたような悲鳴が響いてきた。

「―――んゃあぁあーッ!?」

 朝風呂に入ろうとしたアスカがバスタオル一枚で飛び出してくる。

「あーっつぅーーーーいッ!!」

 逆だった。
 赤いバスタオルを身体に巻きつけて、赤いタオルで髪を覆っているアスカは、お湯の温度を確かめずに思いきり洗面器で浴びた自分の落ち度は棚に上げて、シンジを怒鳴りつけた。

「……ごめん」
「うーっ、そうやってすぐ謝って! 本当に悪いと思ってんの!?」
「うん……」
「シンジってなんだか条件反射的に謝ってるように見えるのよねっ。人に叱られないようにさぁ!」
「……ごめん」

 別に条件反射ではなくて状況を多角的かつ論理的に判断すると、この場合アスカの不注意が事故の主要因と思われ、謝罪しようとしまいと怒りの矛先が変わらないと身体が覚えてしまっているので、ゴメンしか言えないのだが、そんな彼の態度がどーにも投げやりに見えるらしくアスカ様のボルテージは朝からガンガン上がっていく。

「ほらぁ! 内罰的すぎるのよ、根本的にっ!
 断食行えば寄進儲かります、って言うでしょ! もっとシャキっとしなさいよ!」

 鋭く指差すアスカの背後に「ドーン」と効果音が出てるような気がする。

「ねぇシンちゃん、今アスカなんて言ったの」
「たぶん『断じて行えば鬼神もこれを避(さ)く』の間違いだと思いますけど」
「こらそこの慢性ドランカー! 何をごちゃごちゃ言ってるのよ」
「あー、えーと、あたしにも分かるように言ってくんないかな〜」

 たははー、とビールを傾けつつ情けない笑いを浮かべるミサトの様子に、アスカは優越感が鼻からフフンと漏れる。

「あら、わかんないの? 仕方ないわねぇ〜。ミサトにも分かりやすく言うと『戦士一投、何人でも必ずアウト』よ」
「……シンちゃん訳して」
「ええっと、精神一到何事か成らざらん、かな?」

 シンジの翻訳はありがたいが、その直った諺の意味が分からんのは微妙に屈辱的だ。

「ゴメン、ことわざ降参。お手上げ」
「ああんもうっ! 鉄筋石像を養えってこと!」
「鉄心石腸(てっしんせきちょう)です」
「うーん、ダメ。次」

 なにやら騒々しくて寝てられなくなったペンペンが冷蔵庫からのそのそ出てくるが、それに誰も気付かずコントは続けられる。

「だーっ! 日本人のクセにっ! じゃあ、不格好はバツ!」
「確乎不抜(かっこふばつ)
「えぇ〜、ミサっちん、わっかんなぁ〜い☆」
「気持ち悪いから知能指数の低いアイドル口調はヤメてッ!」

「くぁーくぇー(朝から騒がしいなー)」

 けだるそうに足を引きずって、一番五月蝿い人=アスカに銃口を向けるペンペン。無論オモチャであるが圧縮空気で弾は飛ぶ。

「どうしてこんなに分かりやすく言ってあげてるのに理解できないの!?
 あたしが言いたいのはつまり―――っ!?」

 殺気を感じたアスカは口を結ぶと、飛来する生分解プラスチックの丸い弾を、のけぞって間一髪回避した。
 そして小さなソルジャーを見下ろして両手を振り上げて怒る。

「あぶないじゃないのよっ!」

 と、急激な運動で赤いバスタオルが後ろへ前へと引っ張られたものだから、ついにパラリと外れて床へ落ちてしまった。
 一瞬シーンと静まり返る葛城家ダイニングキッチン。

 アスカはミサトに目線を向ける。ミサトはビールを持ったまま目が丸くなって停止している。
 アスカはシンジに殺意を向ける。目が合ったシンジは呆然から我に返り赤面して、手の中の味噌汁鍋に視線を落とす。

 ぽーっと全身の血が高速循環し始めたような錯覚がアスカを支配した。次の瞬間、ペンペンはアスカの頭に巻かれていたタオルを投げつけられ、顔面をスパシンと叩かれて「ぐぁっ!?(痛っ)」と叫びつつ転倒。
 ペンペンの後頭部が床に落ちるまでの一瞬に、アスカはバスタオルを拾って身体を隠しながらシンジへ突進し、

「キャーッ! このドスケベッ! バカシンジの変態ッ!」

 とりあえず八つ当たりの罵声を放ちながらビンタを食らわせておいてから、俊敏なバックステップでアコーディオンカーテンの中へと後退し、間髪入れずカーテンをジャッと閉じると、バスルームに舞い戻り、熱いと文句をつけたはずのお湯に飛び込んだ。
 この間、僅か8秒程。

 確かに熱いことは熱いが、怒鳴るほどではなかった。
 顔半分沈んで、ぶくぶくと泡を吐くアスカ。その泡の中には呪詛の言葉が詰まっていた。

「あのペンギンもシンジもいつか血の海に沈めてやるわっ」

 頬が上気しているのは、半分は熱いお湯のせいだった。

 ちなみにその外では、

「シンちゃんよかったわねぇ、朝からいいもの見たじゃない」
「やめてくださいよミサトさん! あとで血を見るのは僕なんで……ぅぁっ」
「うわーシンちゃん興奮して鼻血出してる〜、後でアスカに教えてあげなくっちゃ〜☆」
「ち、違っ、ミサトさんっ、笑ってないでティッシュ、取ってくださいよぉ」

 既に標的の片方が血の海に沈みそうだった。


 


 

美…少女が成長したらいつの間にかオヤジ気質…戦士

葛城ムーン

第16話

「シンちゃんへの恋!?未来予知の少女」

 


 


「おはようアスカ、碇君」
「おっはよ」
「どうしたの碇君、その顔」
「え、あ、これは……」

 学校の靴ボックス前で洞木ヒカリ嬢と遭遇。彼女はシンジの頬が赤く手形を刻んでいるので驚くと、神妙な表情でアスカに忠言する。

「碇君の首、細いんだから、あんまり本気で叩くと折れちゃうかもしれないから気をつけて」
「なんでシンジが殴られた理由を尋ねる前にあたしの釘刺しが先なの。それもそんな真顔で」

 シンジに赤い手形→なぜ?→シンジの悪行を暴露→スケベ認定→シンジの信用崩壊→復讐完了→スッキリ爽快、と予定を立てていたアスカのテンションが出鼻を挫かれて下がる。

「おーっす、シンジーおはようっ!」
「おはようさん」
「あ、おはよう」

 校門が閉まる時刻目前で駆け込んできたケンスケとトウジも、シンジの罪の刻印を見て顔を曇らせる。

「暴力はアカンで惣流〜」
「シンジ死んじゃったらお前も困るだろう〜?」
「あんたたちもかーっ!」

 朝から熱い風呂を浴びせられ、全裸まで目撃されたと言うのに、何故罪人に制裁をくわえて肉体的精神的損害を補填しようとする人道的処置を責められねばならないのか、アスカには納得が行かず大爆発である。
 人それを「人徳」とか「日頃の行い」と言うが、親友の機嫌をこれ以上損ねる愚行を犯すようなヒカリではないので、その言葉は発せられる事無く、事態の悪化はここで一旦止まる。
 が、別の要因が沸いて出てくるから運の悪い日は油断がならない。

「みんなおはよ〜ニュース、ニュース♪」

 挨拶もおざなりに登場した霧島マナは、ついさっき職員室の前を通過した際に小耳に挟んだ情報を持ち出した。

「今日転校生が来るんだってー。このご時世にわざわざ第3新東京市に越してくるなんて、酔狂だよね〜♪」
「お前もこないだ来たばっかりやないかい」
「なんだって!? 俺の葛城ムーン情報網には、新人の登場なんてネタは上がってないぞ」

 ポケットから手帳を出してペラペラめくるケンスケは触らぬ神としておいて、マナはシンジの異変を察知して雷に打たれたようなリアクションを見せる。

「ひどいっ、誰がこんな残酷な仕打ちを!」

 芝居がかった口調とよろめくような足取りでシンジに近寄ると、その頬のもみぢ痕に自らの手を当てて大きさを比べる。

「うわ、ちょっと霧島さん…」
「マナって呼んで。痛い? シンジ君かわいそう」

 そして撫ぜ撫ぜして早く直るよーにとひとしきり癒し電波を飛ばす。そんな至近距離で癒し系白兵戦を仕掛けられたらシンジの手形以外の顔面部も赤く染まろうものである。
 おのれシンジのクセにデレデレしちゃって生意気なっ、と目がツリ上がりかけたアスカが次の行動に出ようとした瞬間、それを妨害するように予鈴が響き渡った。

「やべっ、急げトウジ」
「ほな続きは教室でゆっくり聞かせてもらうとしよかっ」
「転校生の話と、夫婦喧嘩の真相をな!」

 廊下を走りだそうとする二人のうち、トウジの襟首をヒカリが背後から引っつかんで阻止。

「ぐえっ」
「廊下は走っちゃダメでしょう。それにまだ予鈴だから歩いても間に合うわよ」
「わかったがな、首絞まるちゅうねん。離さんかい!」

 

 黒いストレートヘアは背中まで真っ直ぐ落ち、キューティクルが艶を放って輝いている。前髪は眉毛にかからない長さで切り揃えられ、やや垂れ目気味の淡白なフェイスパーツと合わせて、生真面目で人畜無害な印象を与える。
 教卓に立つ老教師の横に並ぶ彼女の名は、黒板に記される「山岸マユミ」である。

「さらに特筆すべきはその口元のホクロがもたらす深い色気と、なにをおいてもメガネっ子であると言う点は高評価である、と」

 双眼鏡まで持ち出して何やらキーボードを叩いているケンスケには、迂闊に声をかけると10倍になって返ってくるので放置するとして。シンジは最近あまり見かけない日本庭園のような雰囲気の山岸さんに感心していた。

「短い間だと思いますけど、よろしくお願いします」

 手を身体の前で揃えたまま一礼。

「席は……そうですね、洞木さんの隣りが空いてるかな」
「はい」

 転校生に分かりやすいように小さく挙手して誘導するヒカリ。こういう細かい配慮が委員長の委員長たる資質なのだなと納得するシンジ。

「よろしく」
「こちらこそ」

 挨拶を交わすマユミとヒカリ。クリーム色のニットベストは前の学校の制服だろう。一応ブラウスは半袖だが襟ぐりもキッチリ閉じていて、ちょっと暑そうに思える。ここ第3新東京市より過ごしやすい気候の地域から来たのかもしれない。

「えー、それでは一時間目は予定を変更して、新しい友達に自己紹介をしましょう。
 まずは教師の私から覚えてもらいましょうかね。
 私の本名は職務上明かす事は出来ませんが、コードネームは『老教師』と言います。
 昼間は教卓に立ち、夜や休日は特務機関ネルフの諜報部に所属して機密に関わるイロイロな調べ物をしています」

 なんかさらっと言っちゃいけない事をバラしているような気がする。

「現在の仕事に就く前から調べ物は好きでしたから、まぁ趣味が調べ物と言ってもいいかもしれませんね。そもそも私のこの性格が形成されたのは、そう、あの根府川に住んでいた若かりし時代の環境が、そしてなによりあのセカンドインパクトが多大な影響を及ぼしていると自覚しています。例えばセカンドインパクトの真相を記した遺跡があると聞き及んだ私は古代インカ帝国の謎に迫り―――」

 転校生、即ち新たな聴衆を得た老教師は、その後30分に渡りセカンドインパクトとネルフの秘密を語ったようだが、一見さんの山岸マユミには、ほとんど何を言ってるのか理解できずに首を傾げるばかりだった。

「気にしないで山岸さん、あの先生はいつもだいたいあんな感じだから」
「はぁ、そうなんですか……」

 この学校大丈夫かな、とヒカリとマユミは同時に思った。


 


 ネルフ本部、中央作戦室

 第3新東京市中心部から離れた外輪山付近に使徒っぽい反応をキャッチしたMAGIは、解析結果をモニターに表示した。即座にマヤが読み上げる。

「パターン、オレンジ。不規則に点滅を繰り返しています。前回、前々回の出現位置を重ねて表示します」
「徐々に近づきつつあるのは間違いないようね」

 台風情報のような図が第3新東京市街図にかぶせられ、そこから判断するに使徒らしい物体はこちらへ向かって移動中と見える。
 だが超望遠カメラの映像でも、観測ヘリから送られて来たデータにも、使徒と見受けられる物体は捉えられていない。

「もっと正確な座標を取れる?」
「これ以上は無理ですね。何しろ、反応が安定しなくて」

 ミサトの疑問に日向が答える。
 既に使徒が人間にコアを移していると仮定しても、直径500メートル近い円の範囲内で小さな点のオレンジ反応が散見されるのは謎だ。

「地下に潜ってるとかは?」
「それは無いと思います。地中を進むタイプなら、僅か10秒で500メートルも移動できませんよ」
「じゃあ小さい本体がいっぱい居るとか……」
「それなら出たり消えたりはしないのでは」

 ミサトの思いつきを日向が一蹴。

「参ったわね、捜索に打って出ようにも、MAGIにすら姿は見えず。技術部からは何かアイデアない?」
「今のところ反応の正体・形状は不明。推測の域を出ないけれど、直径500メートルの気体か、あるいは強力なジャミングで光学的にも姿を隠せるタイプと思われる。
 ならば周辺環境のデータの歪みから位置を特定して、迷彩をはがしてやらないと手出しは難しいわね」
「じゃあそれをお願い。富士の電波観測所も使って宜しいですね副司令?」
「構わんよ。私から話を通しておこう」
「こちら(実働部隊)としては監視の強化に合わせて、交替でパイロットを待機させて様子を見るしかないか」

 そうなると夜の待機はミサト本人の役目になってしまうのが社会人の辛いところであり、溜め息も漏れる。

「こういう時に限って碇司令は留守なのよねぇ〜」

 ボヤいても仕方ない。ミサトは冬月副司令に監視強化の許可を貰うと、子供たちに連絡をいれるべく退席した。


 


 昼休みを告げる鐘が鳴り、メシやメシやと魂の救済を求める迷い子がパンと葡萄酒ならぬ牛乳を机に広げた。

「いただきます」

 今日のこの日の食事を与えたもうた父と祖父の給料に感謝の祈りをこめて合掌する。

「ごちそうさま」
「食うの早いよ!」

 まさに秒殺と呼ぶに相応しいトウジの食べっぷりにはケンスケも思わず突っ込みを入れてしまう。

「なんや、ちんたら食いおって。メシが遅い罰として、その卵焼きはワシが頂く!」
「うわっ、取ったな! 遅い罰って何なんだよ。ってか欲しいならそう言えよ」
「かっかっか、これが弱肉強食の自然の掟じゃあ! ……お、センセは今日は随分急いで食うたな」
「うん、ちょっと図書館で探したい本があるから。じゃ」

 足早に教室を出て行くシンジの後ろ姿を見送りつつ、トウジは首を捻る。

「図書館なんぞに何を急ぐ用があるんや。しかし大失敗や。先にシンジのエビシュウマイを強奪しておくべきやったか」

 あやうくオカズが奪われるところだったとは露知らず、シンジは第一中学校が誇る蔵書の豊富な図書館へ向かい、本を探し始めた。

「えーと、ことわざと四字熟語の辞典って十進分類法でどこになるんだろ?」

 自分で使う本では無く、あまりにも出鱈目なアスカの故事成語を矯正する為に用いるつもりのようだ。
 大型書店にも負けない巨大なモノリスのような本棚が何列も並ぶ室内には、まだ昼休みも早い時間なことも手伝って、人の気配がさっぱりしなかった。そのためシンジは図書館には誰も居ない認識で、好き勝手に棚を眺めながらグルグル歩き回っていた。
 だが、両手一杯に書物を抱えた人物と衝突して誤認識を改めさせられる。
 ドンッ、と胸に衝撃を受けて反射的に目を閉じたシンジは、ドサドサと本が床に落ちる音を耳にした。

「ご、ごめんなさい!」

 目を開くと、黒髪の長髪のサラサラの口元にホクロの眼鏡の転校生が居た。

「大丈夫!?」
「はい……、あの、あなたは?」
「うん、僕は平気だけど」
「良かった……」

 ほっと安堵を浮かべたマユミは、ペコリと頭を下げて礼。

「本当にごめんなさい。私、ボーッとしてて」
「あれ、君は転校生の山岸さん、だっけ?」
「え? あ、確か同じクラスの……」
「碇シンジ」

 にっこり微笑んで、今朝は出来なかった自己紹介。そしてシンジはしゃがみこんで、マユミが落とした本の小山を整理しだす。
 慌てて腰を落とし本を拾うマユミ。

「あ、いいです、私のせいですから」
「ううん、僕もぼーっとしてたから」

 そこで言葉は途切れ、本を重ねる音だけが図書館にやけに響いて聞こえる。
 最後の一冊を取ろうとした二人の手が重なり、お互いに焦って手を引いた。

「あっ、ごめん」
「いえ……」

 ますます硬く押し黙った二人は本を抱えて立ち上がり、シンジはマユミの抱える山を見て、渡すのをやめる。

「これだけの本、一人で読むの?」
「はい。本が好きなんです。だって」
「だって?」
「いえ、何でもありません……」

 だっての先が気になったが、マユミの表情に影が差したのでそれ以上訊くことも出来なかった。
 結局シンジは拾い集めた本を貸し出しカウンターまで持っていって、そこへ置いた。まさか運んでくれるとは思いもよらなかったのだろう、マユミはちょっと驚いた様子だったが、追いかけてきて頭を下げた。

「あの、ごめんなさい。本当に」
「いいよ、そんなに謝らなくても」
「ご、ごめんなさい!」
「いや…えーと…その……」

 パンチの効いた天然っぷりにはシンジも苦笑するしかない。こういう時には自分の日頃の天然っぷりは忘れているものである。
 マユミは受付の図書委員が貸し出し記録を書いてる間に、シンジにまた頭を下げた。

「本当にすみませんでした」
「また謝ってる」
「すいません、何だか、謝るのクセみたいで」
「あ、僕もいつも謝ってばっかりだから気持ちはわかるし、気にしてないよ」

 主にアスカに謝罪させられるライフスタイルの苦労人は力ない笑顔でマユミをフォロー。

「それじゃ、すいません…じゃなくて、ありがとうございました」
「うん、またね」


 


 再びネルフ本部

『B型ハーモニクステスト、問題なし』
『信号調整数値、全てクリア』

 南極のおいしい水(赤いし飲めません)に半分沈んだ黄色いシンクロテスト用擬似エントリープラグが4本並ぶ。それをガラス越しにモニタしている管制室。
 リツコ、ミサト、マヤ、日向、その他といつものメンバーがそれぞれ計器に集中している。
 画面の中ではチルドレン諸子が眠っているように瞑想しており、擬似プラグが漬かる南極水からビシビシ汚染情報がシンクロ率に応じてフィードバックしてくる精神的プレッシャーと静かに戦っている。

「マヤ、あなた耳が……」
「? なんですか先輩」

 振り向くマヤの頭の上の白い耳がリツコをロックオンする。間違いない。無意識下でも自律的に音を捉えようとするネコ耳の動きは、彼女の耳もまた頭皮と一体化の融合がドッキングで離れなくなった証拠だ。
 リツコは小さく溜め息を漏らしながら、

「なんでもないわ。それより霧島マナの様子はどうかしら?」
「見てくださいよ、この数値」

 シミュレーション何とかかんとかグラフに、四人分のシンクロ率とか負荷係数、精神汚染耐性予測値などが表示されている。

「まだ一週間なのに、もうアスカちゃんを追い越してトップですよ」
「おおー、スゴイじゃなぁい。こりゃ本当に正式パイロットに登用出来ないのが勿体ないわねぇ」
「平均値はね」
「どゆこと?」
「シンジ君はなんて言うかシンクロ率にムラがあって、だいたい50以下なんですけど、たまに5分くらい90を突破するんです」
「えーー、シンクロ率って深層心理に基づいてて、表面的な精神状態には左右されないって言ってなかったっけー?」
「すくなくともシンジ君以外の三人は、その原則から外れてないわ」
「え、それって、じゃあ、つまり、まさか……どゆこと?」

 がくっ、と日向が小さくコケる。

「もしかしてシンジ君、精神分裂症とかだったりしないですよね」
「まっさかぁー、たまに別人みたいに大人びた顔する時はあるけど、いたって健康な少年男子よ?」
「それに日向君、あなた多重人格と精神分裂症を取り違えてるわよ。今は統合失調症に名前が変わってるしね」
「え、違うんですか。こりゃ失礼」

 雑談でシンジの謎は有耶無耶になり、シンクロテストのシークェンスは全て終了する。
 モーターが電力停止で動作を止める音がズギュウウンとエントリープラグに響き、続いてミサトの声が金属線に乗って届いた。

『マナちゃん、聴こえる?』
「あ、師匠♪ テストの結果、どうでした?」
『その前に師匠はヤメてー。ミサトでいいって』
「はい、ミサト先生♪」
『先生も要らんてば』
「はい、ミサト♪」
『呼び捨てかーい!』
「あっ、じゃなくてミサトさん♪」

 いちいち疲れるリアクションの娘である。が、挫けてはいられない中学生軍隊長の葛城さんなのだ。

『あー、なんだっけ? そうそうテスト結果だけど、マナちゃん、上出来よ』
「ホントですかぁ!」
『ハァ〜イ、ユアーナンバーワーン☆』

 小さい窓の中のミサトは親指を立ててマナを祝福してくれる。なんでウソ外人訛りなのかはおいといて。

 

 女子ロッカールームでは先に上がったアスカとレイがプラグスーツを脱いでいる。
 レイはぬぼーと底知れぬ無表情で、恐らく何も考えていない自然にアルファ波状態と見えるが、対照的にアスカは濁ったオーラを禍々しく全身から立ち上らせて、今にも顎部ジョイントが外れて暴走しそうな気配が濃かった。
 それでも無理矢理明るい声色を作って、プライドだけで立っている状態。着替えの手もなかなか進まない様子。

「参っちゃうわよねぇ〜。あーっさり抜かれちゃったじゃな〜い。ここまで簡単にやられると、正直ちょーっと悔しいわよねぇ〜。
 スゴイ! 素晴らしい! 強い、強すぎるぅ! ああ〜無敵のマナ様ぁ〜!」

 やっぱりちょっとストレスで自分を見失ってるかもしれない。
 レイは気にせず淡々と制服を着込む。

「これであたしたちも楽できるってもんじゃないの。ねぇ〜〜!」

 カラッカラのカラ笑いが顔に張りついとるアスカには目もくれず、ロッカーをバタムと閉じて着替え完了のレイ。

「まぁねぇあたしたちも、せいぜいおいてけぼり食わないように、頑張らなきゃ〜」
「……さよなら」

 最後まで一切無視して出ていきゃがりましたよあの綾波とか言うファーストチルドレンの小娘はっ!
 レイが立ち去り静かになったロッカールームで、乙女チックにイヤンイヤンポーズをしていたアスカがそのまま5秒程硬直する。

 ……思いっきり空しい。

 こちとら何年もエヴァに乗る為に訓練を積んできたワケで、昨日今日ポッと出の新人に、しかもまたしても生足スコートのイロモノチルドレンに、正式なパイロットにすらなれないような補欠人員に、ほいほい数字で抜かされて!
 ここまで苦労してきた自分の努力は無駄だと言わんばかりの侮辱だ。
 さらに気に障るのはシンジ。あのボンクラと正月が一緒に来たようなオメデタイのんびり大将のシンクロ率が『普通ときどき超人』などと天気予報みたいなふざけた数値を弾き出す。ワレ舐めとんのかと。お前は商店街の福引かと。一等三泊四日温泉旅館宿泊券四名様御招待かと。

 しかし一番ムカつくのは、そんな誰の責任でも無い事態を素直に認められない自分のプライドだ。
 ちょっと模試で一位を取れなかったくらいで、カッコ悪いったらありゃしない!
 慌てず騒がずベテランの操縦テクニックで、反応の鈍い機体くらい乗りこなせないで何が惣流・アスカ・ラングレーか。

 唇を噛み締めて、ロッカーにドグォッと拳をめり込ませるアスカ。
 ちょっと力が入りすぎて、ロッカーの扉を拳の形にヘコませてしまう。薄くても金属なので普通はひしゃげたりしないのだが。

 そこに遅れてマナが入ってきたから気まずい事この上ない。

「るんらるんたら〜♪ らんら―――ぬあっ!?」

 なんか人の形をした魔物が無抵抗なロッカーに危害をくわえている。
 ヤバイ、目が合ったら殺られるかも!?とたじろいで入室を延期しそうになるマナだったが、物音に気付いたアスカが瞬時に他人行儀なウソ笑顔を取り繕い、

「あ〜ら霧島さん、お疲れ様。やっぱり才能のある人は違うわねぇ〜。私ももっと頑張らなくちゃって気合を入れてた所なのよ」

 とか近所の皮肉の効いたオバサマのようなトゲのある猫撫で声を発しつつ、ヘコんだロッカーをゴリゴリ直し始めたもんだから、回れ右をする勇気は溶けて消えてしまった。

「あ、ははははは……いや〜、まぐれだよぉ」
「そう、まぐれね、そぉう……」

 メキメキメキ……とアスカの指がロッカーの扉を変形させていく。明らかに逆撫でする答えだった大失敗。
 ひぃぃぃぃぃぃぃいぃぃと心で泣きながら神か仏か悪魔か何でもいいから、そこら辺の超自然現象的なモノに助けを請うマナだった。


 


 翌朝、シンジは独りで学校へ向かう。
 アスカは交替制の待機で、夜番のミサトと入れ替わりにネルフ本部へ行っている。レイも最近ネルフの仕事が忙しいらしく今日も朝から何しにか知らないが出かけている。
 ついぞ昨日は四字熟語辞典を見つけられなかったから、今日こそ借りてこないとなぁ……などと薄らぼんやり歩いていると、書店から紙袋を抱えて出てきたマユミとまた衝突してしまった。

「あっ……ごめんなさ……あ」
「ごめん……あれ、山岸さん、ごめんね大丈夫?」
「ええ、今日は落としませんでした」

 何となくニヘラと微笑み合う両者は、そのまま何となく並んで学校へ歩き出す。

「……朝から本買ってたの?」
「ええ。昨日、図書館で借りた本、みんな読んじゃったから」
「もう全部? 凄い速いなぁ。本が好きなんだね」
「だっていろんなことを教えてくれるから」

 即座にそう答えたマユミだったが、また昨日の図書館と同じく暗い顔になる。
 本当は一日中読む程の本好きじゃない、でも本の中にしか私の居る場所なんて無いから……、と言ってしまいたい。でも昨日知り合ったばかりなのに、そんな事言ったら変な子だと思われるに決まってる。

「あの、碇君は、本を読んだりしないんですか?」
「うん、よく読むよ」

 主に料理のレシピ本を。写真ばかりなので読むと言えるかどうか微妙だけれども。
 後はマンガばかりで読書とは大手を振って言えないと思った。

「良かった」
「どうして?」
「だって、同じ趣味の人がいると思うだけで、楽しくなるじゃないですか」
「そうだね。でも、僕は昨日山岸さんが持ってたような難しい本はあんまり得意じゃないんだ」
「あ、そう、なんですか……」

 何故声のトーンが下がるのか、自覚の無いマユミ。

「だから教えてよ、山岸さんが面白いと思った本のこと。僕も読んでみたいな」
「えっ……」
「ダメかな?」
「い、いえっ、そんなダメじゃないです。じゃあ、あの、図書館にあるのから探しておきますから、放課後にでも」

 そこまで言いかけて突然マユミの足が止まる。

「どうしたの?」

 お腹のやや下に違和感がある。手で服の上から押さえてみると確かに感じる。
 自分の心臓以外に、何かドクン、ドクンと脈打つモノが身体の奥に隠れている。

「……私が私じゃないみたい」

 頭の中に何か流れ込んでくる。

【やあ、初めまして、山岸マユミ君。いきなり上がりこんで失礼。レリエルがどうしても君じゃなくちゃイヤだと駄々をこねるんでね。
 君の内向的で自分の世界に閉じこもりがちな心の中が、とても居心地が良いらしいんだ。
 では僕の役目はここまで。レリエル、後は自分でやるんだよ】

「何これ。何なの」

 幻聴にしてはやけにハッキリ聴こえる。急速に青ざめてゆくマユミは、ふら……とよろめくと、腰が砕けてシンジにすがりついた。

「だ、大丈夫?」
「誰……私をどうしようと……!?」

 ガクガクッ、とマユミの身体が震えた。そして全身の力が抜け、瞼が降りる。

「山岸さん!? 山岸さん! しっかりして!」


 


【私がいる】

 気が付くとマユミは無人の電車に独りで乗っていた。
 向かいの席に幼少時代の自分が座っている。モノクロの写真を等身大に引き伸ばして、切り抜いて、そこに置いたように薄っぺらで現実感が無い。
 多分これは幻覚の続きだろう。まだ自分は目覚めていない。

【本が好き】

 何も喋っていないのに、どこかから自分の声が聞こえる。
 ガタンゴトン、と線路の振動が椅子を通じて身体に伝わる。

【本の中には下品な男の人もいないし
 勝手にあちら側からこちら側にやってくる無神経な人もいないから】

 小さな自分は何時の間にか居なくなり、今度は包丁を持った男が座っている。

【家の中が好き】

 モノクロの男は顔も思い出せないが自分の本当の父親のようだ。

【期待した以上のことも起きないけど
 それより悪いことも起きないから】

 聴いてるだけで呪われそうに沈んだ声は止まない。

【自分で思った通りのことが出来る】

 包丁を持った父親の傍に、母親が座っている。
 どちらもモノクロなのに、包丁の刃が母の胸に吸い込まれるように刺さると、その破れた切れ目から鮮血が噴き出した。

【私を誉めてくれる人もいないけど
 私を笑う人もいない】

 何時の間にか父も母も消えて、血の臭いだけが残っている。

【面倒くさいから喋るのは嫌い】

 ふと自分の手の中に、子供の頃読んだ童話の絵本があることに気付く。

【どんなに言葉を重ねても
 本当の私のことを理解してくれる人はいないから】

 自分の声がとても耳障りだ。
 忘れようとしていた過去の自分の姿を見せられているようで息苦しい。

【でも喋らないから勝手に私がこうだと思い込む
 おとなしい子だと勘違いする】

 手の中の本が独りでに開いた。
 そこには記憶に残る夢物語がそのまま再現されていたが、お姫様の顔には、自分の顔写真が切り貼りされている。

【嫌い
 そんな人は大嫌い
 自分の勝手なイメージを人に押し付つける
 そんな人ばかりだから】

 王子様と幸せに暮らしている筈のお姫様の顔は、暗く曇っている。
 当たり前だ。笑顔の写真なんて撮った事が無いのだから。

【碇君】

 向かいの席にシンジが座っている。
 モノクロでも写真の切り抜きでもない、現実にさっきまで目の前に居たシンジが。

【彼みたいな男の子は今までいなかったけど
 だけど期待はしない
 何度も裏切られたから】

 シンジはマユミを責めるような冷たい眼差しで見ている。
 マユミは焦燥感にかられて、何でもいいから声をかけようと口を開いた。

 だが、咽は震えなかった。

【みんな私を裏切るの
 裏切らないのは私の好きな本だけ】

 何時の間にかシンジは消え、手の中から絵本も消え、代わりに黒い表紙の、題名の無い本がある。
 開いてみると、何も文字が記されていない白紙だ。

【だから私は本を読んでいればいいの】

 向かいの席に自分が座っている。
 今まで喋りつづけていたのは、あの怨霊みたいな顔色の悪い自分だ。

【ずっと、本の中で生きる他人の話を読んで、そして誰にも省みられることなく死ぬ】

 ニタァ……と不気味な笑みを浮かべる黒い山岸マユミ。
 マユミは全身総毛立つ悪寒に包まれて、目を逸らしたが、それでもなお震えは収まらず、吐き気を催した。

「……あなた、誰なの」

 ようやく声が出た。

【山岸マユミ】

「それは私よ」

【私はあなたよ。人は自分の中にもう一人の自分を持ってる。
 自分というのは常に二人でできているのよ】

「二人……」

【実際に見られる自分と、それを見つめている自分よ。山岸マユミという人物だって何人も居るの。
 あなたの心の中にいるもう一人の山岸マユミ。養父の中にいる山岸マユミ。碇シンジの中にいる山岸マユミ。
 みんなそれぞれ違う山岸マユミだけど、どれも本物の山岸マユミ。
 あなたはその他人の中の山岸マユミが怖いの。
 他人に嫌われるのが怖いのよ。
 自分が傷つくのが怖いのよ】

「やめて! そんなアングラ劇団の繊細な若者たちの群像劇の脚本みたいな事言って私を惑わさないで!」

【私はあなたの幸せを考えて導いているのよ?】

「今度は宗教勧誘……もういいかげんにして! 私は嫌いなの。
 人に迷惑をかけられるのも、かけるのも。勝手に心を覗かれるのも、覗くのもそんなの嫌なの」

【でももう遅いわ。あなたは私に出逢ってしまった。私を呼んだのはあなたの心よ?】

「そんな……」

【自分が嫌? このままじゃ、もっともっと自分が嫌になる?】

「覗かないで……」

【見せてあげる、あなたの未来を。お望みの宗教勧誘風なアングラ劇団の群像劇に見立てて。
 タイトルは『葛城ムーンを抹殺しなければあなたは7日以内に死にます』とでもしましょう。
 楽しいわよぅ。邪魔な人間はみんな死んでしまうの。あなたの好きな人だけが選ばれて生き残る世界の物語。
 でもあなたは死んでしまうから仲間に入れない】

「出て行って……お願い……もう何も見たくない……」

【さあ、お話を始めましょう】

 そして意識は再び闇に落ちた。


 


 マヤがリツコに書類を挟んだファイルを渡す。

「先輩、保護された民間人の診察結果と病室です」
「ご苦労様。様子を見てくるから、発令所に先に戻っていて頂戴」
「はい」

 マユミは中央病院に運び込まれて見知らぬ病室のベッドに寝かされていた。

「シンジ君? ここで待っていても、面会は出来ないわよ」
「いえ、そういうんじゃないです。まだ山岸さんが起きてないのは知ってます」
「そう。これから彼女の様態を確認するから、よければシンジ君状況をもう一度話して貰える?」
「はい」

 病室前に居たシンジを拾って、リツコはマユミの眠る白い部屋へ踏み入る。
 眠っている少女が苦悶の表情を浮かべている。話し掛けても揺り動かしても反応せず、目覚めなかった。
 MAGIから引き出した個人情報に病歴・通院歴が無いことをチェックしたのち、聴診器を装着して、マユミのスカートの中に金属の円盤を入れた。

「シンジ君、こちらを向いてはダメよ」
「は、はい、後ろ向いてます」
「うん、当たりだわ。妊娠だとしてもこんなに鼓動が大きいはずないもの。使徒ね」
「やっぱりそうですか」

 リツコは悪夢にうなされているマユミの眼鏡を外すと、瞼を指で開いて、ペンライトで照らす。
 瞳の色は赤くなっていない。

「融合はしていないようね。単に物理的に身体の中に潜り込んでいる、と言ったところかしら。新しいパターンだわ」
「どうすればいいんですか」
「兎に角ミサトを呼んだから、到着したら彼女の身体から使徒を叩き出すのが第一」

 まだ使徒の本体が第3新東京市へと移動しきる前にコアの保有者を確保できたのは幸いだ。本体のMAGIによる位置解析は終わっていないが、到着前に叩ければ何も問題ない。
 これは倒れたマユミが気を失う寸前に見えない何かと会話していたのを見逃さず、怪しいから病院に運ぶと同時にネルフに連絡を入れたシンジ君のお手柄だ。

「ではもう一度確認するけど、彼女と会ってから、倒れるまでの間に使徒本体との近接は無かったのね?」
「はい、歩いてて人とは何人かすれ違いましたけど、使徒みたいな、ああいう変なモノは見なかったです」
「そう……となると、今回は何者かが媒介した可能性が……」

 リツコは険しい眼差しでメモを取りながら、何事か考えている。
 顔は真剣そのものなのだが、頭の上についてる黒いネコ耳はピコピコと踊っている。

 シンジがそれを不意に見てしまい和んでいると、バーンと扉が開かれた。

「お待たせっ! 葛城ムーン一丁!」

 出前かよ。

 髪の毛が寝癖で微妙にハネている、あからさまに起き抜けなミサトが、徹夜明けの寝入り端に叩き起こされても我慢して車を飛ばして何とか到着したのだった。
 彼女はドカドカと鼻息荒くベッドに歩み寄りながら、

「リツコ、封印解除よろしく!」

 腕を回してゴキゴキ関節を鳴らす。かなりノリ気に見えるが、早く済ませて眠りたい気持ちが後押ししているのだ。

「わかったわ。ミサトちゃん、変―――」
「リツコさん危ないっ!」
「!」

 シンジのタックルを受けてリツコは床に押し倒される。
 その鼻先をかすめて黒い円盤が飛んだかと思うと、病室の白い壁に突き刺さる。

「残念。ハズレちゃいましたね」

 射線を逆にたどると発生源は、いつ目覚めて立ち上がったのか、ベッドの上に立つ山岸マユミに他ならなかった。

「使徒!?」
「いいえ、私は山岸マユミです」

 それが証拠に瞳が赤くなっていない。
 マユミはどこから取り出したのか、一冊の本を手にしている。黒い表紙で文字のかかれていない本。

「あなたが葛城ムーンさんですね!」

 それを一ページ破ると、人差し指と中指に挟んで、トランプ投げの要領でミサトに向かって投げた。
 紙はマユミの手を離れた瞬間に黒く変色して高速で回転し始めると、ミサトに向かって飛んだ。

「うわっと!」

 身体を捻って間一髪避けたミサトだが、赤いジャケットの脇腹辺りがバッサリ切れ目が入って冷や汗をかく。

「ミサトちゃ―――」
「させません!」

 マユミの次の一ページは天井の蛍光灯を割り、ガラスの破片を降らせた。
 頭を手で庇うリツコにさらに次の一ページを投げようとするが、リツコの盾になって両手を広げてこちらを凝視するシンジに一瞬躊躇する。

「くっ……葛城ムーンさん、覚悟!」

 まとめて三ページ投擲するも、ミサトの華麗なアクションで全て回避される(スタント代役ではありません)
 病室の扉が蝶番を破壊され、廊下側に倒れてバァーンと大きな音が発生する。

「なんで使徒じゃないのにこんな力が!?」
「知りません! でも、あなたの命を取らないと、私は呪いで昔の自分に戻ってしまうんです」
「うわ何か電波っぽいこと言ってるし!」

 また三ページの黒い円盤が飛来し、チリッとミサトの髪を数本飛ばして壁に刺さる。

「ミサトちゃん、変身よ!」
「ああっ」

 キメ台詞を阻止し損ねたマユミが苦し紛れに黒い円盤を投げるが、予備動作が見えていればリツコでも避けるのは難しくない。
 リツコの鋭いプロテクト解除コードが、その頭部に装着された謎のアイテム黒いネコ耳によって効力を発揮し、そこから発せられた信号がミサトの胸に輝く銀のロザリオに働きかけ、大いなるエナジーの封印を解くのだ!
 ロザリオを掲げてミサトは叫ぶ!

「シルバーーー・ロザリオパワーーー・メーーイクアーーーップ!!」

 シーン。

「……あれ? おーーーい」

 ぱしぱしぱしぱし。動かない機械を叩く世代のミサト。

 シーン。

「何で反応しないかな! おーーーい!」
「変身……できないんですか?」
「どうなってるんですかリツコさん!」
「まさか、こんな弱点があるなんて予想外の事態だわ」
「弱点って何よ!」

 全員の視線がリツコに集中する。

「医療機器に影響を与える可能性があるから、病院内では電源が入らないようなプログラムになってるのよ」

「なによその過度な安全性はぁぁぁぁ!?」
「つまり葛城ムーンさんは、ここでは変身できないってことですね?」
「……」

 まぁそうなんだが、イエスと答えるのも何となくアレなので黙ってみるリツコ。
 ほっ、と胸を撫で下ろしたマユミは、一回深呼吸をすーはーとして、余裕の笑みを見せた。

「反撃される可能性が減ったので、やり方を変えます」
「あー、お手柔らかにー……」

 だいぶ逃げ腰で出口にちょっとづつ近づいて行くミサト。
 マユミは黒い本を掲げて、勝利の確信に満ちた台詞を唱えた。

「小さいレリエル召還です!」

 

 発令所に警報が発生し、一気に慌ただしさを増す。

「パターン青! 使徒です!」
「なに、こんな時にか?」

 青葉の報告に、冷静沈着な冬月副司令ですら狼狽した声を上げた。
 それもその筈、リツコ、ミサトの両翼は中央病院に居るし、マヤだってこちらに向かっている途中だ。
 留守の碇司令は居ても居なくてもあんまり関係ないので置いといて、ネルフ本部にマトモな戦力はアスカとレイしか居ない。

「反応は小さく、スケールは小型、場所は中央病院です!」
「富士の電波観測所から報告は無いのか」
「探知してません。直上にいきなり現れました」

 監視警戒体制の効果が無かった事に発令所の空気が重くなる。

「現地には葛城三佐が居るが、弐号機、零号機の発進準備を進めておけ」
「弐号機はすぐ出れます。零号機は、サードチルドレンが中央病院に居る為、ファーストチルドレンに書き換えが必要です」
「コアの書きかえはどれくらいかかる?」
「赤木博士が戻りませんと、かなり遅れが生じるものと……」

 即時使える戦力と、増援準備の時間対効果を一考した冬月は自らの備える常識に従って決断した。

「伊吹二尉の回収を優先しよう。零号機より、綾波・霧島の両名の出撃体制を整えたほうがいい」
「了解。保安部を手配して、車を回します」

 

 ふよふよふよふよ。ボールが浮遊する効果音に乗せて、白黒の縞模様のボールが病室内を飛んでいる。
 それはミサト目掛けてゆっくりゆっくり移動していく。

「あの、ちょっと牧歌的に見えますけど、レリエル君です」
「バレーボール?」
「よりはちょっと大きいわね」
「さあ葛城ムーンさん、レリエル君と戦ってください」
「えーー、やだー、罠っぽいもんー。てか変身できないんじゃ何もできないしー」

 とブツクサ言いながらミサトは懐に手を入れて、脇に吊り下げていたゴツイ銃を取り出してマユミに向ける。

「ひっ」
「ダメですよミサトさん!」
「人間にはATフィールドは無いのよ」
「だーいじょぶ、あたし射撃は得意だから、死なないトコに当てればへーきへーき」

 物騒なコトを言いながらロックを解除。後は引き金を引くと鉛弾がズドンと飛び出す寸法。

「と見せかけてうりゃ!」

 銃声が轟き、弾丸は空中を漂う縞模様のバレーボールを撃ち抜いた。と思った途端、ボールは消える。

「消えた!?」

 頼りのボールが消滅したのに何故か再び安堵のマユミ。
 直後、ミサトの足元に黒い影が丸く広がる。

「しまった!」

 ずぶずぶとミサトの足が沈んでいく。

「レリエル君は、厚さ3ナノメートルの身体を内向きの何とかフィールドで支えていて、その内部は虚数空間になってるんです。
 さようなら葛城ムーンさん。別の宇宙に飛ばされちゃってください」
「くぬぅっ、思いっきり罠にハマっちゃうとは不覚っ。でもあたし一人ではどこにも行かないわよっ!」

 再びミサトの銃が火を噴いた。ビクッと身体をこわばらせ、咄嗟に顔を腕でガードしたマユミだったが、連続して聴こえる銃声とは裏腹に、痛みは感じなかった。
 ミサトの狙いはマユミが立つベッドの脚だったのである。弾丸がジャストミートしてひしゃげ、ベッドはバランスを崩して傾く。

「きゃっ、あっ、わっ」

 上に立っていたマユミもバランスを崩してふらふらする。
 そこへ下半身沈んでしまったミサトが銃を向けて、

「バァーン!」
「きゃっ!」

 撃ったフリで脅かすと、とうとうベッドから落ちたマユミはミサトの手の届く範囲に入ってしまい、

「捕まえたー!」
「いやーーっ! 助けて碇君!」

 一緒に沈んでしまった。
 そして黒い穴だけがそこにポッカリと居座っている。

「ど、どうしようリツコさん! ミサトさんが! 山岸さんも!」
「落ち着きなさい、今考えてるから。とりあえず、コアを持つ彼女が一緒に落ちたから、別の宇宙と言っても生存不可能な場所には出てないと期待しましょう」
「期待、ですか……」
「それにもし、真空の中に放り出されたとしても、ミサトが無闇に暴れずに生命維持モードで耐える事が出来れば、16時間は生きていられるわ」
「ミサトさんは何者なんですか……」
「愛と正義のプラグスーツ戦士よ」
「いえ、そういうことじゃなくて……」


 


Pretty (soon 30) soldier Katsuragi moon







 
後編へつづく 

 
2004/01/18 初版。

 もっと短くしたいのに話が伸びる三笠どらに愛の手を。

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